花零れの夢とナチュラルセクハラ

 温かな光と小川のせせらぎ。色とりどりの花が咲き乱れる花畑に私は立っていた。


 何故だろう? ここを私は知っている気がする。


 でも、どんなに記憶を辿っても何処なのか思い出せない、けれど、知っている。

 だって、懐かしさや『帰って来れた』と安心感が溢れて止まらない。胸が締め付けられるほど、ここに来れて嬉しいのだ。


 こんなに心が揺さぶられる場所を、知らないはずが無いのだ。


 ゆっくりと花畑の中を歩きだす。そこそこ背の高い花や草があるので、気を付けながら。


 歩きながら、私はここにあるはずの物を探していた。


 小川の近くにあるはずの、船の形をした岩を。


「あ」


 辺りを見回して見つけた岩。


 その上に腰かけている人の姿に私は涙を零す。全身に痺れが走って、胸の中が自分ではどうにもできない感情で溢れかえる。同時に忘れていた事も、蘇った。


 足元が悪い事も頭から消え、その人へ駆け寄った。


 会えた。


 やっと、会えた『私』の……。


「――――っ!」


 涙声で叫んだその人の名前は何故か、聞き取れなかった。


 それどころか、言葉としての文字も音も頭に浮かばない。ちゃんと口は、声は名前を呼ぶのに……。


 血の気が引いた。

 あの人の名前を自分では認識できない事が悲しくて、気付いてもらえないのではないか? と、怖くなった。


 反射的に止まろうとしたせいで、足がもつれ身体が傾ぐ。


 転んだと気付き、痛みを覚悟したその時。


「お前は変わらずそそっかしいな」


 優しい声と『私』を抱き留める腕に、顔を上げると美しい翡翠の髪と瑠璃の瞳を持つ彼が、『私』を見て微笑んでいた。


「花の一つでも飾れと、いつも言っていただろうに。忘れてしまったか? ……王の花の姫」


 最後だけ言いにくそうにした彼は『私』を抱き上げ岩の上に座らせると、近くから花を数本手折り『私』の右耳にかかる髪をかき上げてそこに花を挿しこむ。


 何処にあったのか、牡丹の花を中心に淡い色の花を添えて。


「あぁ、懐かしい。こうするのは本当に、久しぶりだ」


 ええ、本当に。


 あなたに髪を飾ってもらうのは、前が思い出せないほど昔の事だから。


 涙が視界を奪って、その姿をぼやかしてしまう。


「泣くな、お前に泣かれると俺は、どうして良いのか解らなくなる」


 頬と目元の涙を拭われる。その手の感触にどうしても涙が零れた。


 泣くなと無茶な事を言ってくれる。


 あなたに会えて、言葉を交わして、触れ合える事が『私』の心をどれだけ揺さぶるのか解っているだろうに。


「あなたが拭うのをやめたら、泣き止むわよ」


 言ってしまってから『私』は後悔する。


 これでは、触るなと言っている様なものじゃない。どうしてこう、素直に言えないのか。


 自分の口を恨めしく思いながら、俯いていると楽し気な笑い声が聞こえてくる。


「本当に、お前は変わらないな。……安心するくらいに」


 顔を上げると、彼が泣き笑いのまま『私』の胸元に手を伸ばした。


「今もそこに……


「うん」


 頷いた『私』は自分の胸元に触れる彼の手に、自分の手を重ねて微笑む。


 彼の目元に薄っすらと滲んだ涙を拭おうとしたその時に、気が付いてしまった。指先が消えて行っている事に。


「もうすぐ、夢が終わる」


 言葉を失くし青ざめる『私』をなだめる様に彼は言い、重ねた手を抜き取る。


「目が覚めたら、現を……今を生きるお前はこの夢を忘れてしまう……それでも」


 彼に引き寄せられ、強く抱きしめられる。


「それでも、会いたかった。夢でも良いから、また、触れたかったんだ」


「―—―—……」


『私』も同じだと伝えたくて、彼の名を呼んだ。聞こえているのか不安になるけれど、それを振り払う様に消えかけた手を、腕を伸ばす。


 温もりも触った感覚の無い彼を『私』も抱きしめた。離したくないし、離れたくない。


 ピクリと彼の肩が震え、かすかな嗚咽が私の耳に届くけれど、それは一瞬の事。


 離れた彼は、仮面めいた笑顔で口を開いた。


「これは、夢。お前を泣かせるだけの悪夢だ、だから……忘れてくれ」


『私』は目を丸くして凍り付く。


 言外に自分の事を忘れてくれ、と、彼は言った。


 どうして、そんな事を言うの?


