第6話 薬術師との対面

 視界に入ってきたのは、左右を白い壁に囲まれた細長い通路。


 そこは、人、一人が通れるだけの幅しかない。一歩足を踏み入れると囲まれている壁のせいか圧迫感を感じた。その圧に苦しくなり、ふと、見上げると空の青が目に入る。

 通路の両脇にはオリーブの木が植えられているようで、枝と葉を自由に伸ばし、通路いっぱいに広がっていた。


「……ねえ、いつまでそこにいるの? こっちだよ、早く」


 空を見ていたら、男の声が耳に届く。

 どこから聞こえたのかと通路の奥に目をやると、青黒い扉が開き、そこから出て来た若い男が声を張り上げた。


「早くしてくれない? こっちも忙しいんだけど。彫刻の姫君」


 私よりも少しだけ年上のように見える男は、黒い髪に黒い瞳。その表情は苛ついたように私を見ていた。男が手招きをすると、早々と中へと戻って行く。


「……行っても大丈夫かしら」


 いきなり出てきた知らない男の勢いに圧倒されながらも、言われた通り、男の後を追い青黒い扉をくぐった。


「こっち。今、実験しているから手が離せないんだ。早く来て」


 扉をくぐると、開けた空間に辿り着いた。

 すぐ目の前には二階へと上がる階段と、左右には重厚な扉が見える。

 思っていたよりも中は広く、外観の朽ち果て具合とは違い、とても手入れが行き届いていて綺麗だ。


 男は階段へは向かわず、左手にある部屋へと入って行く。

 男の後を追いかけ中へと入る。

 そこは、温室のような造りで、陽の光が天窓から差し込んでいてとても明るい。その先には掃き出し窓から外に出られるようで、小さな中庭が広がっていた。

 どうやら、建物自体は丸い造りのようで、中庭では薬草を栽培しているらしい。


「で、何を聞きたいの? 陛下には『彫刻の姫君の望むものを与えろ』って言われているけど、正直面倒なんだよね。僕達、医術師は目に見えない力を信じてないから」


 口調も態度も横柄な男は、私を未来の妃とは認めていない様子。しかも、この男もシラーの力を嫌っているようだ。

 目にかかる長さの黒髪の男は、これ見よがしに忙しそうに動き回り、薬草を手に取っている。


「食べられる薬草をくれませんか?」

「……はぁ? 腹が減ったなら城で食えばいいだろ? 侍女に言えばすぐに出てくる。甘やかされた王女様が食べられる食べ物は城だよ」


 男はバカにするように笑うと、さっさと出て行けとばかりに手をひらひらと振った。


「……料理に毒が入っていて食べることが出来ません。菜園を見てもいいかしら? あなたは忙しそうだから実験とやらをしていて。私はこれでも薬草に詳しいから一人でも問題ないわ」


