テストテストテスト63

『こ、これは……凄いな』


 決勝戦まであと10分と言ったところ。

 互いに発破をかけて気合を入れ、選手控室を出た大学アスリートたちは、フィールドへと至る通路出入口付近で呆然と立ち尽くした。


「キャプテンさん、試合開始までもう間もなくです。そろそろフィールドインをお願いします」

『山本君、君は、そんな風に笑っているけれどね……』


 出入口を一歩踏み出せば到るその場所に、半纏姿の一徹は腰に両手を当て立っている。


『これから決勝だって言うのに、別の事で尻込みしてしまいそうだ。一体何だこのスタジアムの状況は……』

「どうやら応援ソングPV撮影をするため、アイドルグループとモデルさんたちがこのスタジアムに来てるって情報が漏れたみたいで」

『こんなに超満員なわけだ。芸能人見たさ……か。登場を今か今か待ちわびる熱気と歓声。こんな遅い時間での試合ってこともある。スタジアムライトも照らして……』

「まるで《NationalN FootballF AsosiationA》。本場アメリゴのプロアメフトリーグのナイターゲーム……でしょ?」

『僕たちの困惑を楽しんでいるね?』

「至極」


 ニカッと人懐っこい笑みを見せた。


「海姫からの埋め合わせだそうです」

『僕らの決勝を背景に行われるオリンピック応援ソングPV撮影。スポンサーの関係者だったね?』

「奴ぁ、前回冬季オリンピックで代表選手でした。試合がどれほど神聖か分かってる。今回の決勝を『穢した』と思っていたみたいで」

『それで、この埋め合わせになるのかい?』

「折角の決勝戦です。今シーズンの集大成。今日ぶつかる両チームは、これまで戦ってきた相手の想いも背負ってここに立ってます。なら相応しくなきゃ」


 「適当なことを言ってくれる」と大学アメフト部キャプテンは思った。

 結局幾ら人が集まったとして、目的がアイドル達なら試合に注目は集まらない。

 

「不安してます?」

『集まった観客の何人が、本来このスタジアムで行われるのが我々の決勝戦だと知ってる? もしかしたら『邪魔だ。アイドル達に集中できない』とブーイングが出るかもしれない』

「キシッ……させませんよ・・・・・・そんなこと」

『ッ!?』


 正直にそんな思いを吐露してみる。しかし一徹青少年はそれを余裕の笑みで切って捨てた。


「熱狂包まれたスタジアム。超満員の観客の注目を浴び、気分はまるでプロ選手。そんな状態で試合って面白くありませんか? テンション、上がりません?」

『や、山本君……』


 何か、違和感が大学アメフト部キャプテンの身を包む。


「皆さんは変な心配をせず、アメフト選手として全力でこの決勝戦を勝ちに行ってください」


 人懐っこそうな一徹少年の笑みは変わっていない。


「俺と海姫が約束します。シーズン通し決勝まで勝ち上がってきた両チーム皆さんに、気持ち良く、思いっきり楽しみながら全力でりあえるような最高の決勝戦舞台を用意します」

