第16話 来襲
――それは突然だった。
頭に鳴り響いたカーヤの叫び声に意識が浮上する。それはまるで悲鳴のようで、寝ている私を無理やり叩き起こす。
「えっ……。カーヤ」
目を覚ますと部屋の中は暗闇が広がっている。そんな中、ただ一つだけ窓辺に置かれているランプの灯だけが小さく揺れていた。
見慣れない空間に、自分が何処にいるのかわからなかった。だが、自分のものではない温もりと慣れない重さに全てを思い出す。
「……そうだった。私は街に出て宿に泊まったんだ。……陛下と一緒に」
隣を見ると、なぜか陛下が一緒の寝台で眠っていた。私がもぞもぞと動いても、一向に目を覚ます様子もなく深い眠りについている。
そんな様子を見ながら、なぜ、陛下が隣に寝ているのか頭を抱えた。
「えっと……」
眠い目をこすり何があったのか記憶を辿った。
「エリカ。呑気に寝ぼけている場合ではありませんよ! すぐに体勢を整えて下さい。何者かが宿に侵入しています。警戒を!」
カーヤの焦った声にやっとで意識が鮮明になってくる。
「……思い出した。食事が終わったら眠くなってそのまま寝たのね」
足の怪我を治療した後、陛下に促されるまま二人で食事をした。
怖々と口にしたその料理は、毒草など勿論入っていなくて、とても美味しい満足のいくものだった。
そして気が緩んだのか、疲れていたのかすぐに眠ってしまった気がする。
なぜ陛下が私の隣で寝ているのかは不明だが、二人共服をしっかりと着ている所を見ると何事もなかったらしい。
「エリカ! その男を起こして下さい。こちらに何人か向かって来ますよ!」
切迫したカーヤとは違い、まだ事態を把握していない私は、カーヤに言われるまま陛下に声をかける。
「陛下、起きて下さい。……陛下?」
だが、何度呼んでも反応を示さない。不思議に思い、肩に手をかけて起こしにかかるが目をあける気配がない。
あきらかに陛下の様子がおかしい。
陛下の手を取って脈をとる。額に手をあて様子を伺うと、陛下は息も荒く顔色は悪い。そして、何よりも体温が平常時よりも遥かに高い。
熱を持っているようだ。
カーヤも私の髪から飛び降り、陛下の様子を診ている。
「……薬でも盛られたようですね。エリカが無事なら食事ではないでしょう。この体たらく。よくこんなので皇帝が務まりますね。……エリカ、来ますよ。部屋の外は腐っても陛下の護衛達。腕は立つので問題ないでしょう。あとの危険性は――」
皇帝陛下に向かって辛辣な言葉を投げるカーヤは窓に目を向ける。すると、突然、窓に影が飛び込んで来た。
陛下に覆いかぶさりながら守ると同時に、窓ガラスが音を立てて割られた。その衝撃で室内にガラスの破片が飛び散る。
「――ごきげんよう。シラーのお姫様」
この場に似合わない異質な声色。にこやかに挨拶するその声色は昼間に聞いたばかり。
「ごきげんよう。……昼間に会ったばかりだけど、何かご用?」
身を起こして侵入者達を見た。
男を二人従えた赤毛の女性は、優雅に一礼した。
目の前で微笑む女性は昼間の海賊のような姿ではなく、全身黒づくめ。見ようによっては女騎士にも見える。
見事な赤毛も一つに結ばれていた。
「あら? まるで私達が来るのがわかっていたような落ち着きぶりね。どうしてかしら? これでも慎重に行動したのよ。この宿、ハイブリーでは有名な王族ご用達で働いている人達も結構強いの。これでも頑張ったのに……どうして、あなたはそんなに普通なの?」
悪気なく話す女性はにこやかで、部屋の外での騒ぎは気にしていない様子。どうやら、仲間に絶対的な信頼があるらしい。
そんな女性の目をかいくぐり、カーヤが私の髪へと移ると、いつもの定位置へと戻った。
それを確認すると、陛下を庇うように前へと出る。
だが、途端に足首がズキリと痛み出した。
……忘れてた。薬草で大分マシになったけど、動くと痛むわね。
「あなた、シラーのお姫様だったのね。ようこそ、ハイブリーへ。彫刻の姫君。噂通り表情は変わらないのね。あなたにお願いがあるの。乱暴はしたくないから、そこで寝ている男を渡してくれない?」
可愛く首を傾げる女性は、どうやら寝ているのが皇帝陛下だと知っているらしい。
……困ったわね。カーヤ、対処法は?
