第11話
翌日。十一時四十五分。
約束通り駅前で待っていた椎の前に、私服姿の神無月弥生が現れた。
「早いね」
弥生はいつもの気怠そうな微笑を浮かべて、椎のもとにゆっくりと歩いてくる。灰色のパーカーに、プリーツスカートがよく映えていた。
椎は無言で弥生を見つめ、それから迷うように口を開いた。
「今日はどこに行く予定なの?」
クス、と弥生が小さく笑う。
「なに? 緊張してるの?」
弥生はそう言って、クルリとその場で一回転する。スカートがふわりと舞い、健康的な太股が露わになった。
「まずは、服装を褒めるのがデートの定番じゃない?」
「……似合ってるよ」
椎が絞り出すように言うと、弥生は上機嫌で椎の手をとった。
「さ、行こうか」
椎は何も言わず弥生に手を引かれるままに歩き始めた。何を言っても無駄な気がした。
「椎は」
前を向いたまま弥生が口を開く。
「お腹減ってる?」
「……あまり」
正直に答える。
昨夜、弥生からデートの誘いが来てから一向に食欲が湧かなかった。
「軽いものだったら入るでしょ? まあ、無理に食べなくてもいいけど」
弥生の問いに、多分、と短く返す。
それで会話が途絶えた。
互いに何も話さないまま、歩道をゆっくりと進む。
見覚えのある道だった。
向こうの通りに、昨日優香と昼食をとった喫茶店が見えた。
弥生は迷わず、喫茶店に向かって歩いていく。
嫌な予感がして、横目で弥生の表情を盗み見る。いつもの表情に乏しい顔をしていて、全く考えが読めない。
「食事、ここで良い?」
喫茶店のすぐ前までくると、弥生は足を止めて椎の顔を覗きこんできた。まるで椎の反応を楽しんでいるようだった。
椎は感情の籠らない声で、いいよ、と短く答えた。
弥生が先頭に立って中に入る。昨日と同じ店員がいた。
昨日とは違う窓際の席に向かい、弥生と向かい合う形で席につく。
「何食べる?」
「たまごサンドとホットコーヒー」
反射的に、昨日注文したものが口から出た。
「ふうん。じゃあ私も同じやつにしようかな」
そう言って、ちょうど水を持ってきた店員に弥生が二人分の食事をまとめて注文する。
確認を終えた店員が去っていくと、椎は警戒するように弥生を見つめた。視線に気づいた弥生が微笑を浮かべて気怠そうに首を傾げる。
「なに?」
「……いきなり呼び出したってことは、なにか話があるんじゃないの?」
その問いに、弥生は目を瞑って首を横に振った。
「何も」
一瞬の沈黙。
椎は困惑したように、問い返した。
「何も?」
「そう、別に大事な用件があるわけじゃない。ただ、遊びに誘っただけ」
弥生の表情はいつもと変わらないままで、その真意はわからなかった。
直後、店員が食事を運んできた。
沈黙が訪れ、そのまま食事が始まる。
食欲が湧かないまま、椎は無理矢理たまごサンドを口の中に詰め込んだ。
早く、店を出たかった。
◇◆◇
「次、カラオケでいい?」
昼食を終えて喫茶店を出ると同時に、弥生が言った。
椎は弥生の目的を図りかねて、警戒するように弥生を見つめた。
黙り込んだ椎に、弥生が怪訝そうな顔をする。
「なに? カラオケ苦手だったりするわけ?」
「……大丈夫だけど」
「すぐそこにあるから」
そう言って、弥生が椎の手を引く。彼女が向かったのは、昨日優香と入ったカラオケ店だった。
「……弥生。ずっと見てたんだ」
呟くと、弥生が暗い笑みを見せた。
「私は、椎の事ならずっと見てたよ。ずっと。椎が気づいていなかっただけ」
繋いだ手が一層強く握られた。
弥生が受付を済ませ、そのまま一緒に部屋へ向かう。
部屋に入るなり、弥生は選曲用の端末を手にとって無言で操作を始めた。
そんな弥生の姿を見ながら、椎は意を決して口を開いた。
「ねえ、弥生」
「なに?」
端末に目を落としたまま、弥生が聞き返してくる。
椎は彼女から視線を外し、何もない壁を見ながら告げた。
「ボクは弥生に対して恋愛感情、全く持ってないよ」
端末を操作する弥生の手が止まった。
それを横目で見ながら言葉を続ける。
「弥生は――」
端末を見下ろしていた弥生の顔が勢いよくあがる。
「うるさい」
低い声が響くと同時に、端末が投げつけられる。
咄嗟に身体を庇うように前に出した右腕に直撃し、鈍い痛みが響いた。
「うるさい。そんな事、誰も聞いてない」
右腕を抑えて苦痛に顔を歪める椎に、弥生が立ち上がって詰め寄る。
乱暴に顎を掴まれ、上を向かされる。そして、そのまま弥生の唇が無理矢理押しつけられた。
「……んっ……っ!」
「飲んで」
一瞬、弥生の口が離れ、次いで唾液が流しこまれる。
同時に弥生の腕が背中に回され、ソファの上に押し倒された。
椎は痛む右腕に顔を歪ませながら、弥生の凌辱をぼんやりと受け入れた。
何故か、怖いとは思わなかった。
「もういい。出る」
不意に弥生が唇を離し、立ち上がる。
椎も黙って立ち上がり、弥生の後を追って部屋を出た。
「ねえ、弥生」
薄暗い通路を歩きながら、声をかける。
弥生は前を向いたまま、何も言わない。
「こんなこと繰り返しても、ボクが弥生を好きになることはないよ」
弥生は、振り返らない。
受付につき、弥生が会計を済ませる。
そのまま、無言で店を出た。まだ日は高く、暖かった。
「ついてきて」
短く言って、弥生が歩き出す。
椎は黙ってその後に続いた。
徐々に駅前から離れ、怪しげな雰囲気が辺りに漂い始める。
「……弥生」
制止の声を無視して、弥生は先を進んでいく。
弥生は物怖じせず、建ち並ぶ建物の前で足を止めた。
「来て」
暗幕の垂れた駐車場から弥生が先にエントランスをくぐった。椎も僅かに躊躇した後、中に入った。
ロビーにはパネルが並んでいた。弥生が端末を操作して部屋を選択する。それからフロントへ向かい、鍵を受け取るのを椎はぼんやりと見つめた。
フロント係は、どう見ても未成年である椎と弥生を見ても何も言わなかった。
「いくよ」
弥生が小さく言って、エレベーターに向かって歩き出す。椎は黙ってその後を追った。
エレベーターに乗り込み、沈黙のまま目的の階に辿りつく。エレベーターから出ると狭くて静かな廊下が広がっていた。
弥生がきょろきょろと部屋を見渡しながら進んで、ある部屋の前で立ち止まった。鍵を回すと、かちっと小さな音が鳴った。
ドアが開き、弥生に手を引っ張られるように中に入る。芳香剤の香りがした。
「ねえ。弥生。こんな事続けたって――」
唇を塞がれ、言葉は失われる。
「うるさい」
弥生の冷たい声とともに、視界が反転する。
そして、上から弥生の華奢な身体がのしかかる。
「今日の椎は随分と反抗的だね」
昏い瞳が、椎を見下ろしていた。
彼女の細い手がするりと服の中に忍び込む。柔らかく冷やりとした不思議な感触だった。
「さて、お仕置きしないと」
弥生は気怠げで妖艶な笑みを浮かべてそう言った。
背筋を嫌な汗が伝った。
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