『私』は……!


 ぼやけていく視界は彼の姿を失っていき、張り上げた声は音にならぬまま消えていく。


 忘れたくない、たとえ、忘れる事をあなたが望んでも、忘れたくないの。


 音にならなくても『私』は叫び続けた。


 そんな『私』を。


「――――っ」


 彼は辛そうな顔で見つめていた。


 完全に世界が消える直前、彼が何かを言った様な気がした。



 目を開けると何故かはらはらと涙が零れた。


「……?」


 何か夢を見ていた様な気がする。嬉しいのに、悲しい夢だった様な……。


 内容は全く思い出せないけど、胸に何故か隙間ができてしまったみたいに、惚けてしまう。


 身体を少しだけ起こすと一緒に涙が下へと落ちていく、頬と首を伝っていく涙がとても冷たく感じた。


 涙を拭う気もおきなくて、何もせずにじっとしていると、急に腕の中で何かが動いた。それに気づいて、夢に捕らわれていた意識がハッキリと現実に戻って来る。


 そうだった男の子。昨日の夜に助けようとした、あの男の子はどうなったの?


 視線を下へと向けると、私を見つめる明るい青の瞳と目が合った。


「あの……」


 声はちょっと掠れていたけど、他に異常があるようには見えない。目を瞬かせた彼の様子にホッとした。


 顔色は悪くないけど念のため、彼の胸に耳を寄せると今度は強く、規則正しい鼓動が聞こえてきた。


 体温がどことなく低いのは気になるけれど、死亡フラグは折れたみたいで安心する。


 大きく息を吐いて顔を上げると、男の子は顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。熱でもあるのかな? あと、寒気も。


 風邪をひいたのかな?

 身体を密着させたし、メジェドの衣もかけて寝たけど、やっぱり寒かったか。


 むう、私はぬっくぬくだったんだけどなぁ。


 首を傾げながら男の子の額や首筋に手を当てる。顔色の割にはちょっとしか熱くない、平熱くらいよね?


 首筋からも同じくらいの体温しか感じない、喉風邪ってわけでも無い?


 考え込みながらペタペタと男の子の上半身を触っていると『サクちゃん、サクちゃん』とテト様が私の頬を突いた。


『その子、色々限界だから。そこまでにしよう……ね?』


「はい?」


 どことなく残念なものを見る様な、困った様な顔をしたテト様は、男の子を見る様に促す。


 顔を上げた私の視界に映ったのは、顔が赤いまま、のぼせた様に気絶している男の子。そして今更の様に思い出したのは、私は男の子を抱きしめたまま寝ていた事だった。


 すんなりと腕が抜けて動かせていたから頭から抜けていたけれど、身体が密着したまま彼を見つめたりペタペタ身体を触りまくっていたのだ。


「あ、ヤベ。ナチュラルにセクハラしてた」


『それもあるけど、そこじゃ無いよ、サクちゃん』


 深くため息を吐いたテト様は、頭痛いと額に手を当てている。その様子を見てセク様は大笑いし、メジェ様が眉間にしわを寄せて私と男の子の間に浮かんだ。


『サク、其方の享年は幾つだ?』


「十七歳です」


『精神年齢は?』


「……十七歳、です」


 質問の意図が解らないままだけど、メジェ様の威圧に小声で答えるとカッとメジェ様の目が見開いた。


『ならば、少しは! 恥じらいを持て!』


「え、えぇ? いや、えぇ……? 相手は子供ですよ?」


 私の精神年齢は十七歳なので、全く気にしていないし、心境的には子供をお風呂に入れる母親と同じものだ。


 そもそも、裸体なんぞ人型姿の玄と澪で見慣れている。だから、今更、裸を見て恥じらうわけが無い。


「私も今は同じくらいの外見年齢ですし、大丈夫ですって」


『……それだと、サクが後々困る事になるのだが……』


 深くため息を吐いたメジェ様の肩? と、思われる場所をテト様が叩いた。その目に生気は無い。


『私達で頑張るしかないよ、メジェ』


『……そのようだ』


 二柱が何故か気苦労オーラを漂わせているんですけど……。


 助けを求める様にセク様を見ると、空中で突っ伏すという器用な体制で声も無く笑い続けていた。


 あれ? 何だろうこのアウェー感。


 何だか釈然としないまま、私は男の子から離れ、彼にメジェドの衣をかけると狐火を消したり、説明書と睨めっこしながら彼の着物を錬金術で修繕を始めたのだった。

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