第12話 動いた運命三
その声に聞き覚えがあった。あったと言うか、この国に来て一番良く会っている人だ。
声の主を見つけようと周囲に視線を向けると、強い力で掴まれていた腕が解放された。それと同時に、後ろから腰に太い腕が巻き付き、抱き締められる。
事態が飲み込めず、気が付いた時にはあの人の腕の中で、茫然とその端正な顔を見上げることしか出来ない。
「どうして、こんな面倒なことに巻き込まれているんですか? しかも、相手はよりにもよって彼女ですか」
「へい……んっ」
陛下と呼ぼうとしたが、なぜか口を大きな手で塞がれた。
「陛下と呼ばないように。これ以上、騒ぎが大きくなると宰相達が面倒なので。わかりましたね?」
それには大きく頷いた。
口元の手は離されたが、腰に回された腕はそのままで私を離そうとしない。
「あら、助けが来たのかしら? それに……手練ばかりお連れのようね」
女性を見ると、側近らしい二人以外、周りにいた彼女の仲間達は地面へと倒れている。そして、その後ろでは、まだ怒号と剣の交わる音が響いていた。
野次馬達は海の男らしく、囃し立て煽っている。
女性の隣に立っている私の腕を掴んでいた細身の男は、平然として見えるが、額からは汗が流れ歯を食いしばっていた。腕を見ると、亜麻布のシャツから血が滴り落ちている。そして、その隣には、まだパウルを捕まえたままの男が困ったように頭を掻いていた。
三人の周りには、黒い服に黒いマント。それに垂れ
「パウル!」
助けに行こうとするが、陛下がそれを許してくれるはずもない。
「問題ない……。子供を助けろ」
陛下がそう言うと、陛下の護衛だと思われる男達が動き出す。
凄いわ。あっという間に制圧するなんて。
(この五人の他にもまだいますよ。他にも戦わないで遠くから見ている者もいますね)
カーヤの言葉に辺りを見渡すが、私にはわからなかった。
「それで、妻が何かしましたか? はぐれてしまって探していたのですよ。驚きました……無理矢理連れて行かれそうになっていて。これ以上何かするなら相手になりますよ?」
陛下は笑ってはいるが目が鋭い。苛ついているようにも見える。陛下から離れようと試みるが、動く度に、腰に回されている腕に力が加わり離してくれない。
「あら、奥様なの? ご結婚されていたのね。綺麗な奥様ね……一人で歩くのは危ないわよ。……仕方無いわね。今日はこれで失礼するわ。また、お会いしましょう、奥様」
そう言うと、女性は私達に背を向けた。
「パウルを離して」
「私達が船に乗ったら解放するわ。大丈夫よ、ここまで被害があると何も出来ないわよ」
そう言うと、女性が微笑む。
「あの人達、人さらいよ。捕まえないと!」
「……わかっている。オルカ、二人ほど連れて追え。手は出さなくて良い」
私から背を向けて帽子を深く被っていたせいでわからなかったが、五人の内の一人にオルカがいたらしい。
オルカは陛下の指示に頷くと、私を睨みつけて行ってしまった。
どうして、すぐに捕まえないの? そう言えば、陛下は「彼女」と言っていたわ。もしかして、知り合いなのかしら?
