第10話 動いた運命
「ねえ、君、お名前は?」
名前がわからないと不便だと思い聞いてみると、男の子は何故か胡散臭そうに私を見た。
「おばさん俺のこと知らないの? これでも、ハイブリーで一番有名な宿屋の息子だよ。それとは、また別の稼業でも有名だし」
「ごめんなさいね。私、この国に来て、まだ一週間経っていないの。だから、まだ全然わからなくて」
そう答えると、男の子が目を輝かせた。
「そうなんだ! 俺の名前はパウル。俺が色々教えてやるよ。おばさんおっとりしているから港に行くと危ないよ」
海を一望出来た高台を下りると、赤煉瓦が敷かれた並木通りへと出る。
しばらく歩くと、その周囲には、歴史を感じさせる三角屋根が印象的な古城と協会が見えて来た。
「素敵な教会ね」
「あそこは王族専用の教会だよ。だから一般人は立ち入り禁止なんだ。この前来たシラーのお姫様と皇帝陛下の結婚式はここだと思うよ」
何気ないパウルの一言に動揺してしまった。
「おばさんシラーのお姫様知ってる? 彫刻のお姫様。俺はまだ見たことないけど、笑わないんだって。城で働いている人達も言っていたけど、一切感情を見せない人形のようだって言ってた。でも、凄く綺麗なんだって」
「そ、そう。私は知らないわ」
ハイブリーに来たばかりなのに、こんなに小さな子も私のことを知っているらしい。まだ何か情報を持っているのかもと、感心しながらパウルの話に耳を傾けた。
「ファルシア皇帝陛下のお嫁さんだよ。陛下は俺達の間でも人気があるんだ。とても強くてかっこいいんだよ。俺は遠目でしか見たことないけどね。皆が、そう話してるよ」
聞いている限り、パウルは陛下のことを尊敬しているらしい。
民が王族のことを悪く言わないのなら、ハイブリーはとても暮らしやすい国なのだろう。……陛下の本性は微妙そうだけど。
「そう言えば、おばさんも笑ったりしないよね。それに、その蜘蛛の髪飾り怖いよ。もっと可愛いの付ければ良いのに」
パウルが見ているのは、私の髪飾り。カーヤだ。
「そう? とても気に入っているのよ。……パウル、あれは港? 漁師さん達?」
カーヤから話題を逸らしたくて、無理やり話を変えた。
「そうだよ。毎朝、朝早くから陽が落ちるまで船が沢山来るよ。でも、おばさん気を付けて。港は他国の船も来るから怖い人もいるんだ」
前に何かあったのか、パウルの顔が曇った。
「あら、パウルが守ってくれるのでしょう? 頼りにしているわ、よろしくね」
そう言うと、パウルが驚いた顔を見せた後、顔を赤くして私から視線を逸らす。
「ま、まあ、。別に良いけど。守ってやるよ」
そのまま二人で話ながら歩いて行くと、赤煉瓦の小道を抜けた。
すると、今度は白い煉瓦の小道が現れる。両脇には白い煉瓦で造られている建物の数々。それは、海と空の青に映えてとても素敵だ。
「おばさん、こっち。離れないでよ」
市場や港に近づくにつれて、人が増え賑やかだ。
変わった色をした野菜や、見たこともない鮮やかな魚達。その全てが新鮮で目を奪われる。食料品以外も、衣服や小物を売っている露店が所狭しと並んでいた。
興味津々で近づこうとする私の手を、パウルが呆れたように掴み引っ張っていく。
口は悪く生意気な少年だが、やはり優しいようだ。
可愛いわね。弟がいたら、こんな感じかしら? 姉や妹ばかりだから新鮮だわ。姉妹の顔を思い出す。
……皆、元気かしら。
「おばさん、こっち」
感傷に浸っていると、パウルの元気な声で現実に引き戻された。
すると、ふと見た露店に目が釘づけになる。
「パウル、ちょっと待って。あそこで買いたい物があるの。寄ってくれるかしら?」
そう言うと、パウルが首を傾げた。
「あれを? あれは買う人はあまりいないよ。俺達じゃ扱えない薬草だよ」
「薬草が必要なのよ。少し待っていてね」
パウルから手を離し、店主と話をする。そして、目当ての薬草を見つけると銀貨と交換した。
「パウル、怪我をしている手を出して」
