第50話 不安
夢を見た。
どんな内容だったのか全く思い出せないけれど、その夢に佐倉が出てきたのは確かだ。
目尻が濡れていて、自分が泣いていたことに気付く。
悲しかったからなのか、嬉しかったからなのか、それさえも判らないのに、俺は夢の中でも「佐倉」と呼んでいたことだけは憶えている。
二人の時は「美由紀」と呼んでいても、心の中ではいつも「佐倉」だ。
「美由紀」と呼ぶのは、少し照れ臭くて、晴れがましいような気分になる。
その名前を呼ぶということは、少し特別なことで、心が弾むようなことなんだ。
電話の呼び出し音で目覚めを認識する。
電話は佐倉からで、僅かな時間しか眠ってないように思えるのに、もう放課後になったのか。
「もしもし」
電話に出ながら、部屋の時計を見る。
あれ? まだ1時過ぎで、午後の授業が始まったところだ。
「あなたの家の前にいるのだけど」
まさか午後の授業をサボったのだろうか?
「鍵は開いているから勝手に入ってきてくれ」
金属製の扉は大きな音を立てるはずだが、佐倉は気を使っているのかカチャリという音だけが聞こえた。
ややあって、佐倉が襖を開ける。
目が合うと微笑んでくれるが、どこか硬い表情に見えた。
「サボったのか?」
「ええ。生まれて初めてね」
佐倉は自嘲気味に笑いながら、俺の枕元に座る。
「何でまたお前みたいな優等生が」
「授業が終わってからだと明梨ちゃんに邪魔されるかも知れないから」
「それだけ?」
「あとは……早く会いたかったからよ」
その言葉には真実味があったけれど、単純に「会いたい」というものとはどこか違って感じられた。
早く会いたい、だけではなく、何か焦燥に駆られるようなものが含まれているのではないか。
「何か不安があるのか?」
「どうしてそう思うの?」
「俺の知ってる美由紀は、会いたくても表面上はもっと冷ややかかな。授業をサボったり、さっきの電話みたいな甘え方はしないと思う」
佐倉は嬉しそうに目を細めて、だけど悲しそうに笑った。
それは、自分のことを判ってくれていて嬉しい、ということと、不安があるというのが当たっていることを表していた。
「不安は、あなたが風邪を引いたからよ。それだけ」
そう言って、誤魔化すように鞄の中からゼリーの栄養補給食品やら100%みかんジュースなどを取り出す。
「美由紀」
「なぁに」
いつもの自分に切り替えたのだろう、少し甘えた返事は、たぶん俺を甘やかそうとするものだ。
「呼んでみたかったんだ」
「何よ、それ?」
「呼ぶ度に、嬉しくなって、呼ぶ度に胸が弾んで、呼ぶ度に幸せになる魔法みたいな言葉だから」
熱のせいか、あまり恥ずかしいと思うこともなく、素直にそう言えた。
「……そんな嬉しくなること、言わないで」
佐倉は嬉しいと言った。
でも、言葉とは裏腹に、佐倉は泣いたんだ。
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