すぐにカーヤへ呼びかける。
(思い浮かびませんね。私とエリカだけなら問題ありませんが、寝ている陛下を抱えて逃げることは無理でしょう。いざと言う時は私が動きます。エリカは、そこの動けない男を守って下さい。死んで貰っては困りますから)
カーヤが暗闇に紛れて少しずつ移動を始めた。
その間にじっくりと観察する。
赤毛の女性の後ろで守る様に控えている内の一人は、昼間も見た男。神経質そうな細身の男の姿は見えない。
部屋の中は安全だと思っているのか、それとも手が離せないのか、護衛は勿論、誰も来る様子がなかった。
陛下の様子を伺うが、苦しそうに息をしている。
症状が悪化しているようね。早く手当てをしないと。
「陛下に何を仕込んだのかしら? 症状からして毒のようだけど」
「よく寝ているでしょう? すれ違い様に香を仕込んだのよ。良く眠れる薬よ」
「眠る?……」
女性の言っていることと、陛下の症状が違った。どう見ても穏やかな眠りではない。
陛下の様子をもう一度確認するために、赤毛の女性達に背を向ける。
(エリカ!)
その一瞬で侵入者達は動き出した。
背後に人の気配を感じ振り返ろうとするが、それよりも早く両手を取られ、寝台に押し付けられた。
頬にリネンの柔らかい感触を感じ、拘束された両手には痛みが走る。
「ごめんなさいね、姫君。もう少し我慢して。でも、出来れば私と一緒に来て欲しいの」
赤毛の女性が耳元で囁く。
その声色は切なげで酷く申し訳なさそうだ。
「一緒に来て。お願い……シラーは治癒に詳しいと聞いたわ。ある女性の死因を調べて欲しいの。毒で殺されたのに誰もその死因を調べようとしない。無念を晴らしたいの。シラーの王族には不思議な力があるのでしょう?」
また毒?……。この国では毒が蔓延しているのだろうか。
確かに私は毒も扱う。だが、この状況でそんなことを言われても無理な話だ。
「お断りするわ。シラーの力の使い方は私が決める。誰の指図も受けない」
「この状況で断るの? じゃあ、陛下と引き換えではどうかしら。皇帝陛下に何かがあると国が乱れるわよ。あなたは正妃として嫁いで来たのでしょう。困るのではなくて?」
いつの間に来たのか、赤毛の女性の仲間である男が陛下に剣を向ける。
相変わらず陛下は意識が戻らない。
このままでは最悪な事態が起こると、必死にもがく。
「陛下に手を出したら、あなた達も無事ではすまないわよ」
「あら、私達の心配をしてくれるの? 優しいお姫様ね。大丈夫よ、覚悟は出来ているから。それに、陛下は私に手を出せないの」
手が出せない? ここまで大事になって何故? この女性は一体何者なのだろう。
「シラーの姫君。お願いよ、私達に手を貸して。ハイブリーが戦場になる前に」
不穏な言葉が次々と出て来る。
どうやら、私の知らない所で何かが動いているらしい。どうしたら良いのか判断するには情報が全く足りなかった。
「それに、ハイブリーへ来て早々、毒を盛られたのでしょう? あなた、このままじゃ殺されるわよ。ティーレのように」
「えっ、ティーレ?」
ティーレってビューや陛下が話していたティーレさんのこと? この女性も関係者? この女性に聞けば全てがわかる。私が知りたい情報が。
そう思ったら心が揺れた。
「ティーレって誰のこと?」
「ティーレは……」
赤毛の女性は迷っているように思えた。私にどこまで話して良いのかを。すると、私を拘束していた力が緩んだ。
その瞬間を見逃さない。
(カーヤ!)
(本当は嫌なんですよ)
ぶつぶつ文句を言いながらも、カーヤが飛びあがり赤毛の女性の顔へと張りつく。
「き、きゃあああ――」
優雅な一礼を披露した女性とは思えない甲高い悲鳴と共に女性が私から離れた。その女性の悲鳴を聞き、陛下に剣を当てていた男も狼狽える。
さすがに蜘蛛が顔に張りつく体験は一生に一度もないだろう。女性はカーヤを剥がそうと必死の形相だ。
……蜘蛛が嫌いだったのかしら。だとしたら悪いことをしたわね。
心の中で謝りつつ狼狽えている男に向かって動く。怪我をしている足を気にする余裕はなかった。
男は私が向かって来たことに気が付くと、剣を容赦なく振り下ろす。
「エリカ!」
赤毛の女性の髪へと移動したカーヤが直接焦った声を出す。そして、私を守るために金の糸を吐きだした。
金の糸は拘束の証。
きらきらと光る糸は、太陽の恵みを思わせる黄金色。最高級の絹よりもなめらかで見た者の心を奪う。だが、その糸は絡みつくと獲物を決して離さず弱らせる悪魔の糸でもある。
それが、部屋全体に張り巡らされた。
「動かないで。動くとさらに糸が食い込みます」
私がそう告げると、カーヤの糸に拘束された三人が、顔色を失いながら私を見ていた。
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