第30話 母と佐倉

取り敢えず我が家の玄関の前まで来た。

古びた鉄製の扉が、今日は何故か侘しく感じる。

俺の家は3DKだ。

DKが八畳くらい、二つある六畳の部屋は、それぞれ両親、明梨が使い、俺の部屋は四畳半だ。

下手をしたら、全部合わせて佐倉の家のLDKくらいなんじゃ……。

家に入るのを躊躇っているのは俺だけじゃない。

隣にいる佐倉もまた、ひどく緊張した面持ちで、いまにも踵を返しそうだ。

この時間だと、母親はパートから帰っているし、天敵とも言える明梨もいるかも知れない。

最初は佐倉の家でするのかと思ったのだが、 家に男子を連れ込むのは何かと恐ろしいことになりそうだと言うから、仕方なくここまで来た。

「いいか?」

「え、ええ」

俺は鍵を開け、ゆっくりと扉を押した。

台所から水の流れる音が聞こえてくる。

母親はいるようだが、玄関に明梨の靴は見当たらない。

「ただいまー」

声が少し上擦ったものになる。

「お邪魔します」

佐倉の方は声が出てない。

靴を脱いで短い廊下を数歩進めばダイニングキッチンだ。

「あー、おかえ──」

背中を向けて料理中だった母親は、振り替えって絶句した。

「えっと、クラスメートの佐倉。ちょっと勉強会することになって」

固まっていた母親の顔が、みるみる歪んでいき、しまいには涙ぐむ。

いや、そりゃあ女に縁は無いし、将来を心配してただろうけど大袈裟だろ。

まあ佐倉の容姿を考えれば、驚くのも無理は無いが。

「あんた、そこまで……」

は?

母親はおもむろに財布を取り出し、慈悲深い目で俺を見た。

「幾らかかったの?」

は?

俺は母親の言動に着いていけない。

「私だって聞いたことあるのよ、レンタル何とかっていうやつでしょ?」

いやいやいや、ちょっと待て!

「だからコイツはクラスメートで──」

「いいから! あんたがそこまで切羽詰まってたなんて、気付いてあげられなくてごめんね」

俺っていったい……。

「制服まで合わせてもらって、オプション料金とか高いんでしょ? 今回は母さんが払うから」

「おい佐倉、何とか言ってくれ!」

「あ、えっと、私、誠君のクラスメートで、その、いつもお世話になってます!」

誠君と呼ばれるのは初めてのことで、ちょっと胸がときめいてしまうが、そんなことより母の目の生暖かさよ……。

「さすが上手いものね。初々しく見えるわ。あなたみたいな綺麗な娘さんをレンタルしたら、一時間当たり幾らなの?」

「いえ、あの、本当にクラスメートで……そうだ、これ」

佐倉が生徒手帳を取り出した。

こんな頭のおかしなやり取りをしていても、佐倉は即座に対応する。

さすがに、生徒手帳まで偽造するオプションがあるとは考えまい。

「じゃああなた、お金を受け取らずに引き受けてくれたの?」

なんでそうなるんだ!?

アンタの息子はどれだけ惨めなんだよ!

ホントに俺っていったい……。

「ふふっ」

あ、佐倉が笑った。

「おかしー」

あの佐倉が、顔を伏せ、肩を震わせて笑いを堪えている。

なんだこの可愛らしい生き物は。

こんな子が俺の家にいて、これから二人で勉強するというのだから、母親の気持ちも判らなくもないか。

「まあとにかく、勉強しに来ただけだから、邪魔しないでくれよ」

ポカーンとアホ面を晒している母親にそう告げて、俺は笑いの収まらない佐倉を自室に連れて入った。

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