第2話 基礎訓練は、鎌と土いじりから
シルヴァウトは我が家にいた。日課の剣の訓練を終え、汗を拭きながら屋敷の廊下を歩く。窓の外には騎乗し、宮廷に向う兄達の姿が見えた。
三人の兄達は、いずれも宮廷騎士団の一員だった。兄弟の中で唯一シルヴァウトだけが
、宮廷騎士団に入る事が叶わなかった。
剣の技量には自信があった。だが、いくら剣の腕があっても、魔法が使えなくては入団は認められなかった。
シルヴァウトの耳に、両親や兄弟からの失望の声が届く。どうしてお前だけが······と。
長髪の若者の夢は、そこで途切れた。シルヴァウトは悪夢を振り払い、騎士団入団を現実のものとする為に、ベットから立ち上がった。
シルは外の井戸水で顔を洗い、台所に入った所でルチルと顔が合った。シチルは気さくにシルヴァウトに笑いかける。
「あ、おはようございます、シルヴ······」
ルチルの声は途中で途切れ、黒髪の少女は苦悶の表情で口を手で押える。
「坊や。あんたルチルの舌が切れる前に、その言いにくい名前を何とかしな」
既に朝食を食べ始めていたオーネックは、
ジャガイモのスープを飲み干した後に注文をつける。
「い、いや。そんな事を言われても」
席に座るシルヴァウトに、ルチルは涙目で
スープとオムレツの皿を置いた。
「ごんなさい。今朝はパンを切らしていて」
「これで十分だよ。ありがとうルチル」
朝食を終えた後、シルヴァウトはルチルに伴われ庭に立っていた。庭は半分畑のような作りになっており、ナスやトマトが元気に生育中だった。
だがシルヴァウトの足元には、元気過ぎる雑草が生い茂っていた。長髪の若者は、頭には麦わら帽子。首には手拭いの布。そして右手には鎌を持っていた。
「······ルチル。何故俺はこんな格好を」
「何を言っているんですか。六月とは言え、山の日差しを甘く見たら日射病になりますよ
」
ルチルは黒い魔法衣のフードを被り、同じように鎌を握っていた。
「······い、いや。そうじゃなくて」
自分はこれから、オーネック家の庭の草むしりをさせられるのだろうか。一刻も早く魔法の修行を始めたいシルヴァウトは、暗澹たる気分になる。
ルチルが手早く鎌で草を刈った跡に、土が顔を出す。ルチルはその土に種を植えた。シルヴァウトはその様子を黙って見ている。
ルチルは種を植えた土に両手をかざす。黒髪の少女の両手から、白く柔らかい光が漏れた。
その刹那、土の中のから芽が出てきた。その光景にシルヴァウトは驚愕した。
「種を魔力で成長させる。これが基礎訓練になります」
ルチルの言葉に、シルヴァウトは芽を咲かせた植物を凝視する。長髪の若者は自らの経験で知っていた。
習うより慣れろと。シルヴァウトは鎌を握りしめ、目の前に広がる鬱蒼とした雑草を、気合の声と共に刈っていく。
「······あ、あの。雑草は根元から刈らないと
」
ルチルの控えめな言葉は、草むしりに没頭するシルヴァウトに届かなかった。太陽が傾き始めた頃、オーネックの目の前には、全身筋肉痛で苦しむシルヴァウトが畑で力尽きていた。
「ほう。随分雑草が少なくなったね。明日も頼むよ。坊や」
そう言ってオーネックは夕食を摂る為に山小屋に戻って行く。シルヴァウトは横顔を地面に着け、草と土の匂いを感じながら考えていた。
オーネックは自分に自宅の草むしりをさせる為に弟子入りを許可したのでは無いかと。
翌日もシルヴァウトは、照りつける日差しの下で草むしりに勤しんだ。時間と共に効率の良い草の刈り方を会得し、持ち前の勤勉さを発揮し目の前の障害を文字通り刈って行った。
「······よし。雑草は全て刈り尽くしたぞ」
玉の様に流れる大量の汗を拭い、シルヴァウトは麦わら帽子を掴む手に思わず力が入った。
「凄いですね。もう全て刈ってしまったんですか?」
達成感に浸っていたシルヴァウトの背後から、ルチルが頭を出しシルヴァウトの戦果を眺めていた。
「ああ。これから種を蒔いて修行の本番だ。ルチル。種を貰えるかな?」
シルヴァウトは前日の作業で全身筋肉痛だったが、高揚した若者に限界など存在しないと証明するか如く、ルチルに力強く笑って見せる。
「はい。でもその前にお昼にしましょう。シルヴ······」
笑顔で答えようとしたルチルは、途端に苦痛の表情に変わった。涙目の少女は、噛んだ舌を労るように両手で口を塞ぐ。
「そんなに呼びにくいかな?俺の名前」
シルヴァウトは困った様に頭を掻きながら、苦悶する少女の背中を気の毒そうに見た
。
「い、いえ。単に私が慣れていないだけですから」
ルチルは無理矢理笑顔を作り、シルヴァウトに向けるが、少女の苦痛の原因を作る名前の主の表情は晴れなかった。
「あ。で、では愛称なんてどうですか?」
そんなシルヴァウトを見兼ねて、ルチルはある提案をする。
「愛称?」
シルヴァウトの疑問に、ルチルは今度は演技では無い笑顔を向けた。
「はい「シル」なんて呼び方はどうですか?
」
ルチルのその言葉を聞いた瞬間。シルヴァウトの若々しい顔は時が止まった様に凍りついた。
「あ。い、嫌でしたか?なら頑張って名前を言えるようにしますから」
ルチルは両手を忙しなく振り、必死に自分の提案を廃案に変えようとする。そのルチルの必死な様子に、シルヴァウトは慌てて我に返った。
「ち、違うんだルチル。嫌じゃないんだ。初めてなんだ。愛称で呼ばれるなんて」
今度はシルヴァウトが両手を振り、ルチルに誤解されない様に茫然自失になった理由を説明した。
「え?そうなんですか。でも、御家族とかには呼ばれませんでした?」
ルチルの何気無いこの一言に、シルヴァウトは自分の厳格な家族の事を思い返していた
。
「······愛称で呼ばれる事なんて無かったな。両親も兄弟も。とても厳しい人達だから」
シルヴァウトは両目を細め、今日自分が整備した畑に視線を落とした。そこには、刈られた大量の草が山積みになっていた。
「私の名前も愛称なんです」
「え?」
少女の意外な言葉に、シルヴァウトは思わず聞き返してしまった。
「ルチルレントフルッテル。だからルチル
。先生がつけてくれた愛称なんです」
ルチルは笑顔でそう言いながら、小屋の入り口に歩いて行った。少女の小さい背中を見ながら、シルヴァウトは心の中で微かに引っかかる物を感じていた。
何故ルチルの愛称をつけたのが、少女の家族では無くオーネックなのかと。だが、疲労と空腹を抱えた若者の身体は、思考よりも本能を満たす事を欲した。
シルは重い身体を引きずり、ルチルの後を追うのだった。
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