『き、君は……』

誰にも・・・何も・・言わせない・・・・・


 声色にも変化はない……のに、何かゾクリと、得体の知れないものが一徹少年から醸し出されるのを感じ取ってしまったのだ。


「おう俺だ。あぁ、こっちはいま青法中大アメフト部に状況を説明した。うっし、いいね海姫。りょうか~い。そろそろだね?」


 一徹青少年はふと耳に当てた携帯端末で誰ぞとやり取りを見せ、ニカァッと一層の笑みを見せる。

 懐に収めると、再び大学アメフトキャプテンに目を向ける。


「今、友達ダチから連絡がありました。相手チームの《桐桜華明立大インテリジェントゴリラーズ》は、寧ろこの状況を楽しんでいるようです」

『えっ?』

「特に4年生選手のテンションはバカ上がりだそうです。最後の試合がまるでプロの試合のようだから」

『そう……かい……』


 この異様な熱気にずっと困惑にあった青法中大学アメフト部キャプテン。しかしその報せを受けると、息を飲む。

 目を閉じ、大きく息を吸うと……思いっきり吐いた。

 そして……


『諸君! 決戦のときだっ!』


 思い切り、咆哮と共に気合をチームメイトたちにぶつけた。


『もはや状況を気にすべき時は過ぎた!』


 するとどうだろう。


『我らは我らがすべきことにただ直向きに身命を賭すのみ! この熱狂に呑まれず、寧ろ我らで呑み込んでしまおうではないか!』

「へぇ? いいね」


 同じように緊張していたチームメイトたちは、その怒声に不安を吹き飛ばされたかのように、吹っ切れた顔でキャプテンに視線を集めた。


『このスタジアムは他の誰のものでもない。アイドルのものでもない。モデルのものでもない。応援ソングPV撮影の為のものでもない! 誰のものだ!?』

『『『『『大学アメフト選手俺たちの物だ!』』』』』

『誰のものだ!?』

『『『『『俺たちの物だ!』』』』』

『誰のものだ!?』

『『『『『俺たちの物だ!』』』』』

『そう! 決勝戦本決戦で戦うフットボール選手戦士たちの物だ!』


 ただ視線を集めるだけじゃない。

 大学アメフトキャプテンは、今日このスタジアムにおいて誰が主役か自覚させる発言を導き、あえて何度も繰り返させる。


『それを観客たちに思い知らせてやる!』


 ある意味では催眠にも違いない。

 こうした手順を踏むことで、応援ソングPV撮影他の要素を気にせず、ただただ自分たちの戦いに没入できるようにと。


『全てをこの決戦に捧げよ』

『『『『『おぉぉぉぉぉ……』』』』』

『注目を芸能人から、我ら白熱する試合へと奪ってしまえ』

『『『『『おぉぉぉぉぉ……』』』』』


 キャプテンの試合に向けての煽る言葉に、チームメイトたちの戦意は目に見えるほどに膨らんでいく。


「凄いね。傍から見てて分かる。チーム全員の視線を集められた一人が、全員の想いを代弁する。その想いこそチーム全体の共通認識にして最目的……ね?」


 それを見て、一徹青少年は呆けた顔で感嘆の声を上げる。


「選手たちはその共通認識を耳に、チームとしての最目的として認識し、同じ目的を持った者同士での絆を更に強固にする。今回の場合、最目的は……」

『諸君! 我々は一切の出し惜しみはしない! 戦う! そして勝つ!』

「思い切り戦う事。勝つためには死力を尽くすこと……ね? あ、そっかそっかぁ……そうなんだ。第三者目線で見て分かった。どうして舎弟どもが俺に求めているのか」

 

 一徹青少年の中で、何か納得したものがあった。


「ことあるごとに舎弟どもが発破を求める理由。俺から号令が欲しいわけ。どうやら今回のPV撮影協力の仕事は、受けといて正解だったようだねどうも」


 しかし、すでに戦闘モードへのスイッチが入ってしまった大学アメフト選手の誰一人、一徹青少年の呟きは耳に入らない。


「……今まで以上に舎弟どもにやる気を出させ・・・・・・・・・・・・上手く扱える気がしてきた・・・・・・・・・・・・

『勝ち取って! 今日という日を最高の思い出に変えてやる! そう、この決勝戦は我々にとっての《アメリゴプロリーグ決勝戦ハイパーボウル》なのだから!』

『『『『『っしゃぁぁぁぁぁああああああああっ!!』』』』』


 チームは試合に向けて闘志を際立たせる。


『OK! 行くぞ諸君!』


 高まったチーム全体の視線を集められ、自身も覚悟が決まった大学アメフトキャプテンは、天井に向かって人差し指を掲げる。

 発破を掛けられたチーム全員もキャプテンを取り囲む。倣い、皆が一様に人差し指を天に掲げた。


「……クッククク……」


 だから山本青少年がいま浮かべる表情に、誰も気づくはずがない。


「クヒッ……」 

『《青法中大リーガルダイナソーズダイナソーズ》on Three! 《青法中大リーガルダイナソーズダイナソーズ》on Three! One・Two・Three!?』

『『『『『《ダイナソーズ》! Wow! Hoooooooooooo!』』』』』

「クヒャアッ♡」


 最後、チーム名を全員で叫ぶことで「我らここにあり」と示した大学アメフト選手たちは、高まり極まったテンションのまま、セキを切ったようにアメフトフィールドへと飛び出していった。


