テストテストテスト39

「フッフッフーッ! うん、思ったよりも体は訛ってないようだね」

「チュチュゥ? チューチュチュッ!?」

「チューチュー言ってんじゃない。え? 『つーか二週間結構ってきたろ』って? 『テメェ一昨日俺無しでとか無茶しやがって』だと?」

「チュウッ! チュチュッ!?」

「それ言っちゃおしまいでしょ。ちゃんと謝ったじゃない」


 幽霊婆との茶会の為、短くても睡眠だが昏睡だかに落ちていたせいか。時刻は日付を跨ぐってのに目がさえてしょうがない。


「精が出るね一徹」


 下宿の消灯時間はとっくに過ぎて、全館灯は落ちている。

 元はホテル旧館だった下宿。庭もとんでもなく広い。月と星の光を頼り、大戦斧に変態させた銀色マンジュウ相棒を縦に横にと振りかぶっては降りぬいた。


「結構本気でやってたみたいだね。体から湯気が立ち上ってる」

「ルーリィ。五月蠅かったかな。眠れなかったとか?」

「ううん。それよりこの寒空でその恰好は風邪ひいてしまうよ」


 大戦斧での素振りや立ち回り、足さばきを繰り返しているうち、汗が噴き出る。

 戦斧の柄を握り始めた時は長袖ニットを着ていたが、今は下シャツ半袖一枚。

 寒空極まるから、熱くなった体から立ち上る湯気が目立つのだろう。


「なんか眠れなくて。明日には復学。対人訓練もあるだろ。そう思ったら不安が湧き立ってさ。じっとしてられない」

「フゥン?」

「大戦斧を振るうのも久しぶりだよ。受剣ウケの儀で初めてとった得物なのに、最近は二丁も握っている気がして。も少し大戦斧の勘を取り戻したい」

「どうせ精を出すなら私に出せばいいのに。下腹部から力は引っこ抜かれ、腰はくだけ骨も抜かれる。良く寝れる」

「スマン。聞き取れなかった」

「なんでもないよ。ッツ~……にしても本当に冷える」


 わざわざ庭にまで出て声を駆けたルーリィは、自らの身体を抱きしめ、寒そうに組んだ腕をこすり合わせる。

 口から吐くとともに白い蒸気が見て取れた。


「中に戻った方がいい。これでルーリィが風邪引いたら、俺が俺を許せないっつーか。ホレ」

「あ……」


 俺なんざ足元にも及ばない程に戦闘力が遥か高いルーリィ。

 とはいえゴイスー美人に違いない。寒さに浮かべた表情は俺にとって堪えた。


「熱くなってきたから脱いだけど、汗出始める前だったから濡れてない」


 だから先ほど俺が脱ぎ捨てた長袖ニットをルーリィに着せる。


「汗かく前だから、臭くないって信じた……」

「んっ♡ 一徹の匂い」

「わ、悪い意味じゃないんだろうが、それはそれで恥ずい」


 着せられたルーリィは両手で腹の方の生地を摘まみ上げ、自身の鼻に近づける。

 スゥハァと何度も深呼吸していた。


「懐かしいなぁ」

「懐かしい?」

「私たちの出逢いに似てる」


 最後思いっきりニットの匂いを鼻から吸いこんだルーリィは、ハァっと肺の空気を全て吐き出す。


「さる町の宿。その中庭。君が修練中に私が来たように、その時は私の修練中、君が居合わせた」

「……良いのか? 俺の過去って話すのマズいんだろ?」

「君と4月に再開してからここまで、どこまでなら話していいか水際はわかってきた。基本的には話さない方が良いのだろうけど」

「そか。ま、俺も自分から聞きださないようにしてる。話したい時に話して頂戴よ」

「助かる」

「っ……とぉ?」


 ゆぅらりとした足取りで、ルーリィが近づく。


「ちょっ、ルーリィ?」

 

 ルーリィは目の前に来たかと思うと、正面から俺の胴へと抱き着き、抱きしめてきた。


「……付き合おうか・・・・・・?」

「うつっ!?」

「カン違いしてるのじゃないかな? 君の大戦斧の修練に付き合おうかって言ったんだ」

「そ、そういうことね」


(……多分、違う)


「私の槍の修練を見て君は賞賛してくれた。そしてその流れで私と君は模擬対人戦を執り行った。それが私たちの初めて」


(本当は模擬対人戦を付き合うって意味じゃない。カレシカノジョの関係にならないかって意味なんじゃ)


「あの時の私は、君との対人戦に心が躍ったけど。今こうして思い出してみると、初めてのダンスを踊ったんじゃないかとも思えるよ」


(また……告白させた?)


