第4話 街への買い出し

 暦はその歩みを決して止めないが如く、次の季節を人間の世界にもたらす。連日の強い日差しは、地上に生きる人間達にとって暦の強い決意を感じる様だった。


 ある山小屋の畑の中で、長髪の若者が腰を下ろしながら何かの作業をしていた。両手を土に触れさせ、何か小声でブツブツと言っている。


 魔道に通じた者なら、それが呪文の詠唱だと気づくかもしれない。だが、畑で一人で独り言を呟くその姿は、傍から見たら異様な光景だった。


「······駄目か」


 麦わら帽子を被った茶色い髪の若者は、深くため息をついた。魔力を用いて畑に蒔いた種の芽を出す。


 この作業を若者は一ヶ月間繰り返していた。だが、芽は一向にその姿を見せず、一度刈った雑草がまた伸びて来るだけだった。


「辛気臭い顔だね。飯が不味くなるじゃないか」


 世間から大賢者と讃えられる老婆。オーネックマルティーンは、分厚い木のテーブルに並べられた昼食を口に運びながら呟いた。


 辛気臭い顔と評された長髪の若者。シルことシルヴァウトザッカーニは俯いたまま沈黙し、目の前の冷製スープと雑穀パンに一切手を付けなかった。


「今日も駄目みたいだった様だね」


 オーネックは最後のパンの一欠片を口に入れ、手振りだけで弟子に珈琲を要求する。


「先生。もう少し言い方が」


 黒い魔法衣を着た少女が、口の悪い師を嗜める。だが、オーネックは行儀悪くパンを咀嚼しながら手を振り、珈琲を再度要求する。


 抗議を無視されたルチルことルチルレントフルッテルは、困った様な表情を見せる。黒髪のおさげを揺らしながら席を立ち、横暴な師の要求に答えるべく台所に向かう。


「坊や。期限はあと一ヶ月だよ」


 ルチルの淹れた珈琲を啜りながら、オーネックはシルに言い渡した。それは、最後通告の様にシルには聞こえた。


 あと一ヶ月。それは、シルが入団を渇望する王宮騎士団の入団試験までの期限だった。


「大丈夫ですよ!まだ一ヶ月あります。ね?シル?」


 ルチルが明るく振る舞い、俯くシルの顔を覗く。だが、覗かれた主の顔は更に険しくなっていた。


「街へ買い出し?」


 食欲が沸かない昼食を採った後、シルは休む間も無く訓練を再開させようとしていた。

そこに籠を持ったルチルが現れ、シルを買い物に誘ってきた。


「はい。重い物もあるので、シルに手伝って貰えると助かります」


 ルチルは黒いフードを被り、出発準備は万端と言った様子だった。


「いや。でも俺は訓練が······」


 ルチルは渋るシルの腕を強引に引き、山小屋の下り道に向かって行く。


「きっと。気分転換になりますよ!さあ行きましょう」


 控え目なルチルのその積極性に、シルはたじろいだ。結局、王宮騎士団入団希望者の若者は、黒髪の少女と片道五キロの散歩を共にする事となった。


 オーネックの山小屋から下る事一時間。シルとルチルは小さな街に辿り着いた。山の窪地に在るその街は、シルの目を引いた。


 突き出た岩石の上に家が建っていると思えば、その隣の家は段差のある低地に建っている。それらの家々は、まるで山の地形と相談しながら建っている様だった。


 そして一際目を引くのが、街の中央を貫く道にポツンと鎮座する背の低い一本だった。


 物珍しそうに街並みを見回すシルのすぐ横を、小さな子供達が笑いながら走り抜けて行った。


 子供達は、小さな両手に溢れんばかり色とりどりの紙を持っていた。子供達は大人の肩に乗り、先程の背の低い木に星型に切った紙を吊り下げていった。


「もう飾り付けなんて気が早いですね。八月の復活祭まであと一ヶ月あるのに」


 目を輝かせて飾り付けをする子供達を見て

、ルチルは微笑ましそうに笑った。


「······そうか。もうすぐ復活祭か」


 ルチルとは対照的に、シルは遠い目をして子供達を眺めていた。この国には、毎年夏に精霊の復活を祝うお祭りがあった。


 この国は太古の昔、精霊の加護によって建国された言い伝えがあり、精霊は毎年夏に自分達は復活すると言い残した伝説があった。


 奇しくもその復活祭は、シルの受ける王宮騎士団入団試験の一週間後だった。シルはお祭りは嫌いでは無かったが、人生を左右する重大試験の前とあっては、子供達の様に無邪気に楽しむ気にはなれなかった。


