第15話 佐倉、怒る
あの日以来、一人で掃除することが無くなった。
石田は他の男子にも声をかけてくれたりしたけれど、何となく最初のメンバーで掃除することが多い。
石田を目当てに女子が手伝おうとすることもあるが、佐倉もいることに気付くと帰ってしまう。
佐倉に物怖じせず対等に渡り合えるのは美旗くらいで、男子も女子も佐倉に憧れていながらも、全般的には敬遠したい気持ちが強いようだ。
まあ判らなくはない。
ただでさえ近寄りがたいほどの美貌であるのに、愛想の欠片も無いし、何かと上から目線だし。
そんな佐倉と、一緒に帰っている。
学校から駅までは少し離れて歩いていたが、今は駅のベンチの隣に座っている。
「あのビッチ、今日は掃除に現れなかったわね」
もはやビッチと呼ぶことを隠そうともしない。
クソが付いていないだけまだマシか。
「今日は早く部活に行かなきゃならないって言ってたからな」
「え? ビッチ部なんてあったかしら?」
「茶道部だよ」
「似合わないわね」
俺も最初はそう思ったが、最近はそうでもない気がしてる。
昼休みに弁当を食べるときの所作や、毎度ちゃんと椅子を引いて席を立つところとか、意外と育ちはいいのではなかろうか。
だらしない喋り方はともかく、朝だって早いし、宿題の類も忘れたことは無かったはずだ。
「あの子、去年の今頃、転校してきたわよね」
クラスは違ったが、美旗は1年の秋に転校してきている。
「それがどうした?」
「何でもないわ。それより、勉強は捗ってるの?」
中間テストまであと10日ほどだ。
「私を見返したいだけなら、頑張っても無駄よ?」
それはどういう意味だろうか?
俺が頑張ったところで負けないという自信だろうか?
それとも、どんなにいい成績を取っても意味は無いということだろうか?
あるいは、見返すという動機では駄目だということだろうか?
「やっぱ明梨のお兄さんヤバいよね」
え?
突然、思考に入り込んできた女子の声。
背中合わせの後ろのベンチに座っている二人組からだ。
「ちょー美人とイケメンさんが掃除してるのに、間に入って邪魔するとか有り得なくない?」
俺の真後ろに座っているのが明梨のようだが、声は聞こえない。
たぶん、困ったような笑みを浮かべているんだろう。
一人で掃除をするのは傍目にはみっともないらしいから、協力を仰いで今の状態にしてみたものの、どうやら裏目に出てしまったようだ。
明梨には、申し訳ないなぁ……。
「明梨からも言っといた方がいいよ。アレは情けなすぎっしょ」
佐倉が不意に立ち上がろうとする。
俺はその肩を押さえて制止する。
「飲み物を買いに行くだけだから」
佐倉は酷く冷たい表情でそう言い、自販機に向かった。
「あたしの兄貴もイケメンってわけじゃないけど、あたしにはちょー甘くてさぁ、何か買ってほしい物ないか、とか言って、もうシスコンかっつーの」
明梨の友達らしき女子は、ギャハハと下品に笑う。
「優しいから」
「え?」
え?
明梨の、小さな声。
「私のお兄ちゃん、誰より優しいから」
明梨……。
「もう、優しいのは明梨じゃん。そりゃ身内だから庇いたくなるのは判るけどさ、あんなお兄さんには少し厳しくした方がいいと思うよ?」
「あなたはもう少し自分に厳しくした方がいいんじゃないかしら?」
この声、佐倉!?
俺は慌てて立ち上がり、後ろを見た。
買ったばかりのミネラルウォーター、外したばかりのキャップ、傾けられたペットボトルからは勢いよく水が流れ出て、西日を受けてキラキラと光っていた。
「掃除してた、ちょー美人?」
水の落ちる先には明梨の友達がいて、何が起こったのか判らないという目を、濡れた髪の間から覗かせていた。
「佐倉、やめろ」
既に遅いことは判っているが、言わずにはいられない。
俺は明梨の友達にハンカチを渡そうとして、俺のハンカチなど使いたくはないだろうことに思い当たり、鞄からポケットティッシュを取り出す。
未開封のポケットティッシュの方が、まだ抵抗は少ないはずだ。
だがそれは、勢いよく弾かれてホームに落ちる。
「アンタら何なのよッ! こんなことをしてタダで済むと──」
佐倉が、明梨の友達の肩を、ベンチの背もたれに叩きつけるように押さえ込む。
「っつ!」
「佐那!」
明梨が立ち上る。
明梨の友達は、佐那という名前らしい。
「せめて、120円分の反省くらいはしてくれる?」
佐倉は明梨に一瞥もくれず、どこまでも冷たい視線で佐那という子を見下ろす。
「佐倉先輩、やめてください! 私が、私が悪いんです!」
明梨の悲痛な声に、さすがに佐倉も腕の力を弱める。
明梨……いったい何を言ってるんだ?
お前に悪いところなんて、有りはしないのに。
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