傍に持っていた荷物を置き、パウルと視線を合わすためにしゃがみ込む。その時、足がズキリと痛んだ。どうやら歩き続けている内に腫れてきたらしい。
私の言葉に、パウルがおずおずと怪我をした腕を差し出した。そこに、買った薬草を少し潰し貼りつける。
その葉は、血止めと感染を防ぐ効果がある。
血が出ている部分にあてると、ハンカチーフを取り出し落ちないように巻きつけた。
「おばさん、汚れるよ。せっかく綺麗なのに」
「問題ないわよ。気にしないで。家に着いたら、ちゃんと薬を煎じるから安心して。応急処置よ」
慌てるパウルに何度も「大丈夫」だと言い聞かす。
「おばさんは医術師なの?」
「いいえ、私は違うわ。私が詳しいのは薬草よ。薬草の調合や丸薬は作れるの。何か困ったことがあったら、いつでも言ってね」
立ち上がると、パウルが小さく「ありがとう」と言った。
「行こう。お姉ちゃん」
「えっ?」
当たり前のように私の手を引いてくれるパウルは、顔を見せようとしない。どうやら恥ずかしいらしい。
それに、信用を得たのかわからないが「おばさん」から「お姉さん」に格上げしてくれた。それが嬉しい。
「お姉ちゃんはどこに住んでるの?」
「えっ? ああ、えっと、お城の近くのお屋敷に住まわせて貰っているの。しばらくお世話になるつもりよ」
いきなりの質問に、またしても上手く嘘をつけなくて、しどろもどろになってしまった。
「お城の? 凄いね。あそこは貴族様しか住んでいないのに。もしかして、お姉ちゃんも貴族なの?」
貴族と言ったあと、パウルの手が震えた。しかも、なぜか怯えたように顔を強張らせる。
「いいえ。私は貴族ではないわよ。それよりも貴族様に何かされたの?」
私は王族だから貴族には当て嵌まらない。それよりも、ハイブリーでは貴族と民の間で軋轢でもあるのかしら?
「貴族様が街に来ると、いつも俺達を見下すんだ。それに意地悪なことを言うから嫌いだ」
俯いたパウルの頭を撫でる。
「大丈夫よ。何かあったら私がパウルを助けるから」
「お姉ちゃんが? 無理だよ。お姉ちゃん、見た目からして弱そうだし怪我するよ。俺の方が強いから、俺が守るよ」
小さくても、やはり男の子だ。女性に守られるのは嫌らしい。
「そうね。私に何かあった時はよろしくね」
「うん。任せて」
嬉しそうに笑うパウルの手を繋ぎ直し、潮風を肌に感じながら歩いていると、怒鳴り声が聞こえてきた。
大声で言い争っている男達の姿が見えた。その周りには野次馬らしき人垣が出来ている。
「あれは?」
「危ないよ、お姉ちゃん。たまにあるんだ。交渉が上手くいかなかったり、機嫌が悪いと絡んできたりする奴。性質が悪いんだ。早く行こう」
顔を強張らせ、パウルが私の手を引っ張った。
「お姉ちゃん、ここから離れよう。巻き込まれたら危ないよ。お姉ちゃん、綺麗だから連れて行かれるから」
「えっ? 連れて行かれる?」
どう言う意味だろうかと男達を見ているとカーヤの声が響く。
(エリカ。危険な行動は慎んで下さい。揉め事はあなたが解決しなくても問題ありませんよ。むしろ、エリカには無関係です)
突っ立ったままの私にパウルが急かす。
「ダメだよ。近づいたら。帰って来れなくなるから。でも、あそこを通らないと帰れないんだ……」
「わかったわ。ここから離れましょう」
凄く気になるが、カーヤとパウルからここまで言われると無理に行くことは出来ない。
何よりも、足がもう限界に近い。早く処置をしなければ、しばらくは歩けなくなるかも知れない。
「お姉ちゃん。走るね」
「走るの? それはちょっと無理……」
止めようとしたが、パウルが走り出した。
繋がれている手に引っ張られ、痛みを堪えて足を前に出す。人垣の後ろを通り過ぎようとするが、人が多すぎてぶつかってしまい、その反動で倒れ込んだ。
「お姉ちゃん!」
パウルが助け起こしてくれようとするが、それよりも先に、しなやかな白い手が目の前に差し出された。
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