第3話 土と種との格闘

 シルことシルヴァウトザッカーニが大賢者オーネックマルティーンの住処にやって来てから二週間が経過した。


 山の季節は平地より歩みが早く、連日の強い日差しは次の季節を力強く予告していた。オーネック家の山小屋にはささやかな畑があった。


 家主であるオーネックは一切手を加える事なく放置しており、畑の世話は専ら弟子であるルチルがしていた。


 だが、その畑がこの二週間で急激に拡張を遂げていた。畑の生い茂る雑草は駆逐され

、茶色い土の面積が増え続けた。


「凄いですねシル!雑草だらけの畑が見違える様になりました」


「ふん。この分なら他の種も植えられるね。ルチル。この坊やの刈った場所に芽キャベツとサツマイモを作るとしようか」


 シル二週間の肉体労働の成果を、弟子とその師匠がそれぞれの言葉で評価する。だが、評価された若者は一向に達成感が生まれなかった。


 由緒ある騎士の家の出の若者は、照りつける太陽の下、汗まみれになりながら雑草と格闘する為にこの山に来たのでは無かった。


 無論、オーネック家の畑を広げる為でも無かった。シルは王宮騎士団の入団試験に受かる為に、魔法を会得する為であった。


「シル。疲れたでしょう。お昼にしましょう


 ルチルは小屋に入ると、頭から被っていたフードを取った。シルはその頃から、ルチルのある行為を認識する様になった。


 ルチルは小屋の外に出る時、必ず黒い魔法衣のフードを被っていた。当初シルは、それは日差し避けの為と考えていた。


 たが、ルチルは厚い雲に覆われた日差しなど無い日にも必ずフードを被っていた。何故ルチルは外で必ずフードを被るのか。


 シルは心の内に僅かな疑問が生まれたが、この時は深く追求する事は無かった。ルチルの作ってくれたトマトソースパスタを食しながら、シルは午後からの作業。否。魔法を会得する為の修行の事で頭が一杯だった。


 庭の雑草は十分過ぎる程刈り取った。後は土に種を蒔き、その種を魔力で成長させるだけだった。


 魔力を練る瞑想と呼吸法。そして精神統一の基本方法は既にルチルからこの二週間で習っていた。


 後はひたすら実践あるのみだった。シルは知っていた。修練に近道など無い。だが、真剣に取り組んだ修練は嘘をつかない事を。


「何で出来ないんだよ!」


 午後の昼下がり、シルは自ら拡張させた畑の土の上に大の字に寝転んだ。湿気を含んだ草と土の匂いがシルの鼻孔を刺激する。


 眼前に蒔いた種に幾ら両手をかざしても、種は土の中で沈黙を続けた。シルは悔しさの余り両足を交互に土に叩きつける。すると、今度はシルの聴覚が反応した。


 地団駄を踏むシルの姿を見て、ルチルが口を押さえて笑っていた。


「な、何だよルチル」


 ルチルに間の悪い所を目撃されたシルは、頬を赤らめバツが悪そうに上半身を起こした。


「い、いえ。シルは騎士の家の出と言っていましたから。王都の騎士達は、皆さんシルの様な人達なんですか?」


 笑いが収まって来たルチルは、畑に実ったナスを籠に入れながらシルに質問した。


「まさか。他の騎士や兄さん達は俺みたいに行儀悪く無いよ。これでも俺は家ではちゃんと騎士らしく振る舞っているんだぜ?」


 首にかけた手ぬぐいで頬の汗を拭いながら、シルは自らの本性を半ば打ち明けた。


「本当ですか?想像出来ませんね」


 再び笑いが込み上げて来たのか、ルチルはまた口元を手で押さえた。十七歳のルチルにとって、二つ年上のシルは騎士道精神に溢れた堅物では無く、ごく普通の若者に見えたのだ。


「証拠を見せようか?」


 シルはそう言うと、素早く立ち上がりルチルに近づいた、


「え?」


 シルは目を丸くするルチルの右手を優しく握り、ルチルの前に跪いた。そのシルの真剣な眼差しに、ルチルは一瞬息を飲んだ。


「ルチルレントフルッテル嬢。此度貴方に出会えた喜びを挨拶に変えて受けて頂ければ幸いです」


 シルの舞台俳優の様な低い声と流暢な物言いに、ルチルは言葉を失う。シルは両目を閉じ、引き寄せたルチルの右手にくちづけをした。


 その瞬間、顔を真っ赤に染めたルチルはシルの手を振りほどき五歩後ずさった。


「き、騎士の人達は、皆こんな事をするんですか!?」


 ルチルの過剰な反応に、シルは呆気に取られた。シルは貴族達の交流会で行われているごく普通の挨拶をルチルにしただけだった。


 ゴンッ。


 その時、跪いていたシルの後頭部に衝撃が走った。何者かに頭を蹴られたシルは、前のめりに倒れた。


「昼間っから何痴漢行為を働いてんだテメーは」


 シルは苦痛に顔を歪め、自分に危害を加えた者の顔を見上げた。それは、自分と同い年位に見える黒髪の若者だった。


「ジャ、ジャミン?」


 突然現れた若者に、ルチルが驚いた口調で叫んだ。


「おう。ルチル。今この痴漢野郎をとっちめてやるからな」


 ジャミンと呼ばれた若者は、細い目を見開き、陽気にルチルに笑いかけた。次の瞬間、ジャミンの顔面をシルの足蹴りが襲った。


 今度はジャミンが背中から土の上に倒れた

。シルは静かな怒りを内に秘め、仰向けに倒れるジャミンを見下ろす。


「おい不意討ち男。訂正しておくぞ。俺の名前はシルだ。痴漢野郎じゃない」


 ジャミンのシルヘの返答は、凄まじい速さの足払いだった。均衡を崩したシルは、再び腰から倒れる。


「俺も訂正しとくぞ痴漢野郎!俺の名前はジャミンだ!」


「うるさいぞ不意討ち男!俺の名前はシルだ!って何度言わせるつもりだ!!」


 オーネック家の畑の土の上で、二人の若者が取っ組み合いの喧嘩を始めた。ルチルは慌てて止めようとするが、暴れ馬の様な男達に容易に近づけなかった。


 バシャンッ。


 お互いの胸ぐらを掴むシルとジャミンの動きが止まった。二人の目の前には、数瞬前まで水が満たされていた木製のバケツを持ったオーネックが立っていた。


 シルとジャミンはずぶ濡れになり、文字通り冷水を浴びせられた格好となった。


「坊や。ジャミン。貴重な水を使わせたんだ

。あんた等二人で水汲みしておいで」


 オーネックはそう言うと、無造作にバケツを放り投げ、小屋に入って行った。


「オーネック先生!?何でこんな奴と一緒に

?」


「おい痴漢野郎!こんな奴呼ばわりすんじゃねえ!っておいババァ!偉そうに命令すんじゃねえぞ」


 シルとジャミンが抜群のタイミングで異口同音にオーネックに抗議する。当代一の大賢者と讃えられる老婆は、半世紀程年下の若者達を鋭い視線で一瞥する。


「とっとと行きな。その姿を蛙に変えられたくなかったらね」


 それは静かな口調だったが、冗談では済まされない凄みがあった。絶句したシルとジャミンは、無言で桶を持ちながら、小川までそそくさと歩いて行った。



 

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