ー好きって……言ってくれたよね。あの時、私はどう反応すれば良かったのかな?ー


(なんで今なんだよ月城さん。って、自意識過剰乙。あの時の告白で俺を意識する? 変な夢覚えてんじゃないよ俺ぇ。アレにはきっと別の思惑があるんだ)

 

「さっきまで一人で修練していた。アップは済んでるだろう? 少しピッチを上げていく。ひとしきり矛を交えたら、体力の消耗もある。きっとよく眠れる」

「そっか? そーだな」


 ゆっくり抱き着いた腕を離したルーリィは、3、4歩俺と間合いを取る。


「……顕現せよイグジスト反応せよリアクト


 どこぞ空間に突き入れた手。静かな声色に反応した何かによって、手首から先を異次元に差しいれられたことで見えなくなる。

 そうして異次元から引き抜かれのち、手に握られていた千変の神鋼マスキュリスを、槍の形へと変態させた。


「んじゃ、お願いしちゃおっか。ルーリィ、ちょっくら胸を貸してもらう」

「貸すなんて。私の胸も身体も全て君のものなのに。でもいいよ一徹。ルーリィ・セラス・トリスクト。ご指名いただき光栄……だっ」


 ……なるほど、ピッチを上げるとの言葉に偽りはない。

 口上を述べきるかきらないかの間で飛び込んできた。

 初手。俺とルーリィの得物はぶつかりあう。肌刺す冷たい星空は、金属同士の衝撃音をどこまでも木霊させた。

 2合、3合と槍先、斧頭が重なり会う一瞬に飛び散った火花が綺麗だった。



「マズいなぁ。眠らきゃいけないのに」


 女子寮、この部屋の主は《委員長富緒》。

 就寝しようとあらかじめ炊いておいたこうの火を消す。甘い香りの中で照明を消したのは2時間前。

 どうにも寝付けなくて、結局むくりと上体を起こしてしまう。


「眠れないのはやっぱり……不安が尽きないから……かな?」


 照明を点灯させキッチンに向かう。厚手のマグカップの、真ん中から少し上くらいまで冷蔵庫から取り出した牛乳を注いだ。


「登校する。山本さんが……2週間の謹慎期間を終え」


 本来なら喜ぶべきだし、実際に富緒だって楽しみにしていた。

 4月に編入した一徹とはすっかり仲良くなった。

 一週間半前、入院を強いられた時、一番最初に見舞いに来てくれたのが一徹。

 「よっ! 暇かっ?」と、奇もてらいもなくニカっと歯を見せてくれた時、初めての入院に感じていた不安を吹き飛ばしてくれた。

 一徹は大雑把に見えて意外と周囲に気が配れる。富緒が助けられたのは実のところ一度や二度ではなかった。


「きっと明日から学院はもっと楽しくなる。三組も明るくなる」


 2週間前、一徹が謹慎に入る直前、三組と三縞校は彼を中心に一体化した。

 輪の中にいた富緒は、来場者と訓練生全ての万雷の喝采を浴びながら、三縞校が一枚岩へと変貌した瞬間ゾクリとしたものを感じた。

 喜び。魂が震えた。


「確信がある……のに……」


 チューブ式のハチミツ。そしてスポイトタイプの容器に入ったレモン果汁を数滴マグカップに追加しラップに掛ける。電子レンジ500ワットで、40秒以内だろうか。


「美味し。落ち付くなぁ」


 第四魔装士官学院生徒会長を一徹が殴り飛ばした経緯での謹慎。

 「これから一丸となった三縞校の快進撃が始まる」という根拠ない期待があった中、興奮も喜びも押さえつけられてしまった。

 歓喜と言う名のマグマは噴火を抑えられている。次の噴火の為に、より一層の力を溜め込むのだ。

 明日、一徹と言う名の引火点フラッシュポイントが、とうとう《一徹待ちの全三縞校生マグマ》に与えられる。

 きっとお祭り騒ぎになる。


ーあぁ……委員長……ー


「ッツゥ!?」


 だからこそ、《皆の一徹》が、《皆の一徹》足りえない姿を晒した一昨日の事を考えてしまう。体は震えた。

 一徹に対する恐れ・・から来るものだった。

 血にまみれた両手。握っていた片手斧とレンチ。

 レンチなど全体が銀色であるはずなのに、粘度高い血に濡れ、輝きくすませていた。

 髪からつま先まで、返り血で真っ赤に身体を染め上げる。

 誘拐先に躍りでた自分に気付き、一徹が向けてきたあの瞳は……光を反射せず、そのまま飲み込んでしまうかのような。

