第7話 泣きたい雨
「……殺される? それは、昨日から経験しているわ」
淡々と答えると、ビューが呆れたように私を見つめる。
「あのさ、姫君は、どんな生き方をしてきたの? 普通の姫君なら、殺されかけたら泣き喚いて泣いて国へ帰るでしょ? それに侍女の一人も連れて来てないって……普通なら考えられないけど」
ビューの顔をじっくりと眺めていたら、彼が勢いよく立ち上がり早口で捲し立てられる。
……そんなに不思議かしら? 確かに私は王女として育ったけど、力がある時点で普通ではないから、ビューの常識には当てはまらないわね。
「そうですか? これからは、ハイブリーで生きると決めましたから、侍女も不必要かと思って断りました」
侍女がそんなに必要かと、ビューに問いかけるように視線を送る。すると、変な生き物を見るかのように視線を返される。
「あのさ。自国から一緒に来た侍女なら、毒味なり食事の心配なりしてくれるでしょ。なにより……寂しくないよ」
そうか。この人は、私を心配してくれているんだ。口は悪いけど、とても優しい人。
「私は……大丈夫」
ゆっくりと、髪飾りに扮しているカーヤに触れる。
カーヤが傍にいてくれる限り私は頑張ることが出来るから。だから大丈夫。
「わかっていると思うが、陛下はあてにならない。あいつは誰も愛さないし、親しい存在も一生、作らないだろう」
「……わかっています。昨日言われました」
チーズを千切り口に運ぶと、次の瞬間、耳が痛くなるほどの怒鳴り声が部屋中に響く。
「お前、それでいいのか? 死ぬまで愛して貰えないんだぞ! そんな、諦めたような寂しい人生送るなよ」
「……それが、王族として生まれた私の運命です。シラーでは、姉妹全員が幼い頃から言われ続けていました。自分のために生きるな、民を考えろ。だから、愛がなくても民が幸せなら構いません」
そう教育されてきた。
欲しいと強請ってはいけない。困らせてはいけない。自分の心を押し込め殺せと。すべてはシラーのために。
でも、この結婚に少しだけ期待もあった。
少しずつ、お互いがお互いを知り、分かり合い年月を重ねていけば、気持ちも重なるかも知れないと。
でも、それは昨日で崩れ落ちた。だから、これからは何も望まない。
「姫君は、城や城下街で何て呼ばれているか知っているか? 来たばっかりなのに名前ではなく『彫刻の姫君』だぞ。この国で一生暮らす決意があるなら、少しでも笑え。民に好かれなければ苦しさが増す」
「それは無理よ。私が感情を表に出すと災いが起こるから……笑えないの」
そう、私には笑えない理由がある。
だから私は、感情を表に出すのをやめたのだ。――国を守るために。それは、ハイブリーに来てからも変わることはないだろう。
「お前……」
「エリカ――。私の名前はエリカよ」
なぜだかわからないけど名前を呼んで欲しかった。陛下は、一度も名前では呼んでくれなかったから。
だから、誰かに私の名前を覚えて欲しかった。ここで生きていくために。
私のお願いに逡巡したあと、ビューがゆっくりと頷いた。
「わかった。治癒に関しては譲ることはないが、名前に関しては姫君の言う通りにしよう。だから、何かあったらすぐにここに来い。……エリカ」
名前を呼ばれただけ。ただ、それだけなのに、とても嬉しかった。
ドレスが皺になるのも構わず、ぎゅっと強く握る。
本当は、こんな風に名前を呼んで、話を聞いてくれる誰かが欲しかったのかも知れない。そんな自分の気持ちに……今更、気づいてしまった。
――一人は寂しかったのだと。
途端に胸が締め付けられ泣きたくなった。
「……雨だな。さっきまで良い天気だったのに」
「あ……め……」
ビューの視線を追った。
外を見ると、確かに雨が降っていた。ポタリポタリと降ってきた雨は、大粒の滴に変わっていく。
これは、私の動揺した証だ。
(エリカ、感情を抑えて下さい。大雨になりますよ。あなたの感情で天候が変わるのですから制御して下さい)
カーヤの厳しい口調にわずかに頷くと、深く深呼吸をして心を抑える。
大丈夫……私は一人でも大丈夫。だから、雨よ、止んで。この手の震えも全部なくなってしまえば良い。ビューが何も気が付かない内に。早く――雨よ、止んで。私の心が、誰かに知られる前に。