「クキャキャキャ! ギャァッハハハハハハッ!?」


 その場に一人取り残され、右掌で両目を多い、天井を仰いで狂ったように笑い猛る一徹の姿を目にするものなど誰も……


「山本さんッ!?」

「んがぁっ?」


 否……


「あらら、《委員長》じゃないの」

「そ、その、私たちがスタジアムに到着したことを山本さんにお知らせしようと思い、探しまして……」

「そか、ご招待に応えてくれたんだ」


 背中から声をぶつけたのは《委員長富緒》。


「もう皆、客席?」

「え、ええ。山本さんに頂いた指定席チケットに合わせて座ってます」


 少し怯えたような、警戒感が宿る瞳。

 見てしまったのだろう。


「じゃ、俺も合流するよ。一緒に行こうぜ?」

「うッツゥ!?」


 何を《委員長富緒》が感じ取ったか一徹は定かじゃないから。


「ど、どーしたのよ《委員長》」


 声をかけ、その脇を通り過ぎようとしたときに《委員長富緒》が身を振るわせた理由が一徹には分からなかった。


「い、いえ。スミマセン。何でもないんです」


 そんな展開に一徹は釈然としない、それでいて心配するような表情をしてくれる。

 ほどなく二人して三組がたどり着いたであろう観客席に向かうが、一徹の背中に付いていく《委員長富緒》は何とも言えない気まずそうな表情を崩さなかった。



「あ、あの《灯里ヒロイン》さん? ぐるじ。ぬ゛。んじゃう」

「当たり前じゃない。殺そうとしてるんだから♪」

「ちょっ! 止めなさいよ石楠灯里! 山クンに何するの! 殺さないで! せめて……この試合が終わるまで・・・・・・・・・・!」

「かっ……カイヒ……それ、フォローになってなひ……」

「へぇ? カ・イ・ヒ……や・ま・クン?」


 この状況、魅卯にもどうしていいかわからない。


 文化祭を皮切りに一徹への本当の気持ちを自覚してしまったと同時、一徹を取り巻く異性の環境はガラリと変わってしまった。


 好きになってしまう前、一徹はあんなにモテなかったというのに。今は……


 一徹の真後ろの席から、《ヒロイン灯里》は身を乗り出し、両腕使ってチョークスリーパーを掛けていた。


「ルーリィやシャル教官の目が無いことをいいことに一層女の子にだらしなくなってる。私の親友を裏切るような真似するような男は、私の手で殺してあげる!」

「だーからっ! 海姫との関係は、海よりも高く山よりも深い訳があるって言ったじゃねぇの!?」


 一徹は女の子に囲まれている。一徹の右隣に座る魅卯は、自分もそのなかの一人にすぎないようにしか思えなかった。


「更に、女の子たちをここまで突き動かしますか……」


 一徹の前の席に座る《委員長富緒》は不安げな表情で振り返り見上げている。


「おまいら! 決勝戦に集中して頂戴よ! それが俺の目的なんだから!」

「そうよ! 折角私と山クンでこの状況を整えたんだから! 今日一日って凄い大変だったのよ!?」


 左隣には、訳あったとしても、一徹のカノジョになった高虎海姫が座っていた。


「いやぁ、モッテモテだね山もっちゃん♪」

「いつか刺されますねぇ(ニコォ)」


 一徹の左前に竜胆陸華、左後ろには亀蛇空麗。


「一徹先輩! その実現のために、一徹先輩の為に協力を惜しまない紗千香の事を評価すべきじゃないですか普通!?」

「んふぅ、山本……バカでしかないよね」


 一徹の右前には胡桃音紗千香、右後ろは《ネコ》と、四方どころか八方を女子が囲んでいた。


 本来容姿レベルは互角なのだが、決して自意識過剰になることのない魅卯にとって、他の美少女たちの容姿は魅卯が足元にも及ばないと思わせた。


(私が一番先に、山本君と出逢ったのに……)


 いいだろう。魅卯が百歩譲ってみるとする。


 ルーリィは理由が理由。仕方ないと割り切ってみる(実際は無理だが)。

 シャリエール、他、山本小隊員の美少女たち。

 全員、魅卯が出会う前の一徹を知っているというのは魅卯も分かっていた。

 認めたくはないが、彼女たちは元からの《一徹ハーレム構成員》なのかもしれない。

 

 だとするなら、この状況は一体なんだというのか。


(今のこの状態、《一徹ハーレム構成員山本小隊》とはまた別の、新しいハーレムが出来てるってことなんじゃないの?)


 何時しか一徹が望む望まないにかかわらず、二つのハーレム枠が出来上がっているようにしか思えない。


 一徹と席を隣に、大学アメフト決勝戦を見ることを楽しみにしていた……のに、周りの女の子の一徹に対する動きが気になって集中も出来ない。


「あぁクソッ、何だってこんなことに。何してやがんだ刀坂。何ひがんでやがる。本来ここにいるべきなのは・・・・・・・・・・・お前なんじゃねぇのか・・・・・・・・・・?」


(えっ?)


