第32話 男の矜持
明梨はいつも、わざわざ俺の部屋に「ただいま」を言いに来る。
俺の妹は可愛いし偉い! と思う。
でも今日ばかりは、そんなことを言ってられない。
出来れば俺をスルーして、母親と話し込んでいてもらいたい。
だが、そんな可能性は最初っから無かったのだ。
俺の部屋を訪ねるまでもなく、恐らくは玄関にある佐倉の靴に気付いたのであろう、ドスドスと明梨らしくない足音が凄い勢いで迫ってきた。
佐倉の顔は強張っている。
が、何か決意を秘めているようにも見えた。
「お兄ちゃん!」
ノックも無しにバーンと襖が開け放たれた。
羅刹がいた。
まだ般若の方が可愛かった。
人はいつも後になって思うのだ。
ああ、あの頃は良かった、と。
「明梨、お兄ちゃんはお客さんが来てるから静かにしなさい」
間の抜けた母親の声など意に介さず、ズカズカと部屋に乗り込んできた明梨は佐倉の前に立つ。
明梨が佐倉に喚き散らす前に、ここは俺が何か言って和やかなムードにすべきだろう。
「俺さぁ、中間テストが終わったら、佐倉とデートするんだ」
イカン、これじゃあ死亡フラグだ!
佐倉を睨み付けていた明梨の視線が、ゆっくりとこちらに向けられる。
「何て言ったの? お、に、い、ちゃん」
人は、これほど器用に、口は笑って目は笑わずにいられるものだろうか。
いや、そもそもこの口は笑っていると言えるのか?
例えば吸血鬼が今まさに獲物に襲い掛かろうとするときも、こんな風に口を開け、歯を見せているのではないか?
「答えてくれないの? じゃあ訊くけど、佐倉さんはデートをオーケーしてくれたの?」
おい明梨、お前は佐倉を責める気満々だったのに、どうして的確に兄の弱いところを抉ってくるのだ。
「いえ、まだです」
おい俺、お前はどうして妹に敬語使ってんだ。
「だいたい、お兄ちゃんだって、佐倉さんに自分が相応しくないことくらい判るじゃん」
「いや、そこは否定し難いんですが、相応しいか相応しくないかの問題では無くてですね」
「もう、そろそろ兄としての自覚を取っ払ってくれなきゃ困るよ」
は? 何言ってんだコイツ?
「この間からお風呂上りに下着姿でウロウロしたり、ごめーん、間違ってお兄ちゃんの歯ブラシ使っちゃったぁ、とかやってんのに、いつまで兄の体裁保ってんの!」
え? 俺、なんで兄であることを叱られてんの? しかもお前の行動、兄妹だから許されてるけど、兄妹じゃ無かったら、もはや痴女だよね?
というか、俺は何もしてないのに、どうして佐倉から汚物を見るような視線を向けられにゃならんのだ。
ここは威厳を見せて、潔癖を証明せねば!
「ふ、お前の貧乳など興味無いわ!」
明梨の華奢な肩、か細い腰、控えめな胸。
本当は好ましく思っているけれど、ここは心を鬼にせねばならんのだ。
「貧乳で悪かったわね」
佐倉、お前もか!
心を鬼にしたつもりで余計なことを言って、本当の鬼まで呼び出してしまった。
俺はスマホを手にして、「四面楚歌」と打ち込み検索する。
現実逃避しようとスマホに触れたのに、何故自分を追い詰めるような語句を検索してしまったのか。
相当混乱しているようだ。
「お兄ちゃんだって、大して立派じゃないじゃない……」
「!?」
明梨がぼそっと呟いた、衝撃の言葉。
俺は更に混乱し、その真意を測り兼ねる。
確かに俺は立派な兄じゃないかも知れない。
俺のブサメンのせいで明梨には苦労を掛けたし、もっと頼れる存在でありたかったとは思う。
だが、ここは俺の沽券にかけて言わねばならない──
「お前、俺のMAXサイズ知らんだろーが!」
街中の集合住宅の一画に、ひとときの静寂が訪れた。
「誠、女の子が来て嬉しいからって、大きな声出さないの」
台所から聞こえてくる、能天気な母の声が虚ろに響いた。
俺は「白眼視」という言葉をスマホで検索する。
やっぱり、俺の思っていた通りだ。
俺は画面に表示された文字を見て、自分の知識が間違っていなかったことに安堵した。
「そろそろ、お暇するわ」
いや、安堵してたら駄目だ。
俺は自分が置かれた状況を言葉にし、それをスマホで再確認して現実逃避するという高等スキルから目を覚ました。
「佐倉、聞いてくれ」
「嫌よ、どうして私があなたのサイズなんて聞かなきゃならないのよ」
「違う。そんなことを言いたいんじゃない」
「お兄ちゃん、私、聞いてあげてもいいよ? だってほら、今後の参考のためにも……」
「いや、明梨は黙ってて」
「じゃ、お二人仲良く」
「ちょ、佐倉」
佐倉は腰を上げ、ツンと澄ました顔で部屋を出る。
母親に挨拶をする声が聞こえ、気配が玄関へと遠ざかっていく。
マジで帰る気のようだ。
「待てって」
俺は慌てて玄関まで追いかける。
多少、下品なことは口にしたかも知れないが、別に佐倉を怒らせるようなことは言ってないはずだ。
怒らせたのだとしたら、明梨とのやり取りというか、それがイチャついているようにも見えたことか。
佐倉は背中を向けたまま靴を履き、背中を向けたままドアを開けようとした。
「佐倉」
背後で明梨が喚いているのを無視して強く呼んだ。
佐倉はドアから身体を出したところで動きを止め、やっと振り返った。
何故か勝ち誇ったような笑み。
「送ることを許可するわ」
Mに目覚めそうだった。
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