185
魅卯の襲撃はひと段落した。
トモカ襲撃も失敗に終わる。リィンとエメロードがトモカ襲撃者を追っている状況。
そして最後、この場である。
quuuuraaaaaaaaaaaaaaaaa!
「がぁぁぁはぁっ!?」
甲高い奇声。次いで激痛による、声こそ低い盛大な叫び。
叫んだ方は思いっきり吹きとばされ、ホテル旧館すなわち、ルーリィ達の下宿棟に突っ込んでいく。
漆喰の壁に叩きつけられ地面に崩れ落ちたのは、半人半妖体のヤマトだった。
もうどれだけ無抵抗のままダメージを受け続けたか知れない。
「なかなか先に進みませんねぇ。そろそろ目に映る形で示してもらえませんか? 良いかげん待つのにもうんざりしてきたのですが」
「まだですフランベルジュ教官! もう少し……」
先ほど何をすべきか分かったはずなのに、それでいてヤマトは防戦一方だった。
「魔素がまだ足りていない。灯里が動きを止め興味を示すだけの血の味と臭いを上げないと!」
生々しい傷跡を体中に、血しぶきが周りに飛び散り、生臭ささえ風に攫われる前には強く感じられる。
「そうですか。では……
そんなヤマトを傍観するシャリエールは状況に飽き、溜息混じりに呟いた。
「グゥっ!?」
瞬間、ヤマトは身体を波打たせた。
「これは……《
「そんな御大層なものではありません。ただ、魔装士官訓練生はマスキュリスを異空間に格納しているでしょう?」
「まさか……」
「単純に用途と規模が違うだけ。マスキュリスの取り出しは異空間とのアクセス規模は小さく、《
「そうか、それなら……
晴天の霹靂。
自前の刀を操るヤマトはマスキュリスを利用しないゆえ、マスキュリスを取り出すために異空間に手を差し入れたことが殆ど無かった。
「ウグっ! クゥっ!?」
途端だ。
頭が割れんばかりの痛み、立ちくらみがヤマトを襲う。
最悪には違いない。
全身裂傷だらけで血は流れ出る。そこからさらに、体の内側からも悲鳴を上げるのだから。
「き、来てる。魔素……入って」
「でしょう。喜びなさい刀坂君。灯里さん、反応を見せています」
苦しむヤマトに、どこか他人事なシャリエール。
だがその言葉通り、灯里はクンクンと鼻を効かせ、間合い有りながらもヤマトの匂いを嗅ごうとした。
「良い。本能が、催眠を邪魔し始めて来ています」
灯里吸精鬼体は、ターゲットたるシャリエールとルーリィに目配せするも、一方でヤマトが気になっとしょうがな……
gebraaaaa!
されど、いの一番に反応したのはネーヴィスだった。
片腕一本の膂力で地面を押し、自身を砲弾としてヤマトへ飛びかかる。
「さぁ、テイスティングのお時間ですよ刀坂訓練生」
「チィッ!」
「見事灯里さんの秘書にその血を認めさせ、灯里さんに啜らせる価値ありやと及第点を与えてもらいなさい!」
「分かって……グァッ!」
飛びかかる口を開けたネーヴィスに向かって、ヤマトはアームガード。左腕を差し出す。
狙い通りにネーヴィスにかぶり付かせることに繋がった。
程なくして……ゴクリっと大きく喉がなるのをヤマトもシャリエールも確かに聞き取った。
gitt! gozhaaa! iyaa! yaaa……ヤマ……
喉の鳴りが2度か3度か。
獣の猛りはやがて血を飲むに集中するためか静まる。
移ろっていたネーヴィスの瞳に、光が宿ったような。
「ヤマト様……」
「来たっ!」
とうとう、頭がおかしくなっていたネーヴィスに人語を引き出させるではないか。
「気を抜かないでください。貴方の目的は風音さんだけではないでしょう? 二人に血を明け渡すリスクを考えなさい!」
ネーヴィスが一瞬正気を取り戻したからと言って、まだヤマトは浮ついてはならなかった。
「サキュバスもヴァンパイアも、啜る体液に求むは量か質かではないのですか!? 魔素を取り込み力を高めないままでは、与える血の量は多くなります!」
そういうこと。
力がふんだんに溶け混じった血は、サキュバスもヴァンパイアも少量で満足する。味も良すぎる。
二人にかけられた催眠術を打破するだけの食欲本能は掻き立てられるはず。
でもなければ二人に飲まれるだけ飲まれ、ヤマトは失血死してしまうだろう。それでいて催眠術を超えるほどの歓びはないのだ。
「二人が目覚める前に貴方が大量出血で倒れたら、今度こそ私は二人を殺します」
「そんなこと分かって……」
解決策を見出すまで無抵抗にやられていたのが良くない。
ただでさえ血を供する前に、ヤマトは血を流しすぎていた。
それでも……
「灯里っ!」
ヤマトは声を張り上げる。右手を伸ばした。
灯里は呼びかけにクッと顔をあげた。
「俺をくれてやるっ! 山本の手から再び……君を虜にしてみせるからっ!」
ある意味着火だ。
点火された灯里は弾けた様に地面を蹴った。
ragyaaaa!