 濁りきった泥沼のような目。


「そんなはず……無いんです」


 記憶がないからこそ、新しい記憶を始めようとする一徹。

 一見にして豪放磊落を感じさせるが、その実、細心の注意を払って人間関係を構築している。

 人懐っこさも気の良さを感じさせるのも、下手を乞いて付き合った誰かに気を悪くさせないために無意識に振舞うから。

 そういう思惑が今の一徹を作った。

 見て取れてしまうからと言って、富緒はそれを馬鹿にするような女の子ではない。

 だからこそ一徹は、信頼に足る、いい男。


「なのに……あのような修羅になったというの・・・・・・・・・・・・・・・?」


 最近、クラスの皆に内緒で独自に調べている事もあった。

 誘拐事件で垣間見えたあの時の鬼の貌の事で、嫌なのに・・・・、一層調査に力が入ってしまっていた。


【もう一度だけ勝負がしたかった。何を勝手に死んでいるんだと】


 出来上がったハニーレモンホットミルクに口を付けながら、スリープモード解除したノート型情報端末で、とある映像を再生した。


【高校三年時の県大会決勝なんて勝負じゃなかった。一度も勝てなかった。勝たせてもらえなかった】


 今や桐京華皇国の英雄、過去のオリンピックの柔道中重量級で三連覇成し遂げた選手の特集番組が、インターネットにアップロードされたもの。


【なのに彼は……さらに私の上を行ったんです。英雄になった。でも……亡くなってしまった】


 今はもう引退しているその男は、声に熱を強く込めていた。

 番組用の演出か本心かは定かじゃないが……感極まってしまったか、恥ずかしげもなく涙を流す。


【ふざけるなよと。私を置いていきやがってってぶん殴……いや、一本背負いを決めたいです】


 その選手こそ、先日富緒がインターネットで見つけたとある年、柔道神那河県大会決勝を、見事優勝した時の写真に写っていた男。

 その年、この男にとって高校三年生時。決勝で彼が下したはずの二位の少年の顔は、一徹にソックリなのだ。

 


「は? 今なんと?」

「あの場でお前たちを試した男に俺も会ってみたい」


 誘拐時、袋を頭にかぶせられたことで目で見ることは叶わなかった。


「試されたとはいえ、あの時聞いた話を組み立ててみるに、お前たちは追い込まれた。ネーヴィスに至っては吸血異常回復があると高を括られた結果、度を越した責め苦を味あわされた」


 が、だからこそあの時の綾人は、聴覚に頼り必死に状況把握に努めた。


「が、その男は俺と灯里、山本・・を助けてくれた」


 変なことを言ったつもりはない。


「最終的にその男はお前たちを認めていたように聞こえた。結構親し気に話していたようだな? あの男の正体や居所、連絡先を知っているのではないか?」

「お会い……したいですか? 会って如何なされます?」

「礼を述べたい。恩には、報いなければならない」

「結構なお考えでございます。ですが……」


 しかしながら蓮静院家三縞別邸で家令を努める一徹称の《オ・ジ・サ・マ♡》が顔を曇らせたことが分からなくて、綾人は首を傾げた。


「申し訳ございません。爺は、あの益荒男の名を・・・・・・・・存じ上げませぬ・・・・・・・

「本当か? どこにいるかもわからんのか?」

「はっ、山本一徹様あのお方の一切を、爺は何も知りませぬ」


 ピンと背をただし、胸を張る宗次。凜と顔をあげて綾人の目をじっと見つめて口にする。

 嘘には思えないが、しかして歯切れの悪さも感じるから釈然としなかった。


「そう……か」


 居間の本革ソファに腰を鎮め、脚を組む。


「その男も、もてなしたかったのだがな」


 ハチミツを溶かした蓮茶ロータスティーを口に運ぶ。


「いろいろ、話を聞いてみたかった」

「話ですか?」

「異種族間の平等を目指し、その男はずっと張り続けてきたという」

「仰ってましたな」

「妖魔と半妖。異能力ある人間、無き人間。揃った三組の願いにリンクしていた。お前とネーヴィス二人がかりを一人で圧倒するほどの化物じみた力は、張り続け、苦労して来たゆえ培った力。理想をどれだけ強く思ってきたかの証明」

