第20話 記憶の中の山本一徹と、目の前の兄さま。
ー……んー
まず取り戻したのが聴覚だった。
パチッ、パヂィッ! という木の弾ける音に気付き、次に視覚を取り戻すに至った。
ーよう、起きたか。よかったー
耳馴染みのない、深く低い、落ち着いた声。
楕円形に、少しずつ広がる視界。
あたりは、ひとところがボヤッと橙色に染まっている以外、闇に覆われていた。
ーッツ!ー
そうして……
ー人間っ!ー
ー起き抜けにそれだけの反応を見せられる。まずは問題なさそうだー
温かみあふれる色に視線を巡らせる。焚火が目に入って、その傍らに座る男を目にしたうえで反応した。
しかし、嫌悪に満ちた声に対し、返ってきたのは至極冷静。
ー服が……まさか
男に対し、昂らずにはいられなかった。
まず、男が自種族の天敵である人間であることが一つ。もう一つは、目を覚ました彼女が、下着姿で横たわっていたからだ。
気絶していた間に何をされたかわかったものではない。しかも人間族によって。吐き気を禁じ得なかった。
ーおっと、勘違いしてくれるな?。ずぶ濡れのまま放置してたら風邪をひく。気を失っていたのが幸いした。水はあまり飲まなかったようだ。正直、心臓マッサージは要領を得なかったが……ー
ーさ、触ったのか! 私の胸に!ー
ーさぁて、それが緊急処置ってやつだから。難儀した。君の場合は俺たちと造りが違う。横隔膜の右側だもんな。人工呼吸も必要そうだったから、先に謝っておくよー
ーッツ! お、おえぇぇ!ー
それが気を失っていた彼女の衣服を剥いだ説明らしい。
理にはかなっている。が、それで納得ができたわけではない。
警戒を解く理由にはならなかった。
唇同士が触れたと耳にした瞬間だ。
急に胃から食道へせり上がる吐き気。恥も外聞もなく地面に向かって放出させてしまって。そののち、彼女は両手や腕で、何度も口周りを強くこすった。
ーま、別に納得しろとは言わないよ。特にお前ら種族からしてみたら、その反応も頷けるー
が、男が彼女に視線を向けたのはそれまで。後は煌々と炊かれた焚火に視線を落とした。
ーそんなことより、も少ししっかりした方がいい。軍官養成機関のオリエンテーリングで山に入って、友達と話すさなか足ぃ踏み外すってー
ー余計なお世話だ! 助けた恩を押し売るつもりか!?ー
ーどうとらえようが君の自由。ただ事実として足を踏み外し、坂を滑落した君は谷底の川に落水、溺れた。油断一つで取り返しつかないリスクはあるはあるんだ。もっとシッカリな?ー
ーくぅっ!ー
その表情が、猛烈な悔しさを与えた。
鋭いようでいて、何も考えていないような、底の見えない貌。
彼女など、まるでいないかのような。眼中にも入っているかどうか怪しい。
ーすでに日は堕ちた。夜の山は危険だから、今日はおとなしくそのまま休んでくれ。ああ、火の番も警戒についても安心していいー
腹立たしくて身を起そうとした。しかし男は、たしなめる際に一瞥も意識を向けてはこなかった。
ーいくら山中でも、一晩と煙を出し続ければ気付いてくれる。俺の仲間は優秀でねー
ー人間族の言うことなど、聞いてられるものか!?ー
ー頼むから静かにしてくれ。お前さんを無事に帰してやらなきゃならない。そのために、ちょっとは協力してくれなくちゃー
ー私は貴様に媚びる、あの
ーそだなぁ。少なくとも……グレンバルドさんに殺されなくて済むかな?ー
ーあ……ー
見くびられた気がして、どうにも反発が収まらない。が、その名前に押し黙った。
親友アルシオーネの父親が、話に出たなら口を紡ぐしかなかった。
ー君はグレンバルドさんの親友の息女だと聞いてる。あのジャジャ馬娘の親友とも。アレを弟子に取ることになっちまって。その友達を放っておけないだろ? えっと確か名前は……ー
ーやめよ。汚らわしき人間如きが、我が名を口にするな。耳が腐ってならぬー
ーナルナイ・ストレーナスー
ー貴様っ! 黙れというに! 誇り高き家名と我が名を穢すなっ!ー
嫌でならないというのに、聞く素振りなく名前を言い切ったところが
