アウグスト オースターン ~八月の復活祭~
@tosa
第1話 大賢者の一番弟子
ある山の登山道を、銀の甲冑を纏った若者が登っていた。背中には大きな荷袋を背負い
、腰には剣を帯びている。
平地より近い太陽の日差しが、容赦なく若者に降り注ぐ。若者の全身から汗が滴り落ちる。若者は空を見上げた。
そこに鎮座した丸い熱源は、重い甲冑を装備した若者を嘲笑うかのように光輝いていた
。
若者は手で額の汗を拭う。茶色い前髪が、手の甲にまとわりつく。気分は爽快とは程遠かったが、その両眼からは、強い意思と決意が伺えた。
この山の一番の難所を越えた時、爽やかな風が若者の身体を吹き抜けていった。肩の下まで伸びたその髪は、涼を得て歓喜するように揺れていた。
その視界の先に、小さな街が見えた。
「······辿りついたぞ。大賢者、オーネックマルティーンの住む街へ」
息を切らしながら、若者は逸る気持ちを抑え切れなかった。傾斜を駆け降りようとした時、目の前に木の葉が落ちてきた。
「······見事な大木だな」
若者は足を止め、顔を上に向ける。無数の枝が、空に手を伸ばすように広がっている。
樹齢の長い木には、魔力が宿るという話を若者は思い出した。
「木でもいい。あやかりたいな」
見上げる先から、急に大量の木の葉が落ちてきた。怪訝に思った若者は、木の葉の上に黒い影を見た。
「なんだ?あの影······」
言い終える前に、それは落ちて来た。
「きゃああああっ!!」
「はあっ!?」
若者の額に、誰かの額が直撃した。それは
、大木から舞い降りた一人の少女だった。
意識を失った若者は無意識の中で、大賢者の著書の一文を思い返していた。大賢者オーネックマルティーンは記した。
人の心は、幾層の部屋のように別れている
。ある部屋には慈愛の心が、ある部屋には殺意の部屋が、またある部屋には勇気の心がある。
人は誰しも善悪の心を宿している。故に、人は誰しも魔力を宿している。
若者はその魔力を得る為に、一週間の旅程を経て、この山まで辿り着いた。自分が欲してやまない物は、すぐ手の届く所にある筈だった。
「······ここは?俺は一体······」
長髪の若者は、寝台の上で目を覚ました。
天井の木目を眺めながら、自分の記憶を辿る
。
「あ!良かった。気がつきましたか?」
若者の視界に、黒髪の少女が映った。大きな瞳に頬のそばかす。三つ編みの髪が、肩の前に下がっていた。
自分より、年齢は一つか二つ下か。黒髪の少女を見た若者は、そんな事を考えていた。
「ごめんなさい。私が木から落ちてしまったばっかりに」
どうやら自分の頭にぶつかったのは、この少女らしい。若者は状況をそう理解し、身体を起こした。
若者は自分が甲冑を着ていない事に気づいた。ベットの下に、自分の甲冑と剣、荷袋がまとめて置かれている。
「······どうやって俺をここまで?まさか、君が俺を運んだのか?」
「え?ええ、まあ」
黒髪の少女は、指で頭を掻きながら答えた
。よく見ると少女は、黒い魔法衣を着ていた
。
「······君は、もしかして魔法で俺を運んだの
?」
「いえ。自力で」
小柄で華奢そうに見える少女は即答した。
若者は少女が自分を背負い運ぶ様子を想像したが、上手く想像出来なかった。
「と、とにかく聞きたい事があるんだ。君は
、オーネック先生の家を知っているか?」
「はい。ここです」
またも即答する少女に、若者は口を開けたまま固まった。少女の後ろから、人影が現れた。その人影は、小柄な黒髪の少女より更に小さかった。
「なんだい。やっと目を覚ましたのかい?」
白髪の老婆が、ベットに身を起こした若者を見上げていた。
「先生。この方は先生に御用があるみたいですよ」
黒髪の少女が、笑顔で老婆に話しかける。
若者は驚愕した。偶然自分に体当たりして来たこの少女が、大賢者オーネックマルティーンと同居者だったとは。
若者は長髪を振り乱し、ベットから立ち上がり老婆の前で姿勢を正す。
「大賢者オーネックマルティーン先生!私はシルヴァウト ザッカーニと申します。先生に魔法を教授して頂きたく、この山にやって参りました」
若者は心を込めて自分の目的を伝えた。だが、白髪の老婆は退屈そうな表情を崩さない
。
「ちょいとルチル。あんたこの坊やの舌噛みそうな名前言えるかい?」
「何を言っているですか先生。この方に失礼ですよ。えっとシルヴ······」
ルチルと呼ばれた少女の口が急停止した。
「······舌噛みました」
ルチルの痛そうな声に、若者は目が点になり固まる。
「坊や。あんた見習い騎士ってとこだろう。騎士の家系はやたら名前が長くて面倒だね
」
自分の名前と家系まで同時に批判されたが
、シルヴァウトには反論する時間も惜しかった。
「オーネック先生。お願いです。二ヶ月だけ弟子入りする事をお許し下さい!」
「二ヶ月?やけに急な話だね」
オーネックは相変わらず退屈そうに返答し、木製の椅子に座る。
「私には魔法が使えません。ですが、二ヶ月後の宮廷騎士団選抜試験には、魔法が使える事が必要なのです。重ねてお願いします。私を弟子にして下さい!」
「お前さんの事情なんて知るもんかい。他を当たりな。私にはルチルって弟子がもういる
。二人は要らないよ」
ドンッ
つれなくシルヴァウトの頼みを袖に振ったオーネックの目の前に、一本の赤ワインが置かれた。
「······ザクセ地方の二十年ものです。ご挨拶代わりに持参致しました」
ザクセ地方の二十年ものワイン。それは、奇跡の年と言われる程の当たり年で、芳醇なコクと繊細な口あたりのワインを生み出していた。
シルヴァウトは、オーネックがテーブルに置いたワインのラベルを凝視しているのを見逃さなかった。
大賢者は酒好きと噂を聞きつけ。シルヴァウトは、あらゆる手を尽くしてこのワインを手に入れた。
その苦労が報われるか。一蹴されるか。シルヴァウトには運命の一瞬だった。
「······まあなんだ。こんな山奥に来たのに、すぐに追い返すのも気の毒な話だ」
「······先生。さっきと言っている事が」
ルチルの呆れ顔など気にもせず、オーネックは二十年ものワインを手にした。シルヴァウトは賭けに勝ったと確信した。
「······二ヶ月だけだ。いいね坊や?部屋代と食事代はキッチリ払ってもらうよ」
「は、はい!よろしくお願いします!」
シルヴァウトはここまでの苦労が報われた事より、これで魔法を習得できるかもしれないという思いが優った。
「坊や。当分お前さんの世話係はそこのルチルだ。まあせいぜい頑張りな」
シルヴァウトは耳を疑った。今のオーネックの言い様は、大賢者本人は手を出さないように聞こえた。
呆然としながら、シルヴァウトはルチルを見る。黒髪の少女は、困ったように笑っていた。
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