「……おやめなさい」

「なんだと?」

「理想を持つことは良きことです。追いかけることも大切。ですが真の山本一徹様彼の者はもはや《ヒト》を辞めている。爺は、坊ちゃまにそこまで行ってほしくありませぬ」

「どういうことだ?」

「やがて目的を果たすため手段を選ばなくなる。道を外し、《外道》を往く《修羅》に堕ちる。《正道》には二度と戻れなくなります」

「俺には、理想を貫く信念の男に思えるが」

「傍からならそう見えることもあるでしょう。が、何より自分で自分を諦めることになるのです」

「自分を諦める?」

「『手を汚してしまった。戻りたい。でももうやってしまった。ならもうどこまで汚れていこうがどうせ戻らないなら一緒じゃないか』……と」

「あ……」

「他者を害し犠牲にし、己が道を行くは《覇道》。が、あの方は幾つもの一線を越えた《外道》。爺は坊ちゃまにはいつまでも《正道》否、《道》を行って頂きたいと」


 自分が興味を持ち、会いたいとまで思った男に対し、家臣でありながら綾人が尊敬まで抱く宗次がその評価を下した。


「縁起でもありませぬが、もし四季女皇陛下が崩御された折、次に登極するのは、坊ちゃんなのです。桐桜華皇国皇室。綾人……殿下・・?」

「そう……だな」


 必聴に値するが、聞いたら聞いたで綾人はそれ以上何も言えなくなってしまった。


「さぁ、今日はもうお休みになりませい。このままでは他の者たちが休めませぬ」


 続いてその言葉を受け止め、綾人は居間を見回した。

 確かに数名のメイドが壁際に控え立っていた。


「『休んでいい』と言ったのだがな?」

「この別邸に居る者すべて、忠誠誓うは蓮静院ではなく、私含め綾人坊ちゃまに心酔した者ばかり。誘拐事件が発生したのです。心配しない者がおりましょうか?」

「分かった。俺も休むことにする。お前たちも今度こそすぐに休めよ?」

「ありがたく」


 綾人は観念したように息を付く。残った甘い茶を一気に口に含んだ。

 

 ☆


ー何か用だろうか。先ほどから視線を感じるー

ーうんにゃ。こちとら寒空の下、ロマンチックに星見酒しゃれ込もうってね?ー


(……アレ?)


 見覚えのない場所に灯里は立っていた。

 

ーならばスマナイ。このままでは風情もへったくれもない。邪魔してしまうか?ー


(この声って……)


ーいや、気にせんで構わんぜー


(え゛っ!?)


ーこっちはこっちで楽しくよろしくやっているー


(この声、まさか私が喋ってる?)


 耳に入るのは男女二人の声。そのなかで男の声だけが一層大きく……と言うか、いつも自分が喋っている時と同じような感じで耳に入ってるではないか。

 ならば今、自分が見ている光景は、この声の主、誰か男のものとなる。


(どうして? こんなの初めて)


ーソレに、正直見惚れていた。なんて綺麗な槍捌きってね?ー

 

 四方を建物に囲まれている。しかしここは野外。なら、中庭なのだろう。

 少し肌寒い。すでに夜に入って長いのだろうが、どういうわけか周囲には灯りの一つもない。

 

ー綺麗な槍捌き? 貴殿・・にはダンスのようにでも見えるのか? 私が……女だからー

ーあぁ、気を悪くさせたならスマナイ。そういう意味じゃない。剣も槍も格闘術だって洗練すればするほど綺麗になっていくって言うー

ーなるほど。突っかかってしまってスマナイー


 星光頼りで会話をしていた。

 なぜか男の声で、しかも自分の考えとは関係なく発言している灯里の状態。暗がりで殆ど顔は見えないが、相手の女の声に、何か確信じみたものがあった。


―その……『女が武術とは何事か』と周囲からぶつけられる―

―男女平等参画社会がトレンドの俺の世界・・・・じゃ炎上しそうな話だ―

―貴殿の世界?―

―こっちの話。男も女も関係ないんじゃない? 男が強けりゃ男が強い。女が強けりゃ女が強い。戦いなんて特にだ。敵対して戦闘になるに男も女もない―

―貴殿もそう思うかっ!?―


 違和感がある。自分の意思とは関係なく口から出てしまう声が、どこの男か知れないというのが一つ。

 そして、そんな灯里の知らない男と、聞き馴染みある声した女は楽しそうに話し始めるのだから。

 それに……


(なんで会話の内容がわかるの? コレ……何語?)