「クウッ!?」
瞬でヤマトは距離を、ヨダレを垂らし、目も逝った灯里に詰め寄られる。四肢に身体中ガッチリホールドされた。
ヤマトも抱き着いてきた灯里の身体を、伸ばした手で抱き込んだ。
灯里の両腕を封じたのは血を飲ませるため。ヤマトを害すに、牙と咢だけに制限させたかった。
「えっ! 灯……里?」
血を飲ませる。体に噛みつかれる。痛みについて覚悟できていたヤマト。
狼狽えてしまったのは……
GOZHAAAAAAAAAAAAAA!
「ウムッ……ぶぅっ……」
ザクッ、グチュゥっとの生々しい音、燃えるような熱さと痛みを……唇に感じたからだ。
口を持って敢行する灯里からの吸血行為を、ヤマトは自らの唇で受け止めた。
互いに思惑があってなかなか距離が詰め切れなかったヤマトと灯里にとっては、図らずもこんな形でファーストキスに至ってしまう。
「んう゛ぅ゛!」
好きな異性との口づけ。だからといって感慨にふける余裕などヤマトにはない。
腕に噛みつくネーヴィスの喉がゴクッと鳴る度、ジュルゥッと唇から灯里によって体液が吸い抜き取られるのを分かってしまう度、ヤマトの目の前は霞んでしまう。
足腰の力が引っこ抜かれてしまったように、全身から力みが抜けて行ってしまう。
「まだです! 抗いなさい! 二人が正気になる前に貴方が力尽きれば、そこで終わりです!」
耳に受け止めるシャリエールからの発破も、少しずつ遠くなっていくような。
ヤマトにとって、生きるか死ぬかの綱渡りなのだ。
「ヤマトさまっ、この血……おいひっ♪」
血を欲す二人の妖魔に己が血を与える。既にその前から血は多量に流れ出ていた。
この時点で危険レベルに血を放出しすぎていた。
「シュキ……血……トロトロォ♡」
力の溶け込まない血など、どれだけ飲んでも満足しない。干からびるまでヤマトは灯里とネーヴィスに血を抜き取られ続けるだろう。
「シュゴイッ! この血、ドンドンおいしくなってる!」
二人に満足してもらうために、自らの血液には魔素をよく取り込ませていなければならない。
「やっぱりしゅき、ヤマトの血。ダイシュキ……ヤマト」
しかし半人半妖であっても暴走しない保証はない。魔素を許容範囲以上取り込めばヤマトとて《マギステル・シンドローム》が発現する。
「はくぅ……グ……クッ……」
味方であるはずのシャリエールがヤマト半人半妖体にとって厄介だ。
正気を彼女たちが取り戻す前に血を飲み尽きられヤマトが倒れたら、シャリエールは二人を殺す。
二人が我を取り戻す前にヤマトが《マギステル・シンドローム》を発現したなら、3人ともを殺す。
仮に二人が正気に戻ったその時、結局ヤマトが《マギステル・シンドローム》を発現させたとして、どうだろう。
きっとヤマトを殺すかもしれない。
無理に無理を押し通してまで二人の正気を目覚めさせ、なおかつヤマトが《マギステル・シンドローム》にもかからない。
それまでに血液を枯渇させない。
これ以外に状況が収まる見通しは無い。
暴走した灯里の瞳には、ヤマトが好きな女の子だった頃にいつも湛えていた光が蘇ってきた。
欲望駄々洩れで、告白まで灯里から溢れでている。
曲がりなりにもキスをしている。
すぐ目の前でどちらも起きている。
ただ悲しいかな。
血と力を抜き取られて目の前は白み、聴覚も効かなくなってきたヤマトには、そのどちらも届かなくなってきていた。
「まだです。もう少し! もう少し堪えなさい!」
ヤマトにはもう、シャリエールの声しか聞こえない。言っている内容は聞き取れない。
剣幕凄いから、まだ正気に戻せていないのだということくらいしか分からなかっ……
「……う……くっ」
呼吸すら、ヤマトは薄くなってしまっている。
魔素を取り込むことで二人の血を啜る者達を昂らせるだけ、ヤマトの血と力は強く濃厚となった……事が、片脚と片腕を失ったネーヴィスに異常な回復をもたらした。
新たに、失った手足を……生え変わらせたのだ。
