第9話 自由と少年

「凄い。さすがは海の上に浮かぶ国ね。こんなにも風が強い。あ、あれが風車ね。本で読んだわ。でも、実物は初めて。なんて大きいのかしら」


 潮を含んだ風が頬をかすめていく。

 街、一番の高台まで辿り着くと、来る途中で買ったばかりの菓子を食べながら辺りを見渡した。


 すると、近くで遊んでいた子供達が、私の胸辺りまでの平垣をよじ登って遊び始める。それを真似るように、私も煉瓦造りの平垣へと上がると、行儀悪く座り込んだ。

 眼下は切り立った崖と、その先に川が見える。意識すると怖いが、それよりも高揚感が強い。


「……エリカ、戻らなくて大丈夫ですか? ここに来て、もう二時間は経ちましたよ。絶対に怒られますよ」


 周囲を気にしながら、髪飾りに扮したカーヤが呆れたように私に苦言を呈す。


「大丈夫よ。私は、ハイブリーの産業と生活を見に来たの。陛下も言っていたじゃない。この国を見て学べって。それに、城は息が詰まるわ。街は治安も良さそうだし危なくないわよ」


 そう言うと、また一つ菓子を取り出し頬張った。

 噛みごたえのある一口サイズの菓子は、パンを二度焼きして砂糖をまぶしたもの。歯ごたえもあり、見たことのない菓子を食すのは楽しい。


「それにしても、ビューは用意周到ですね。エリカが逃げ出すのを予測していたのでしょう」


 カーヤの言う通りビューは凄いと思う。

 私が困らないようにとハイブリーの通貨をこっそりと渡してくれていたのだ。あの、服を広げた時に落ちてきた麻袋。あれに何枚もの金貨や銀貨が入れられていた。


「さてと、お菓子も無くなったから、これからどうしよう」


 ハイブリーの地形も把握したくて高台に登った。

 本の記述通り、この国は、海の真ん中にポツンと存在している。

 大陸へと続く道が現れるその時だけ自由に行き来出来る。そのため、自然の要塞と言っても過言ではない。

 それはすなわち、中にいる人間も、不測な事態が起こっても逃げられないことを意味していた。夜中だと、暗闇の中船を動かすことも自殺行為だろう。



「太りますよ、エリカ。食べるのはほどほどにして下さい。さっき、ビューの処であんなにも食べたでしょう? それよりも、陽も落ちてきましたし城に帰りましょう」


 心配症のカーヤは、さっきから同じことばかり繰り返す。


「大丈夫よ。騒ぎは極力起こさないから。それに、ハイブリーの通貨は、さっき菓子を買った時に学んだもの。手持ちを計算したら、あと三日は街で遊べるわ。宿を探しましょう。そして聞き込み開始よ」


 危ないとわかっているのに石垣の上で立ち上がる。


「そういえば、後でビューに指輪を渡さないと」


 ビューに渡そうと思っていた指輪は、小指に嵌ったままだ。


「エリカ。その石の価値わかってます? それは、とても貴重な貴石ですよ。そんなはした金じゃ足りません」


 煩く小言を言い始めたカーヤにうんざりしながら海に目をやる。

 現実逃避だとわかっていても、どこまでも広がる海と空は、私にとっては自由の象徴だ。一生、この国から出ることが出来ない私にとっては、得ることが絶対出来ない希望。


「エリカ……」


 私の考えていることを悟ったカーヤが暗い声を出す。


「わかっているわ。私は一生ここで暮らす。それは変わらない」


 心の迷いが現れたのか、空に灰色の雲が見え始めた。


「しょうがありませんね。今日の宿を探しにいきましょう」

「ありがとう、カーヤ。また散策開始ね。ビューが夜の方が面白いって言っていたもの。楽しみだわ」


 勢いよく石垣から飛び降りようと足が宙に浮いた瞬間、目の前を横切る小さな影を視界の端で捕えた。


「えっ……」


 目の前に現れた男の子にぶつからないようにと身をよじったが間に合わず、あろうことか、男の子を巻き込んで倒れ込んだ。


「なにすんだよ、おばさん! 早くどけよ、重い」


 金に近いブラウンの髪と、海と同じ青い瞳の男の子が叫び出した。

 早く起き上がろうともがくと、足に痛みが走る。しかも、初めて呼ばれた「おばさん」発言に思考が働かない。

 ……おばさん。確かに、十歳くらいの男の子だと、おばさんよね……。でも、落ち込むわ。それに、重いのね。カーヤの言う通りお菓子の食べすぎかも知れない。気を付けないと。


「早くどいてよ!」


 男の子の叫びに、止まっていた思考を取り戻す。


「ごめんなさい。怪我はない?」


 男の子が起き上がるのを手伝い、怪我をしていないか確認する。


「ここ! 見てよ。皮がむけて血が出てる。俺、母さんに頼まれた荷物をお客さんに持って行かなきゃならないのに。血がついてたら怒られるよ」


 男の子が「見ろ」とばかりに差し出してきた右手の傷を確かめた。腕から血は出ているが、そこまで深くない。

 良かった。そんなに酷くないわ。薬草を煎じて塗れば、明日には痛みも引いて傷も塞がるわ。


「薬草を塗れば大丈夫よ。家はどこ? 送っていくわ。それと、お母様に私がお詫びするから」

「おばさん、俺の話を聞いてた? この包みを届ける仕事があるの。でも、行けないよ。こんな汚い手で触れないよ。責任とっておばさんが運んでよ」


 ちょっと生意気な男の子は、横に転がっている白い包みを指さす。


「わ、わかったわ。私が持つわね。どこまで行けば良いの?」


 自分の足の痛みは気のせいだと思うことにして、白い包みを持つ。


「こっち――」


 男の子は衣服についた砂を手で払うと、付いて来いとばかりに背を向けて近くの階段を下りて行く。

 すると、頭の中でカーヤの声が響いた。


(エリカ大丈夫ですか? あなたも足に怪我をしているでしょう? それに、身元もわからない少年に付いていくのは危険です)


 やはりカーヤには怪我がばれていたみたいだ。


「大丈夫よ。私は足を少し捻っただけだから。これを届けたら手当てをするわ」


 そう答えたが、歩く度に足がじくじくと痛み出す。

 私とは違い、前を歩く少年は元気いっぱいだ。


(十分、気を付けて下さい)


 そう言うと、なぜかカーヤは周囲に視線を向けた。


「どうかしたの、カーヤ?」


 いきなり周囲を見渡したカーヤを不思議に思ったが、カーヤは何も答えない。


「おばさん、早く!」

 急かす声に、慌てて少年の元へと急いだ。

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