 それでなお一徹は、ここにいない一徹の親友であるはずの男子生徒に対し、小さな声で呼びかけた。


「何かしら。今何か言った? 文句でも有るわけ?」

「ないよ《灯里ヒロイン》。なんでもないっす。ありましぇん」


 ハッキリと聞こえてしまったのは、一徹を取り囲む女子たちの中でも魅卯だけ。

 ゴクリ唾を飲んでしまったのは、発言がとても認められるものではなかったから。


(この状態を面倒くさがっている。ということは……)


 女子たちに囲まれながらそんなことを言ってしまう。

 ならばそれは……


私の事も・・・・?)


 そのうちの一人である魅卯の隣にいる事にも、少なからず辟易しているところがあるのではないか……と。

 

「ねぇ山本、今日は誘ってくれてアリガト!」

「いいよ《有希ショタ》! ナイス話題アシスト! 頂戴! もっと頂戴っ!」

「え? ええと……凄く、楽しい」

「そか! 結構なことじゃないの!」


 女子に囲まれていることが苦しい。だからこそ、一徹が女子に囲まれた状態死中に活を見出したのは、クラス男子から話を振られたことだった。


「そういえば決勝戦、凄く盛り上がってるけどどうやったの? 観客が集まったのは、応援ソングPV撮影のために来た芸能人を見るためのはずなのに」

「俺も気になった。観客たちは試合中の大学アメフトチームを意外と応援している。応援にも熱が入っているみたいだが」

「OK! 《有希ショタ》も《斗真縁の下の力持ち》もよくぞ聞いてくれました!」


(……あ……)


 一徹を取り囲む女子たちの外側に三年三組男子が固まって座っていた。一徹の左隣に座る海姫の更に左側だ。


「芸能人グッズで釣ったんだよ」

「グッズって? 釣ったってどういうこと?」


 男子たちに説明するために体ごと一徹が体を捻る……魅卯に背を向けたという事・・・・・・・・・・・・


「芸能人見るためスタジアムにやってきた観客らに、スタジアム入場時とある賭けをしてもらった」

「フン、賭け……だと?」

「釣り餌は非売品の芸能人グッズ。海姫の会社がスポンサーを務めたことで、各芸能事務所、PV製作会社が提供した品々を景品としたのよ」

「あぁやめ給え。嫌な予感がする。そして聞きたくない」

「すなわち勝つのは《青法中大リーガルダイナソーズ》か、《桐桜華明立大インテリジェントゴリラーズ》か。景品は、勝った側を初めから予測していた観客の中から選んで渡す予定だ」

「だぁぁぁ! やっぱりぃぃ! 公務員が、コームインが、賭けの元締め!」

「オッホ♡ いい反応するねぇ《壬生狼政治家》♪」


 ペラペラとまくし立てていく様、本格的に女の子たちに囲まれる状況下から、男友達に逃げたいという気配が魅卯には見えた。


「ただ勝った方を選択しただけじゃ、景品当選候補者が多すぎる」

「クイズを用意したわ? どのチームの誰が、いつどんな形で得点したか。ディフェンスなら、誰がどんな活躍をしたか。ちゃんと試合を意識してみないと、答えが分かるわけ無いわよね?」

「必死になって応援しないわけがないよなぁ?」


 まるで悪戯が成功した仲良し同士みたいに、一徹と高虎海姫は「してやったり」と悪意じみた笑みを浮かべ、拳をぶつけあった。

 それがまた魅卯には嫌だった。


(理由があるとは聞いたよ? でも幾ら嘘だからと言って……山本君の……カノジョって……)