そうして両手両足で獲物を逃さまいとヤマトの身体を力いっぱい抱きしめてきた。
万力よろしく締め付けられ苦しくなっても、ヤマトは声も上げられない。
「せ……め……灯里……だけ……は……」
「貴女達! 何をやっているのっ!?」
もはやこれまでを覚悟した。だがせめて灯里だけはと。
フゥっと、ヤマトの目の前は完全に真っ白になってしまう。
同じく消えていきそうな聴覚が拾ったのは、この場にいないはずの、ヤマトがよく知っている声だった。
☆
「貴女達! 何をやっているのっ!?」
自身への襲撃を辛く(?)も脱してこの場に臨場一番、魅卯が叫ぶのは仕方ない。
三泉温泉ホテル旧館前の庭。いたのは5人。
凄みのある余念のない表情で腕を組んだ冷たすぎる目をしたシャリエール。
地面に直接座り込み、体育座りの両膝に顔をうずめて微動だにしないルーリィ。
妖魔体となった風音とネーヴィス二人はヤマトに抱き着いていて、そのヤマトは全身血まみれだった。
「あっ……」
さらにヤマトも半人半妖体。あまつさえ妖魔体の灯里とキスをしているではないか。
『オイオイでガンスよコイツは。って、キスゥッ!?』
『……じゃあないんだな。が、吸血? 刀坂に? いよいよもって尋常じゃないんだな』
『……なるほど。石楠灯里は妖王
『んでもっていつもお姉さん役やってたあの
衝撃的な光景を目にして一言目以外固まってしまう魅卯の代わりに、ガンスともう一人の月城魅卯親衛隊員が解説した。
『『……って?』』
そこまで言って顔を互いに見合わせる。何かがおかしいと感じたらしい。
『『ガンスァァァァァァ!? /何だなぁぁぁっ!?』』
気づいてしまう。見合わせた顔を二人とも同時に、ヤマトに抱き着く二人に向けた。
『『石楠ァ! /オネェさんっ!!』』
この場にいない、自分自身が図体デカい癖してなお、一徹が
音をよく通す寒くて澄んだ夜の空気は、声バズーカと言ってもいい程の衝撃を灯里とネーヴィスにもたらした。
「ッツゥ!?」
反応したのは……
「ッッッッッッッッッッッッッツゥ!?」
灯里の方だった。
美味なる吸血に掻き立てられた食欲本能が、催眠術を圧倒していた。だがきっかけがなかった。
恐らく月城魅卯親衛隊員二人の呼びかけが引き金だった。
「うそ……チョっ……えっ!?」
呼びかけに灯里は正気を取りもどし、戻してからは驚き、慌てたように後ろに下がる。
足元はおぼつかなくて尻餅をついてしまった。
「何? なんで? 気が付いたら私、キッ……キス……ヤマトとっ!?」
唇にかぶりついての吸血も、キスには違いない。
その状態のまま正気を取りもどした灯里の目の前に、ゼロ距離どころかマイナス距離。唇と唇が触れ合っているヤマトの顏があったのだ。
「フム? 目論見は成ったようです。よく頑張りました刀坂君」
「う……うぅ……」
「貴女も目を覚ましていますか? 風音さ……」
作戦は成功。
自らの出る幕が無くなったことにため息をついたシャリエールは、あれだけ凄惨に痛めつけていた先のネーヴィスに、何もなかったように問いかける。
「んっ♡ この味っ♡ 駄目になっちゃふ♡ ヤマ……ヤマトしゃま♡」
が、正気を取りもどしてなお、ネーヴィスはヤマトの腕から口を離さない。
流石に歯こそ立てないが、チューチュー唇をすぼめ、レロレロと舌を舐め這わせていた。
「……ヒュッ」
「ギャンッ!?」
ネーヴィスの行動に全員が数秒固まる。
時が動き出したのは、シャリエールが瞬動の勢いでネーヴィスの元に走り込み、こめかみに膝を付き込んで彼女を3メートルほど蹴とばしたからだった。
「ず、頭蓋が……砕けちゃいます♡」
「さて、卑猥な光景は訓練生たちの教育上宜しくありませんから」
飛ばされた先からゆっくりと立ち上がる、利いた風でもないネーヴィスのクレームに、シャリエールは相手にしない。
が、意識を外したところに、ネーヴィスも完全に催眠から溶けているのをシャリエールは確信した。
