第19話 箱入り娘は、ナンパ師にとっては格好のっ!

「いいなぁ、アルシオーネ……」


 パラソルの下、日陰で体育座りしているナルナイは、


『ニャハハハ! 小隊長がなっさけねぇったらねぇの! 一年生に防戦一方じゃねぇか!』

『うるせぇ! っていうかお前、手加減しろって! 何度殺されかけたと思ってんだ!?』

『あぁん? いいじゃねぇの。溺れたらナルナイの人工呼吸が待ってっぞぉ? ムチュー! お兄様ムチュー!? おっしゃどうだっ! チョークスリーパー!』

『あぁ、もう嫌だコイツッ!? って、背中に押・し・当・て・ん……あぁぁぁぁぁクソッ! 誰かお助けっ!』


 遠く離れた場所の一徹と、アルシオーネの二人を眺めていた。

 

「応援してくれるっていったのに」


 ため息が止まらない。親友のことが羨ましくてならなかった。


 海水浴に来てからというもの、一徹はアルシオーネにつきっきりになっていた。

 砂浜、水面。

 足元が柔らかいことをいいことに、二人は先ほどからじゃれ合っていた。


 アルシオーネが一徹を締め上げ、アルシオーネが一徹の関節を極め、アルシオーネが一徹を投げ飛ばした。


 はじめは一徹も抵抗を見せていた。思いのほか、投げや極めの技に関しては、アルシオーネとも互角なところを見せた。


 ……ある場面で、アルシオーネのビキニ(上)を剥いでしまい、あらわ・・・にさせてしまった事故が発生。

 あの時の、驚愕という言葉を真っ赤な顔に張り付かせた一徹と言ったら。


 同じハプニングは繰り返してはならないとでも思ったのだろう。一徹の動きは鈍くなり、そこからは防戦一方。


「変に意識してないところが、あの娘の厄介なところなのに」


 少し前のことを、思い出していた。

 一徹が、彼女を武の師匠として鍛えていた光景。もちろん彼方あちらの世界での出来事。


 はじめ出逢ったころ、アルシオーネは彼を猛烈に嫌悪していた。

 しかし彼女の父親が一徹の盟友。その命令ということもあって、嫌々弟子入りした。 

 敵意を煽るだけ煽り、挑発して見せては、軽々とアルシオーネをあしらったもの。


 「せめて一撃だけ」……と、これまで力任せだった彼女は、戦い方を考え、工夫するようになった。

 それでも届かない。

 

 ……そうしてしばらく。


 やっと一撃らしい一撃が届いた。そして彼に認められたことが嬉しかったのだ。

 喜びは、ある種の起爆剤となって、この時にはもう、一徹への彼女の嫌悪は爆散していた。


 元は単純で素直な親友。「師匠、師匠!」と懐くようになって。

 一徹にとってはアルシオーネが二番目・・・の弟子だったこともある。とても可愛がっていた。


 一徹と関わることに、恥ずかしさを感じてしまうナルナイとは違って、ひとっとびで彼の懐に飛び込んでしまえる親友が羨ましかった。


『腹ぁ減った! 屋台に行こうぜ師匠!?』

『わかったから引っ張んな。こちとら体力の限界きてんだよ。つかお前、一応は女子なんだからさぁ、もう少し、つつしみって奴持てない?』

『うっわぁ……記憶なくしても同じこと言ってら』

『なんてつった? っていうか師匠ってなんなんだよ』

『何でもないって! ンニヒヒッ! ハンバーガーとフランクフルトとフライドポテトと唐揚げとかき氷! ぜーんぶ買って!?』

『バカヤロウ! 海水浴に来たら、屋台のまっずいカレーとまっずい焼きそばってので相場は決まってんだよ! ったく、どんだけ食うつもりだよ!?』


(武器を使わず、兄さまに長のある無手むてわざだから。久しぶりに渡り合えるのが楽しくて嬉しいんだろうな)

 