―そうだ、もし構わないなら一つ、私と矛を交えてみてはくれないか?―

―俺ぇ?―

―腰裏に取り付けられた革製の手持ち斧の鞘アクスシースと、太腿に括られた大ぶりナイフ。貴殿もるのだろう?―

―ソイツぁ……―

―私は実戦経験が一度もない。大学練兵課の男子学生たちは、私が女だからと相手をしてくれない。相手をしてくれても手加減が見えて。胸を貸してほしい・・・・・・・・


 建物の壁際に腰を下ろしていた男の声した自分の視界は低いところにある。

 空に星々輝くから、近寄り、見下ろす女の顔はさらに暗がりになって見えない。

 

―さぁ、お手をどうぞ?―


 女は何の抵抗もなく自分に対して手を差し伸べてきた。

 ボリボリと頭をかいた、灯里がジャックする視界の本来の主はため息をつくと、差し伸べられた手を取って……


―申し遅れちまった。俺は、山本・・一徹・・ティーチシーフ・・・・・・・って言うんだ―


(えっ!?)


ーご指名いただき、光栄だー


(山本……一徹? それにティー……ティーチシーフって!?)


 その手を頼りに立ちあがる。


 ――聞き馴染みある声の女と、クラスメイトの男子とあまりに名の似すぎた男の武器どうしが閃いた……瞬間だった。


(今度は……場所が変わった?)


 寒空ではない。今度は何処か建物の廊下に場所が変わる。


(汚い場所)


 木造の建物で壁も床板も古びていた。所々変な染みが残っている。


―どうぞ……―


 灯里がジャックしている視界の男は、声を幾分か遮るやはり木製の扉を推して入った。


―調子はどうだ?―


(ッツゥ!?)


―……シャリエール―


(嘘……シャリエール教官?)


―……旦那様……―


 灯里が驚くのは無理ない。

 ボロボロの侍女着に纏ったのはまごうこと無き灯里たちの担当教官。シャリエール・オー・フランベルジュ。


(ちょっと待って。何かいつもと違……耳……が……)


 違いもあった。見た目は全く同じなのだが、唯一耳の部分。耳たぶと思しきところが、外側に長くとがっているかのような。

 斜め上に伸びるいわゆるエルフ耳とは逆な形。


(……それに……)


―何か、このシャリエールに御用でしょうか。旦那様―


(……怯えている……)


 部屋の中で椅子に座ったまま侍女着のシャリエールは入室した自分の、すなわち灯里がジャックした視界の男を不安げな光を目に湛えて見つめ上げてきた。


―ちょっとお前に頼みたいことがあるんだが―


 その……一言を口にした途端だった。シャリエールは目を見開く。幽霊を見たような、慄いた表情で数秒固まった。


―お前にとって心苦しいのは判って……―

―そう……ですか―

―しゃ、シャリエール?―

―そうですか……かしこまりました―


 そうしてフラリと立ちあがったシャリエールは、よろよろとした足取りで傍のベッドに腰を下ろす。そのまま仰向けに倒れた。


(シャリエール教官?)


―……どうぞ……―


(何をして……ッツゥ!?)


 仰向けに倒れては、両膝をベッドに立てた。膝から腿に伝ってスカートはせり下がる上がる。当然、目に触れてはならない白の下着最終的一線が露わになって……


―や、やめろ……―

―……どうぞ……―

―違うっ!? そうじゃないっ!―


 「どうぞ」と口にするたびに、シャリエールの瞳からは生気が、光が失われていった。

 膝をたて、もろに見えてしまった状態でさらに、脚を広げていた。

 それが、何を意味するのか否応もなく灯里にもわかってしまう。シャリエール・・・・・・は人形に徹する・・・・・・・

 だから感情を放棄するのだと。少しでも感情を残してしまっては、これから受ける仕打ちに対して、感情が察知してしまうから。

 閉じないまま晒した心は、ズタズタに殺される。


―ウップゥッ―


(ウップゥッ)


 図らずも、視界の主の男も、灯里もが同じタイミングで同じ反応をしてしまった。

 視界の主の男は、眼前に広がる、奴隷になることを受け止めた・・・・・・・・・・・・シャリエールを前にして、口元に手をやる。

 何とか吐き気を抑えようとして……


―……どうぞ旦那様……山本・・……一徹・・……様……―


(う……そ……)