 ルーリィとの手前もある。一徹を前に、久我舘隆蓮との関係を見せてしまったこともある。

 だから想いはなかなか伝えられない。ただ、まごまごしてたとしても、魅卯だって精一杯やってきた。


「フン、それで? その理由というのが俺達に向け殺気漲らせてくるのがいい加減鬱陶しいんだが」

「幻滅させないでくれ給え。仮にもこの国の次期オリンピック代表選手が」

「フム、嫌悪の縁が見える」

「アハハ。でもあの話を聞くと、山本に向ける視線の理由も分かっちゃうな」


 三組男子たちは苦々し気な目であらぬ方を見やる。二人のガタイのいい男が離れたところに座っていた。


 うち一人は試合を楽しそうに眺めているからいい。

 問題は、もう一人が一徹に向かって食い入るように睨みつけてくることだった。


「あれが第一学院桐京校の絡坐修哉。女好きなんだって?」

「私に届かないながら、陸華も空麗も三縞校の女の子たちも見てくれいいから。囲まれてるこの変態のこと、ぶっちゃけ絡坐は面白くないでしょうね」

「変態言うなし」


 予想外のところで、一徹にカノジョが出来てしまった。


「ヤーマ君! 好きっ♡」

「ッツ!?」


 女好きの絡坐修哉のアプローチを避けるため、一徹が海姫の恋人役を務めることになったと魅卯も聞いた。


「はぁぁぁぁ!? 紗千香の前で何見せつけやがるわけこの女!」

「いいねぇ。このまま山もっちゃんと本当に付き合っちゃったら?」

「意外と馬が合いそうですしね?」

「……どんどん、皆さん引きずり込まれています」

「ん、ルーリィに言いつける。山本のバカ」

「私の親友を、私の前で裏切って見せる。殺す。山本はぁ、やっぱり今日、殺す」

「フン、阿呆が」

「自重し給え。これは僕たちもフォローできないぞ」

「い、異性との縁が絡み合って……こんがらがって……」

「あ、縁好きの《縁の下の力持ち斗真》が白目剥いて壊れた」

「ちょぉっ!? お・ま・え・ら・お待ちになってぇ!?」


 しかしそれがいかに一時的な物であれ、胸が苦しくならないわけがない。

 だから……


「山本君っ!」

「えっ……」


 思わず、魅卯は立ち上がる。一徹の手を取って無理やり立たせると……


「場所、変えよっか」


 一徹に呼びかけてしまう。

 座席位置を一徹と強引に交換する。


「つ、月城さん?」

「ど、どうかな。これなら少しは落ち付ける?」

「あ……うん、ありがとう」


 一徹の、このスタジアムでの境遇をガラリと変えてしまうもの。


 真ん中に鎮座し、八方を女子に囲まれていた一徹の状態。座席を変え、先ほどの一徹の座席に魅卯が付くとどうだろう。


「ちょっと! 何されるがまま移動してるのよ!」

「あぁっ行かないでよ山もっちゃぁん!」

「あらぁ、まさかとは思いますが、そういうことですか・・・・・・・・・?」


 少なくとも一徹にとって、それだけで海姫、陸華、空麗から距離が離すことができる。


「へぇ? 魅卯様如き・・・・・がずいぶん気が利くじゃないですか。それとも一徹先輩が他の女の子に囲まれて・・・・・・・・・・必死にでもなっちゃいましたぁ・・・・・・・・・・・・・・? 面白い。見苦しい」


 その振舞いを目に、さっそく嘲笑うのが紗千香だった……が……


「うッ……くぅっ……ッツゥ!」


 魅卯はそれどころじゃない。


「あ、あの……月城さん」


 座席を交換してからというもの、無理やり立ち上がらせるときにとった一徹の手を握り続け、座り直してからというものギュッと握りしめていた。


「チィッ」


 思い切った行動に出過ぎたことで一杯一杯になって、クシャリと目をつむったまま。

 それが面白くない紗千香は舌を討つ。

 だから……


「あぁん♡ 嘘カノジョから離れたくて、紗千香の前に来ちゃいましたぁ?」

「バカっ! 後ろから抱き着いてくんじゃねぇよ紗千香!」

「一徹先輩のイケズ。これは罰ですぅ。紗千香が望まないのに勝手に色々紗千香の事弄んで」

「誤解を招くようなこと言うんじゃねぇ!」


 紗千香は……動いてしまった。


「ねーねー一徹センパァイ」

「なんだよ」


 トントンと一徹の肩を後ろから軽くたたく。

 当然一徹は振り向いた。


「……ン……」

「ンむグゥ! バッ! サチッ……」

「「「「「「「「「「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」」」」」」」」」」


 一徹と紗千香以外に、悲鳴を挙げさせることに繋がった。


(……えっ……)


 流石に悲鳴を挙げられてしまっては、目を開け、見るしかできない。


「ッツゥッ!?」


 隣に座る一徹と一メートルと距離もない。


 その状態で、一徹の真後ろの席に座る紗千香が身を前のめりに首を伸ばす。皆の、そして魅卯の目の前で一徹の唇を奪った。


「んっ……んふっ♡」

「バッ……サヒカっ……」


 紗千香の名をまともに発音できないのは、唇が塞がれているからだけじゃない。

 一徹の舌に紗千香が絡みに行っているからだった。


(ひ……どい……)


 一徹と紗千香の顏は交差する。

 

「くっ」


 もっと嫌な出来事。

 唇が重なるような至近距離。だから一徹が気付かない紗千香の眼差しは、魅卯にのみ注がれた。

 ニィッと瞳は細まる。『お前の物全て、紗千香が奪ってやる』と言わんばかり。


「あ……あぁ……」


 蛇に睨まれた蛙宜しく。

 その目を向けられ、凍り付いた魅卯は微動だに出来なった。

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