「シル。この店です」


 ルチルに促され、シルは一軒のレンガ造りの店に入った。


「おうルチル!良く来たな!······ってシル坊も一緒か。ちっ」


 店に入るなりシルとルチルは、威勢の良い声で迎えられる。エプロンをつけた黒髪の若者は、以前シルの後頭部を蹴ったジャミンだった。


 十九歳のシルより一つ年上のジャミンは、シルの事を敵意を込めて「シル坊」と呼ぶ。

ルチルとは真逆の愛称で呼ばれたシルは、ジャミンを睨みつつ店内を見物した。


 狭い店内には生活用具品や薬、食品も置いてあった。


「······お前の店って、道具屋か?」


 シルは不思議そうにジャミンに質問する。シルの住む王都は専門店が普通であり、ジャミンの店の様になんでも屋という雰囲気がする店は珍しかった。


「おう。うちの店は何でもあるぜ。何しろ小さな街だからよ。便利が何よりだ。でもまあ

、流石に魔法が使える様になる薬は無いけどよ」


 ジャミンはさり気なくシルに嫌味を言うと

、不審そうな表情でルチルを凝視していた。


 手早く買い物を済ませたルチルが、商品の代金をジャミンに払う。その時「これいつものやつな」とジャミンがルチルに小さい小瓶を渡していた。


 何かの調味料かとシルは思い、特段不審には思わなかった。ルチルに続いて店を出ようとした時、シルはジャミンに首を根っこを掴掴まれた。


「痛てて!おいジャミン!何するんだ」


「おいシル坊!最近ルチルに何かあったのか

!?」


 ジャミンの必死な剣幕に、シルは要を得なかった。


「······初めてなんだよ。ルチルが自分の家以外でフードを外すなんて」


「え?フード?」


 ジャミンの言葉に、シルは初めてその事に気付いた。確かにルチルは山小屋の外に出る際はフードを必ず被っていた。


 だがそれは、日差し避けの為とシルは思っていた。この店に入った時、ルチルがフードを外した事にシルは何も不思議に思わなかった。


「······理由は分からねぇんだけどよ。ルチルは自分の髪の毛を隠したがるんだよ」


 ジャミンは自分の黒髪を乱暴に掻きながら

、細い両目を心配そうに細めた。シルはジャミンとの初対面の時を思い出していた。


 誤解とは言え、この細目の若者は実力行使を以てルチルを守ろうとした。


「······そうなのか。ジャミン。お前ってルチルの事に関しては細かいな」


「当たり前だ。ルチルは俺の妹分だからな。変な事したら承知しねぇぞ」


 ジャミンは細い両目に警告の光を発しながら、早くルチルを追いかけろとシルに命じた


 太陽が大分傾き始めた帰り道。シルは買い物籠を持ちながら先程ジャミンに言われた事を考えていた。


 目の前を歩く黒いフードを被った少女は、自分の髪の毛を晒す事を忌避している。その理由をシルは考えていたが、皆目検討がつかなかった。


 その時、シルは一本の大木に気付いた。それはこの山に来た時、初めてルチルと出会った場所だった。


「······そう言えば、何であの時木の上から落ちて来たんだ?」


「え?そ、それはですね」


 シルの何気無い質問に、ルチルはそばかすのある頬を真っ赤に染めて動揺し始めた。


「魔法力を研ぎ澄まし、その力を向上させるには瞑想が重要です。大木は、その訓練の場所に最適なんです」


 ルチルの説明にシルは何度も頷く。樹齢の長い大木は魔力を帯びていると言われいた。木に自分の身体を預け瞑想する。


 少女の説明に何ら不審な点は無かった。


「······ただ。瞑想は限りなく睡眠に近い状態が要求されて。その。つまり」


 ルチルは両手の人差し指を交差させ、もじもじと言葉を濁らせる。シルは自然と真実に辿り着いた。


「······ホントに寝ちゃった?」


「······はい」


 シルの問いにルチルは顔を赤らめ素直に答えた。瞑想から眠りに落ちた少女は、木から滑り落ちた。それが、シルとルチルの初めての出会いの真相だった。


「ふ。ふははははっ!!」


 途端にシルは腹を抱えて笑い出した。その

笑いは、ここ最近シルの心の中を占拠していた重い靄を晴らす笑いだった。


「わ、笑い過ぎですよ。シル」


 恥ずかしそうにルチルは小さな抗議をする

。自分を気遣い、気分転換をさせてくれた少女の優しさに、シルは涙目を拭いながら感謝した。


「仲良さそうね。お二人さん」


 その声は、突然シルとルチルの耳に聞こえて来た。大木の枝が揺れ、そこから人影が木の葉と共に落ちて来た。


 


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