―ぃぃぃいぃぃぃやぁぁああああめぇぇぇぇろぉぉぉぉ! ッツゥ!? お゛エ゛ぇ゛ェ゛ェ゛ェ゛ッ゛ツ―


 しかし抑えきることはできなかった。

 咆哮。耐え切れずに膝から床に崩れ落ちた、「山本一徹」と二度示された男は嘔吐が止まらなかった……だけじゃない……


―ヒッ……ヒヒッ……ヒグッヒィッ……―


 そのまま床に倒れ込み喉に両手を当て、何度も体を大きく痙攣させた。


―いったい何の騒ぎですが! ッツゥ!? 旦那様!?―

―アイヤァ。コレまずいネ。過呼吸を起こしてるネ―

―旦那様っ! クソッ! 誰か水をお持ちしろ!―

―ぼ、僕行ってくるよ―


 その時だ。部屋にいくつもの声がなだれ込む。

 倒れ込んでいることもあって視界はそれら声の主たちを移すことはない。


―シャリエール! お前はっ! 一体旦那様になんと言うことをしたのです!?―

―わ、私はこの男が、この男も《・・・・》快楽の為に私の身体を・・・・・・・・・・使おうと・・・・していると思ったから・・・・・・・・・……―

―黙りなさい! このまま旦那様を死なせてみなさい! 私たちの生き残りうるただ一つの可能性セカイを壊すことになる! そうなって見なさい。私は絶対お前を許さない!―

―ゴメン……なさい……―


 信じたくない。信じられようはずがない。

 この狼狽えた声よ。


(聞きたくない……)


―ゴメン……なさい…ゴメンなさい……ゴメンなさ……い……


(聞きたくないよ)


 狼狽えた声は、やがて嗚咽にかわっていく。弱々しく絞り出すような声。

 倒れていることで落ちた視界。泣き始めてしまった声の主を見ることが一層胸を苦しくさせた。


「いやぁぁぁぁぁぁぁッツ!? って……アレ?」


 強すぎる光景に耐え切れず、灯里は跳び起きる。


「……夢?」

「灯里ぃっ!? /アーちゃん!?

 

 悲鳴を上げたから、声二つが飛び込んできた。


「ヤマト……風音……」

「大丈夫か?」

「その、悲鳴が聞こえたものですから」


 まるで先ほどのシャリエールの一件と酷似する。


「……変な夢を見たの」

「変な夢?」

「知らない男の目を通して、フランベルジュ教官と……多分、あのが出て来た」

貴女もですか・・・・・・


 聞きつけたネーヴィスは……


「怖い夢を見たんですね。今日は、お姉ちゃんと一緒に寝ましょう?」


 ベッドの上の灯里に近づき、優しく抱きしめた。


「誰かのしてってこと……か……?」


 灯里の言葉を耳に、ヤマトはふらりと後ずさる。


「一体、誰の血を……ま、まさか……」


 声が……かすれていた。


「いや、でもあり得ない。だったら人間のままでいられるはずが……」

「……悔しいのですか? ヤマト様」

「ッツ!?」


 灯里の耳には届かなくても、ネーヴィスには聞こえていた。


「ですが正直ヤマト様に、悔しいと思えるだけの筋合いがありますか?」

「そ、それは……」

「何も、アーちゃんにしてあげられない貴方が。どのみちもはや諦めているようですし・・・・・・・・・・・・・

「しゃ、《石楠》が許さない。俺は、灯里を困らせたくないから……」

「だから何もできない? したくないだけでしょう? 向き合う覚悟がないだけ」

「ち、ちが……」

「へぇ? 違うんですかぁ?」

「ッゥ!?」


 この話を利かせたくないから、灯里への抱擁を一度解き、再びヤマトに近づいたネーヴィス。


「……もう結構」

「えっ?」

「貴方、もう結構なのですよヤマト様。今の私にとっては、別にヤマト様がいなくとも……」

「お、俺がいなくても? ど、どういうこと……ですか?」


 薄ら笑いを浮かべながら冷めた目でヤマトの目を捉えた。


「もしヤマト様が駄目なら、別に、アーちゃんにはあのお方・・・・がいますから」

「あ、あの……お方……?」

「さぁ、今日のところはもうお休みなさい」


 確信こそ口にしない。

 が、ネーヴィスもヤマトもわかってしまった。打ちのめされたヤマトにはもう、胸を押し、部屋から追い出そうとすることに抵抗できない。


「……

「ッツゥ!?」


 そうして追い出されたヤマトは……ジッと見つめる軽蔑にも似たネーヴィスの挨拶に何も返すこと出来ないまま、寝室の扉を閉じられてしまった。

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