ー
ーき、貴様、人の話を……ー
そう、腹立たしかった。
この余裕に満ちた、何を考えているか掴めないうすら笑いが。
「……ナルナイっ!」
「ッ!」
……落雷のような怒声。耳を、体を、そして魂を強く叩いた。
その反動か。突然の猛烈な息苦しさを感じ、体を起こしたナルナイは、喉につかえている物をせき込んで掃き出し、むさぼるように空気を肺に取り込み、やがて落ち着き、再び体を地面に預けた。
「あ……れ?」
先ほどまで、自分が横たわっていた場所は夕闇に包まれていたはずなのに、落ち着き、仰向けのまままっすぐ空を見つめてみると、吸い込まれてしまいそうな青空が広がっていた。
「あ……」
そしてその視界には、他に映ってた者があった。
「に……さま?」
何とか声を振り絞る。途端だ。
不安げにのぞき込む
「よかったぁ。お前に何かあったら、
横たわる自らのすぐ近く。
砂浜に額をこすりつけるほどにうずくまった、彼の声を耳にしたその時、胸の中が鷲掴みされたように苦しくなった。
(夢を見ていたんだ。夢というより、私の中にある兄さまとの記憶)
気づいた。
いつから意識を失ったかは知れないが、二度ほど連続で目が覚めた。一つ目は自分の中の、記憶世界での目覚め。
もう一つは、この現実世界での目覚め。
「たぁ~っ! お前、一人残した俺も悪かったけど、知らない奴についていくんじゃねぇよ。心配するからぁ」
「ごめん……なさい」
「それに本当は泳げないんだろ? 無理しなくてよかったんだ。海にはアイツだけを連れてった。ナルナイはナルナイで、買い物に行きたかったなら、ちゃんと付き合ったし……」
「兄さま……」
昔と今を、一度に経験した。
初めて一徹と出会ったとき、ナルナイはまだ十六歳だった。そしていま、記憶を失った一徹を支えるために、ナルナイがとった姿も十六歳。
肉体年齢自体は同じ十六歳であるはず。しかし、そのどちらにも関わった山本一徹という男に、ここまで開きがある。
感慨は深い。少しもの悲しさすら覚えた。
それ故思わずか、疲れたような口調の一徹の、うなだれた首、後頭部に、彼女は優しく手を添えた。
(記憶が無くとも、貴方は、私を助けてくれるんですね)
「今度はちゃんとお礼が言えます。ありがとう。兄さま」
さらに、ゆっくりとその頭を撫でた。
「バカヤロウ……ゴメンッ」
「……ハイ」
いつもの一徹なら恥ずかしがるところ。
だが、安堵の度合いが強すぎるからなのか、そんな反応は見せなかった。
◇
やっと、三縞市に帰れる。
電車にも乗れた。後は揺られるままに揺られるだけ。疲れたぁ~。
多くは言わねぇ。言いたいんだけど、ちょっと手短に済ませられないくらい、一日が濃かった。
かいつまんで、何とかシンプルに言うぜ?
ナンパと気づいてビーチ中を探し回りました。見つからなくて焦りました。
それでも美少女ナルナイが目立っていたから、複数人に連れられる場面を目撃した人は何人かいた。
予想はドンピシャ。
地元では結構に手癖の悪い連中。泣かされた女子たちの話が後を絶たねぇ。
やり口が汚ぇ。
ナンパ野郎リーダー格が、クルーザー持ちなんだと。で、女の子を沖合に連れて行く。
……逃げ場がない。
おう、特殊機械操作マニュアル、士官学校でもらえ、実技訓練の経験もあって助かった。
ちょうど水上バイクで浜辺から離れようとしたお兄さんに快く貸して(アルシオーネの飛び膝蹴りによってお兄さんは落水)貰った。
二ケツして沖合に出て、予想した通り、一艘のクルーザーを発見。
接近した……まではよかった。
あとわずかってところで、ナルナイが、溺れていた。
ナルナイは間違いなく強い。が、男たちへの暴力より、海に逃げ込むことを選んだ証明。
襲われる。
その恐怖が、戦うことより怖いかったことが痛いほどわかって……アルシオーネがキレた。
まだ三メートルくらい距離はあったかな。
胴体にしがみついていたアイツは、その場で全力跳躍。そこから、クルーザーに降り立っちゃうんだぜ?