「……あ……」
そんな新展開になっていることなど、ヤマトが知る由もない。
灯里が離れ、ネーヴィスが引きはがされたタイミングで、その場にドチャッと崩れ落ちる。
「や、ヤマト! どうしてこんな酷い怪我を! 一体何があったの!?」
それをみて灯里が動かないわけがなかった。
すぐさま倒れたヤマトに駆け寄って声を張り上げた。
『……いや、何があったって自分の着てるもの見てから言うんだな石楠』
「……え?」
『血だらけの服を石楠と石楠のお姉さん役が着ていて、刀坂は吸血されまくった。二人で刀坂を襲ったって見立てが常道ガンス』
「なっ!?」
月城魅卯親衛隊二人の見立てを耳にし、催眠下にあったことすら覚えていない灯里は固まってしまう。
「私? 私と風音のせい? だって私はここに……ルーリィに……」
顔面蒼白のまま、倒れたヤマトに視線を落とした。
「……私、さっきまで牛馬頭君に襲われてた。水瀬君たちが駆け付けてくれなければ危なかった」
「「「「ッツ!?」」」」
この場にいる全て、なかなか落ち着けない。
魅卯の切込みは、灯里にネーヴィス、シャリエールだけでない。伏せっていたルーリィの顔を挙げさせた。
「あ、貴女が? 月城生徒会長」
「私がではなく、正しくは私も……ではないですかフランベルジュ教官? だから教官たちも、石楠さんと風音さんに襲撃された」
「まさかそんな。貴女まで。ならあの女の認識は……」
話が続くと、シャリエールさえ狼狽するではないか。
「ま、待って。待ってよ。話が見えない。月城さんは何を言っているの?」
洗脳されていた間の事をどうやら灯里は覚えていないらしい。
「わ。私がヤマトをこれほど……だ、だってそれじゃ殺しかけたってことじゃな……」
意識を失い微動だにしないヤマトの身体を、地面に座り込んでまで抱き起した灯里は錯乱しかけて……。
「クッ! 全員、再警戒!」
それを、シャリエールの突如の叫びが押しとどめた。
同時だ。余闇を木霊する、ガラスが思い切り我砕いた音……
「あらあら……まぁまぁ、あな口惜しい。一筋縄ではいかないと、そういうことですかぁ?」
次いで声一つ。
この場の誰にとっても、聞き馴染みのない女の声だった。
上空から突然降りてきたのは、一人の女。
緩く波がかった麦穂のような色のロングヘア。鼻周りに散ったソバカスは愛嬌がある。
透き通るような肌。
穢れを知らなさそうな純粋さを彷彿とさせるのに、
「全員、集ってしまったのですね? 2、3人くらいは仕留められたと思っていたのですが。我が愛しの夜の民、夜の姫も存外役に立ちませんね?」
「ヒッ……」
瞳に宿る光は死んだ魚のように濁っていた。
そんな目を向けられ、灯里は身がすくんでしまう。
「……何勝手に意識を別の者にそらしているわけ? まだ、貴女の相手を務め終えたつもりはないんだけれど」
清廉さを思わせる金色の髪を持つ美少女に次いで、降ってきたのは二つの人影。
「正直私たちの許容範囲を超えているから貴様にはキッチリと落とし前は付けてもらう。死ぬかもしれない……けど、構わないわよね? トモカ……ある意味で私達の禁断の聖域に手を出した」
まずはエメロード。目に宿った冷たく鋭い光は決して月明かりによるものではない。改めてチャッとサーベルの切っ先を向けて構えを取った。
もう一人……
「もうこんなことやめてよ……リングキーお姉ちゃん!?」
「あぁ。貴女がいてはエレハイム・禁区という名は無意味ですね。この素体が前世の私の姿かたちを踏襲しているのですから。ねぇ? リィン」
リィン・ティーチシーフ。
金色の髪したソバカス美少女のリングキー・サイデェスと、山本小隊の中では唯一生前から見知った仲の一徹の妹が、魂からの咆哮をぶちまけた。
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