 そしていま、二人はアルシオーネを残して屋台に昼食を買いに行ってしまった。


 ナルナイがこの場に残ったのは、テーブルクロスを広げた場所に置いた荷物を見なくてはならない者を、一人残す必要があったこと。

 あまりに楽しそうな二人の間に、割って入れないことが理由だった。


「良かったぁ。アルシオーネの好きな人が、私の兄上あにうえで。そうじゃなきゃ……」


 きっと一徹は、活発で一緒にいるのが楽しいアルシオーネを選ぶかもしれない。

 ……そんな可能性が、ないわけじゃない。


 師匠としてアルシオーネとかかわる一徹では、いまはないのだ。


 十八歳の健全な男子と、十六歳の健康的美少女。年齢的にも釣り合いは取れてる。

 記憶のない一徹にとって、新入生キャンプを終えた2か月前に出会った異性を、今後意識することは十分にあり得た。


無理に記憶を・・・・・・取り戻させては・・・・・・・ならない・・・・。そんな契約がなければなぁ」


 そんなことが脳裏をよぎって、ナルナイは首を振った。


『ねぇ。君だよね。さっき女の子と一緒に歩いているガタイの良いお兄さんと遊びに来たのって?』

「……え?」

お兄さん・・・・が呼んでるよ?』

「私を……ですか?」

『俺たちが案内するから。ホラ、行こう?』


 と、いつしか考えこんでしまって、二人の背中も人ごみに消えてしまったところで、声を掛けてきたのが四、五人の男たち。


 気さくに笑って、一徹が呼んでいると伝えてきて、手を伸ばしてきた。


 ナルナイにとって「お兄さん」という単語はパワーワードだから、特に疑問を持つでもなく、彼女は、伸ばされた手を取ってしまった。



「関東学生アメリカンフットボール連盟二部リーグのオールスター……か。大学時代のことのようだね」

TEタイトエンドDEディフェンスエンドDTディフェンスタックルのポジションで選手登録をされていたようですね」


 朝の、忠勝の護衛から盗み聞いた話は、シャリエールに展開済み。


 二人はこのホテルの正式な従業員ではない。

 観光のため、山本一家が外出している間を、休憩時間として使えた。


 そこで、自分たちでも入手可能な様々な情報を、手当たり次第に検索していた。


「大学名は、日本明立大ですか。各大学でそれぞれチームがある中で、オールスターに選抜されていた。さすがは旦那様です♪」

「なるほど。すべてはここから始まったのか。私たちの戦のありようを変えたのは」


 インターネットの検索エンジン。

 検索欄に、一徹の名前を入れて出てきたのは二種類。

 件の事件と、関東学生アメリカンフットボール連盟のホームページ。


「あ、これは……」


 カチカチっと、パソコンのマウスをクリックする。

 もう随分昔のオールスター選抜ゲーム。その模様を写した写真がたくさんアップされている中、一徹が映っているデータにアクセスした。


「いい、笑顔ですね。心の底から楽しまれている」


 大勢の、スポーツマン男子大学生たちが笑顔で映っていた。

 全員が全員、オールスター選抜メンバーだから、この時の一徹は、彼らと比べても抜きんでていないのだろう。


 写真からみるに、一徹の所属した側のチームがオールスターゲームを制した。

 中央の選手がトロフィーを掲げていて、一徹なんて、集団写真の一番端っこ。

 それでも汗にまみれた彼は、人差し指を伸ばした右手の甲をカメラに向け、「いっちばーん」とでも言っているように挑戦的に、ハツラツと笑っていた。


「人の死を知らず。人を憎まず、そして……人の死を作ることなど考えもしなかったのだろうな。この時の一徹せいねんは」

「写真では当時二十二歳。私たちの世界に旦那様・・・が転移する六年も前の出来事。現在十八歳の一徹様・・・から、四年後の姿……というわけですね」


 同じPC画面をのぞき込む二人は、感慨深げにため息をついた。


「知らなかったわけじゃないが、私たちの世界での八年が、大きく変えてしまったな。いや、壊してしまったと言った方が……」

「旦那様に記憶を取り戻させることに、躊躇ちゅうちょがあるのですか? ルーリィ・トリスクト様」


 特にルーリィは疲れたような顔を見せる。シャリエールが牽制した。


「この世界にいれば感じる。私たちの世界は、この世界で生きてきた彼にとって地獄だった。私たちにとって、それが当たり前だったから。気付いてやれなかった」

「でも、その地獄の世界で私たちと共に生きることを、旦那様は選んでくれました」

「それは……」


 この世界での一徹を知れば知るほど、ルーリィはしばしば不安に沈んでいた。


「また、悪い癖が出ていますね」

「悪い癖?」

「旦那様にとって何が一番良いかを悩みすぎ、結果、すべてが悪手ではないかと思い込み、何もできなくなってしまう」

「あ……」

「でもその考えこそ、旦那様を孤独にしてしまうとわかっていたからこそ、貴女は堕ちゆく旦那様に食って掛かったのでしょう? だからこそ、私にすらお見せにならなかった心の弱さを引き出し、あの方の感情の逃げ口に成り得た」