「――二人で仲良く食事中かな? お邪魔しても?」
背後からいきなり聞こえてきた声に弾かれたように振り返ると、そこには籐の籠を手に持った陛下の姿。
「……なぜここに? 勝手に入って来ないで下さい。陛下」
ビューが今までにない、刺々しい口調で答えると、鋭い瞳で陛下を見た。その様子に戸惑ってしまう。
ビューからは、殺気も混ざっているようだったから。
「姫君がここから出て来ないと報告を受けて様子を見に来ただけだ。座っても?」
ビューが返事を返す前に、なぜか私の隣へと陛下が優雅に腰を下ろした。
「ああ、これを……」
テーブルの上に置かれたのは、藤で出来た大きめの籠。
その上には白い布巾がかけられていて、それを陛下自らが取った。すると、ふわりと漂う美味しそうな香りに、食べたばかりなのに思わずお腹が鳴りそうになる。
中に入っていたのは、料理の数々。
じゃがいもと玉ねぎ、人参を潰したものに牛肉を混ぜた物。それらを、小麦粉や牛乳を混ぜて薄く焼きハムやチーズと一緒に食べるらしい。
その他にもハイブリーの伝統料理なのか、ビューが出してくれたものと同じえんどう豆のスープ。それと、きらきらと光る見た目にも楽しいスイーツ。
「私も味見をした。毒は絶対に入っていないからどうぞ。まだ、お腹に余裕があるのならだけどね」
テーブルの上で空になっている皿を見ながら、陛下が愉快そうに笑った。
……お腹ならまだ大丈夫だけど。と、言うか足りない。本当に食べても大丈夫かしら?
陛下を信じても良いのか迷っていると、陛下がふいにスープを手に取り、そのまま口に入れた。
「……陛下」
「問題ない。美味しいからどうぞ」
まさか私の目の前で、陛下自らが毒味をしてくれるとは思わず言葉を失ってしまう。
それは、目の前に座って成り行きを見守っていたビューも同じようで、何度もスープと陛下を見比べていた。
「ありがとう……ございます」
陛下から手渡されたスープを受け取る。すると、陛下は他の料理も一口ずつ食べ、私の目の前に料理を並べてくれる。
本当に身体は大丈夫なのかしら? 時間差で回ってくる毒の可能性はないのかしら。
未だに疑いを捨てきれないままスープを見ていたら、ビューの冷静な声が聞こえた。
「お前が毒味なんて、昔を思い出したのか? 罪の意識でも感じたのか? 今さらだろ?」
その声は、とても厳しく冷たい。
その口調にも驚いたが、一番驚いたのはその内容と、陛下のことを「お前」と言ったことだ。
「ビュー。君にも伝えておこう。私は一生、シラーの姫君を愛することはない。だが、義務だけは果たそう。勿論、姫君も了承済みだ。私の誓いはあの時に捨てた」
優雅に足を組み、私とビューを見ている陛下は、威厳に満ち溢れ威圧感がある。
「お前にはわからないのか? 残酷なことを言っていると。しかも、本人の目の前で言わなくても良いだろう。お前がそんな気持ちなら、すぐにシラーへ返してやれ。今ならまだ間に合う」
ビューが立ち上がり、私の代わりとばかりに抗議してくれた。
それだけでも十分だ。やはり、ビューはとても優しい。今日、会ったばかりの私のためにここまで陛下に抗議をしてくれるなんて、普通なら出来ない。
「……私は帰りません。大丈夫です」
安心させるように微笑もうとしたが、長年笑ってないからか顔の筋肉が上手く動かない。
そう言うと、手に持っていたスプーンでスープを口に運ぶ。
一つわかったのは、スープに毒は入っていなかったこと。しかも、美味しい。
陛下とビューがじっと私を見つめているのを感じた。
噂通りの「彫刻の姫君」らしく、さっき抱いた「寂しい」と言う感情をスープと一緒に奥底へと流し込む。
なのに、降りやまない雨はどうしてだろうか? 自分でも良くわからない。
「お前がエリカを妃に迎えた理由は……似ているからだろう? ティーレに。もう、囚われるのは止めろ。次は更に大事な物を失うぞ」
ビューが怒りに任せ拳をテーブルに叩きつけると、ガシャリと食器が音を立てた。
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