「ナルナイは泳げねぇんだ!」って、咆哮を聞いた時にはもう、俺も熱くなっちゃって、海に飛び込んだ(命綱なしに洋上で乗り物から落水した瞬間、
男どもは三分足らずでアルシオーネが制圧。それから白のビキニを
クルーザーに降り立ったアルシオーネの嘆願を聞いて、回収したナルナイを浜辺に移送。
俺の到着で安堵したからか、気を失い、一瞬沈んでしまって海水を飲んだナルナイの緊急処置に必死になった。
「……明日、大目玉だ。学院で」
状況は、ナルナイが目を覚ましたのち、一度アルシオーネを迎えに行って浜辺に戻ってきたところで動き始めた。
他人の水上バイクの
地元の若者たちとの私闘。ナンパ師たち全員に、全治何か月もの怪我を負わせて病院送りに至ったこともあった。
いや、ナルナイを助けるためだったということで、酌量の余地ありとしてその場は収まったのだが、事の顛末は、俺の所属する学院にも伝わることになるのだ。
「やっぱあれだよね。俺の責任問題になっちゃうよねぇ。ナンパ師全員、まだ大学卒業すらしてないのに、もうお世継ぎも作れない体にしちゃったらしいし」
予想してみる。その連絡が行ったのなら、さらにもう一つ
「小隊関連の責任追及は覚悟できてるけど、プライベートなところまで追及されることになっちゃうかよ。やりきれんですよこれは」
「そ・ん・な・俺の面倒なんていざ知らず。コイツら気持ちよく寝てやがってぇっ」
学院から離れ、リゾート地でリフレッシュのはずだった。
海水浴を終えて、着替えてからは三縞市への帰路に就くいま、ストレスをまさか持ち帰ることになるとは思わなかった。
憂鬱なのを
「いや、別にこの際。眠っちまうのはいい。どーにかならないもんかねこの姿勢。身動きができない」
いや、眠っていることに対して特に語るまい。それとは別に問題があった。
左隣にナルナイ。右隣にはアルシオーネ。座席で、俺を挟んで眠っている形。これも問題はない。
悩ましい。
二人とも俺の方に首を預け、それぞれ俺にしだれかかる方とは反対側の手を、俺の身体の前にもっていき、繋ぐ。
まるで二人で俺を抱いているような体制になっている。
正直、窮屈なところは否めないが、何より……
『ちょ、あれ見てよ』
『え? 嘘でしょ? あんな可愛い娘二人が? あり得ない……っていうか、犯罪でしょ』
俺の正面に座っているどこぞの女子高生たちに変な目で見らていること。周囲から疑わしげな眼で見られることが、恥ずかしくてならなかった。
◇
「二人ともお疲れさまぁ」
夕日に焼けた空。
大型の黒いバンがホテルを離れ、完全にその姿が消えた途端、ルーリィもシャリエールも緊張の糸が切れたようにぺたんとその場にへたり込んだ。
「もしかしてあまり為にはならなかったかな? 忠勝さんも『踏み込むな』なんて言ってたし」
山本家の方も、チェックアウトし、帰路についたのだ。
トモカは、脱力しきった二人の前にしゃがみ込み、手をそれぞれの肩に置いて苦笑した。
「いえ、
「ええ。だからこそ、一泊二日の一徹様のご帰還を、思いっきり迎えられるというものです」
それに対して心配してくれるなとばかりに、彼女のかけてくれた手に自分の手を重ねた二人は、ハツラツとした笑顔を返した……のだが、
「思いっきり、迎えるねぇ……」
「トモカ殿?」
「ま、まさか! 一徹様の身に何か」
今度はその笑顔に対して、笑顔が固まったままのトモカは、
「えぇっと……さっき、脂壺の警察署から連絡があってね? どうやら、せめて二人のうちのどちらかを、やっぱり監督として同行させた方がよかったみたい」
視線をシレっとそらした。
この後、
疲れ切ったナルナイとアルシオーネが疲れ切ったルーリィとシャリエールに凄まじい説教を食らい。
気疲れした一徹が、同じく気疲れしたトモカにやっぱりお説教を食らうことになるのだが、それはまた、別のお話である。
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