 それを、シャリエールは許さなかった。


「口惜しい」

「シャリエール……」

「たまらなかったんですから。私は、貴女よりもずっと長く一徹様のおそばにいたんです。二人で旅をしたことだってあった……のに、あの方のそばに置いてもらえることを許されたのは、旦那様が貴女を選んだ後だった」


 明らかに訴えかけられているのが分かるから、ルーリィはシャリエールに対して何も言えなかった。


「私を差し置いて旦那様に選ばれた、ポッと出の貴女が弱気になることを、絶対許しません」

 

 声が刃となって心臓を貫くのではないかと思わせる冷たい声。

 が、ルーリィが見せたのは、意外にも笑顔だった。


「本当、貴女は私に厳しいな」

「当たり前です。旦那様は、私たちにとっての生きる全てセカイなのですから」

「にしても、ポッと出は酷くないかな。出会いというだけで見れば、君が彼と邂逅する二年も前に……」

「旦那様に再会する前。お郷土くにの第二王子殿下に心揺さぶられた貴女に、それを言う資格があるとは思えませんが」

「それは言わない約束じゃないか」


 本当に、二人は並々ならぬ関係である。

 どう見てもライバルに違いない……が、親友にも見えるような様相が、そこにはあった。



「いんやぁ、悪い悪いナルナイ。屋台がすっごく混んでてさぁ!」

「一応まんべんなく料理は買ってきたつもりだから、好きなやつを……ってあれ?」


 屋台での昼食を買うのに結構時間かかっちまって、置き去りにしたナルナイにも申し訳ない。

 だから一番最初に、好きなものを取ってもらうつもりだった。


「……いない?」


 だが、戻ってきてみれば、広げられたテーブルクロスの上はもぬけの殻。


『あれ? 君たち』


 と、そこでだ。隣でビニールシートを張っていた、家族連れの旦那さんが声を掛けてきた。


『あの子に会わなかったのかい?』

「会わなかったってのは、えっと、どういう……」

『おかしいな。君と同い年くらいの子たちが彼女に声を掛けてね。君たちが呼んでいるから案内するって……てっきり彼らは、君たちの友達かと』


 ゾクリッと、冷たいものが背中を走った気がした。


 俺たち三人で脂壷にやってきた。友達などいようはずがない。

 屋台で昼食を買おうとした俺たちは、ナルナイを呼んでいない。なら、たばかられ、何処かに連れられたというのは容易にうかがえた。


「探すぞ。アルシオーネ」

「師匠、こいつは……」

「ナンパだ」

「軟派?」


 本当、ここしばらく頭が痛くなってならない。

 掃除だけではない。こういうところでも、ナルナイは世間を知らなかったらしい。


「クソッ! 予想はできたはずだった。ナルナイを、急いで見つけるぞアルシオーネ!」

「ちょ、状況が分からねぇんだけど」


 男数人で女子に声を掛ける。適当に理由をつけて釣り上げたのなら、ナンパに相違ない。


 士官学院の一年生。それも一年生だけで見るなら全国でもトップクラスの強さを誇る。それが評価。

 だけど、安心はできなかった。


 俺の評価じゃあ、淑やかなナルナイはそもそも争いを好まない。そして、恐らく押しに弱い。

 男たちに囲まれ、集団から向けられる圧力に流されないとも限らない。


(自分の身内に起きると、こうも不安になるかね。ナンパってのは)


「クソッ! 知らずのうちにないがしろにしてた俺の責任になっちまうじゃねぇか!」


 そうして、「アンタがかろうじて覚えている記憶は別人の物」と、トモカ姉さんに言われているから気にしていないだけで、その誰かの記憶はわりかししっかりしているから、思い当たる一つのことが気がかりで仕方がなかった。


「くそ! 一度でいいから《素人ナンパシリーズ》を見てみたかったのに! 楽しめる気がしねぇ!」


 そうしてどこかに連れ込まれ、無理やり、ナンパ野郎どものいいようにされたりなんかしたら……


 事故に会って、トモカさんにあの下宿に引き取られて、AVなんてひとっつも持っていない俺は、しかし誰か別人の記憶があった。

 そこから導かれるのは、最悪の結末。


「とにかく探せ! 容姿が目立つからそれほど時間はかからねぇはずだ!」


 だからアルシオーネに向かって吠えた。

 普段お調子者のこいつも、俺の言葉に何かを受け取ったのか、不安げな表情を浮かべ始めた。


 時間が惜しい。

 言い残し、その場から離れようとした俺の背中に、


「守らねぇと。トモカ、リィン。師匠は、俺がちゃんと俺が守る……よ?」


 アルシオーネが何か言ったようだが、気にはしていられない。

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