 男の返事も聞かずに、掃き出し窓から中庭へ出ようと歩き出す。

 だが、行く手を阻むように、年代物と思われる一枚板の木の机が邪魔をする。

 ドレスで通るのが難しく、気を付けながら裾を捌く。すると、焦ったように男が声を上げた。


「ちょっと待て! 毒ってどう言う意味だ。毒を盛られているのか?」


 いきなり腕を掴まれる。その力強さに眉根を寄せた。

 振り返ると、さっきまでの態度とは違い男の瞳は鋭い。


「……心配してくれているの? 問題ないわ、慣れているから。それよりもお腹が空いたから薬草を――」

「なんでそんなに落ち着いているんだよ! 殺されかけたんだぞ。……こっちへ来い」



 腕を掴まれたまま部屋を出ると、次に連れて行かれたのは階段の右手にある部屋。

 足を踏み入れた途端、美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐった。


「座っていろ。お姫様は嫌いな食材とかあるの?」

「魚が食べられないの」

「……魚が美味い国なのに残念だな」


 連れて来られたのは、どうやら調理場のようだ。

 大きな煉瓦造りの暖炉には小さな炎が灯り、鍋が一つ置かれている。

 暖炉の周りには、大小さまざまな鉄鍋や金属製の調理器具が無造作に置かれている。少し離れた机の上には、野菜などの食材が見えた。


「ほら食え。その様子じゃ昨日ここへ来てから食べてないんだろ? 悪いな……。気づかなくて。どうりで顔色が悪いと思った。これは毒なんか入っていないから安心しろ」


 勧められるまま椅子に座ると、味わいのある木のテーブルに鍋が置かれた。


 ……手慣れた様子ね。自分で作っているのかしら? それに、こんなに広い建物なのに、この人以外姿が見えない。


「あなたは、一人でここにいるの?」


 疑問をそのまま口に出すと、男が眉間に皺を寄せたまま何も答えない。そのまま、じっと男の言葉を根気よく待っていると、あることに気が付いた。

 あ、この人、黒い瞳かと思ったら翡翠ジェダイトだわ。


「綺麗な瞳ね。深い緑があなたの黒髪と似合っていて素敵だわ」


 思ったことを口にすると、男が驚いたように目を見開く。すると、なぜか顔を背け暖炉へと行ってしまった。

 もしかして、容姿のことを言われるのは嫌いなのかも知れないわ。失敗した……妹も気にしていたのに。

 思い出したのは、プラチナブロンドに左右で違う瞳を持つ末の妹。

 私から見ると、とても綺麗な容姿なのに、姉妹の中で一人だけ違うと言って、いつも気にしていた。

 あの子は元気かしら。たった一週間離れただけなのに、とても会いたい。……次に会えるのは、いつなのかもわからないのに。


「……食べたら? 毒は入れてないから安心しろ」


 感傷に浸っていると、男がいつの間にか私の正面に座り、鍋から料理を取り分けてくれる。

 どうやら、一緒に食べるらしい。

 ツンケンした態度とは違って優しい人ね。目の前で鍋から取り分けてくれるのは、毒が入っていないと証明するためかしら。


「ほら、食うぞ。これもほら――」


 男が丸い菓子を丁寧に半分に切ると、私の皿に載せてくれる。

 すると、すぐに割った半分を食べ始めた。

 皿に載せられたのは、卵や小麦粉、牛乳を混ぜ丸くして油で揚げた後に砂糖をかけたもの。

 これに、砂糖漬けの果物の皮や林檎を添えて一緒に食べるらしい。

 鍋でコトコト煮込んでいたのは青えんどう豆のスープ。それにチーズやハム。

 勢い良く食べ始めた男を見ながら、行儀は悪いが器を持ち上げ匂いを嗅ぐ。


(問題ありませんよ、エリカ。この料理からは毒の匂いはしません。ゆっくり味わって食べて下さい)


 カーヤの許可が下りた。だが、なぜか食欲が沸いてこない。



「食えよ……。俺は絶対に毒は入れない。あんなもの……最悪だ」


 よほど毒に恨みがあるのか、男は怒りを抑えながらも黙々と食べ続ける。


「いただくわ……」


 初めて会った人なのに、なぜか彼の言うことは信用できた。同じ治癒をしているからだろうか。

 銀のスプーンを手に取ると、スープを口に運ぶ。


「美味しい――」


 久しぶりのまともな食事に、緊張して疲れていた身体が生き返る気がした。

 ハムやチーズも頬張っていると視線を感じた。顔を上げると、男がじっと私を見つめている。


「……ああ、悪い。まだスープならいっぱいあるから食べろよ。お前さ、食事は今度からここで食べろ。陛下には伝えとくから」

「ここで?」


 男は簡単に言うけど、それは無理だわ。食事の度にここまで来るのも距離があるし、なにより、周りがどんな噂をたてるか。


「ああ、心配はいらない。この国では医術師は身分が保証され、貴族とはまた違う称号を与えられている。それなりに地位は高い。それに、一般人はこの館には入れない。人目を気にすることもない」


 話し終えると男が立ち上がる。どうやら飲み物を取りに行ったらしく、両手に銀の杯を二個持って戻って来た。


「お姫様は、ハーブ類大丈夫?」


 私の目の前に置くと、銀の杯に濁った液体が注がれた。


「毒消しの薬だ。毒に耐性あるみたいだけど一応飲んどけ」


 男は、注ぎ終わると、また座りチーズを食べ始めた。


「ありがとう」


 両手で銀の杯を持ち上げ匂いを嗅ぐ。最初に鼻についたのは、青臭い独特の香り。そして、ゆっくりと液体を喉に流し込んだ。

 途端に苦さが口の中に広がり顔を顰めそうになる。水を貰い口直しに呑んだ後、ずっと気になっていた質問を男に投げかける。


「あなたの名前を聞いてもいい?」


 侍女のローザと言い、この国の人間は私に名を名乗らない。

 男をじっと見つめると、眉を吊り上げ水の入った銀の杯を手に持つ。ごくごくと飲み終えると、乱暴に杯をテーブルに置いた。



「……ビューだ。姫君に忠告する。早く国に帰れ。今ならまだ間に合う。でないと、殺されるぞ――」

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