「それで? 彫刻の姫君は勝手に抜け出したあげく、こんな騒ぎに巻き込まれて、私に何か言うことがあるのでは? あのまま知らない人間に付いて行ったら、何をされるかわからないんだぞ!」
陛下に声を荒げられ、申し訳なさが募る。
どうやら本気で心配してくれたらしい。
私が城に居ない方が、ティーレさんと会えるのでは? と、いらぬ気遣いをしてしまったのが裏目に出たようだ。反対にいらぬ手間をかけてしまった。
全部、私の身勝手な行動で、ここまで騒ぎが大きくなった。それは反省している。
「……申し訳ございません。軽率すぎました」
落ち込みながら謝罪の言葉を口にする。
だが、顔に全く表情が出ないため、陛下は本気にしてくれていないらしく、これみよがしにため息を吐かれた。
「疲れたでしょう。城に戻りまます。これからは勝手な行動はしないで頂きたい。良いですね」
陛下の眉間の皺を見ながら、頷こうとしたその時、声が聞こえた。
「お姉ちゃん!」
「パウル」
走って近寄って来たパウルは、私に抱き付く。
「お姉ちゃん、怪我はない? 大丈夫だった?」
自分が怖い目にあったのに、パウルは私の心配をしてくれているようで胸が熱くなる。
「ええ、私は大丈夫よ。パウルこそ怪我はない?」
「俺も大丈夫。ごめんね、お姉ちゃんを守れなくて」
パウルの瞳に、じわりと浮かんだ涙に慌てて腰を下ろして抱き締める。
「パウルは勇敢だったわよ。ありがとう。また、危険な時はよろしくね」
悔しそうな顔を見せるパウルが可愛くて、思わず頬にキスをする。すると、パウルが魚のように口をパクパクとさせ、顔をりんごのように赤くさせた。
「お、お姉ちゃん。早く行こう。陽が落ちて来たから急がないと暗くなるよ」
照れているのか、パウルが「早く」と私を連れて行こうとする。
海を見ると、確かにパウルの言う通り、太陽が沈み始めていた。
「あ、あの。私、パウルのご両親に会わなければならないのです。なので、先に帰って頂いても大丈夫です」
パウルの持っていた白い包みを汚したことを、パウルの両親に謝らなければならないことを思い出した。
陛下を見上げると、どうしてか良くわからないが、陛下は何とも言えない顔をしていた。
どうしたのかしら……。やっぱり、すぐに城へ戻らないとダメなのかしら。
「お姉ちゃん。この人誰? お姉ちゃんの知り合い?」
パウルは、陛下を胡散臭そうに見ている。
あの女性達のように、私を連れ去るのだと思ったらしく、私を守る様に立ちはだかった。
「パウル、あのね。この人は……」
「妻が迷惑をかけたな、坊や。さあ、坊やを送って行こう」
いきなり陛下が私の言葉を遮る。
そんな陛下と私を、パウルは驚いたように見た。
「お姉ちゃん。結婚してたんだ」
どこか落ち込んだようなパウルの声に、私は首を傾げる。
「ええ、そうよ。どうしたの?」
「俺、お姉ちゃんをお嫁さんにしたかったのに」
パウルの言葉に驚いた。
ふと顔を上げると、陛下が渋い顔を見せていた。しかも、大人気なくパウルをじっと睨んでいる。
どうしたのかしら? 子供の戯言なのに。それに、陛下は私には興味がないのに。
「お姉ちゃんは笑った方が良いよ。だって、凄く綺麗なんだから勿体ないよ」
パウルの言葉は、まるで口説かれているようで、パウルの将来を想像して苦笑してしまう。
「ありがとう。家族以外でパウルが初めてよ。私のことを綺麗だと言ってくれたのは。嬉しいわ」
社呼応辞令でもない、素直なパウルだから心に響く。
「お姉ちゃんはどうして笑わないの? 笑ってくれたら、俺、もっと、お姉ちゃんを好きになるよ」
私にとって残酷な一言だった。
笑いたくても、感情を出したくても出せない歯がゆさは、誰にもわからないだろう。国を守るようにと教えられた私の気持ちは、決して誰にもわからない。
「私が感情を出すと不幸が舞い降りるのよ。冷たい不幸が皆を襲うの。だから、笑えないわ」
伝えるべきではないのかも知れない。でも、パウルに嘘を付きたくはなかった。
昔、あの時、無邪気さを全て捨て、国を守ろうと誓った私と、パウルを重ねてしまったのかも知れない。
「不幸? そんなの俺が守るよ。お姉ちゃんは優しいから絶対に大丈夫だよ」
そう言うと、また私に抱き付いてきた。
子供独特の温かさと、外見で判断しない無垢な優しさに泣きそうになる。
「……ありがとう」
そう伝えるのが精一杯だった。
なぜなら、夕日に紛れて、細かな雨が私達に降り注いだから。
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