第5話 薬術師の館

 このまま城の中を見て回ろうと思いつき、階段を下りていると、後ろからバタバタと足音が近づいて来た。


「エリカ様」


 追って来たのは陛下の側近だと名乗ったオルカと、表情のない黒髪の侍女の二人。

 オルカはどこか困ったような様子で落ち着きがない。侍女は私と同じように相変わらず無表情だ。


「あなたの名は何というの? それと年を教えて」


 不便を感じて侍女に声をかけると、侍女が驚いたように目を見開いた。そして、慌てたように頭を下げる。


「――ウィローザと申します。ローザとお呼び下さいませ。年は二十七でございます。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」


 ずっと喜怒哀楽が見えなかった侍女の表情が崩れた。

 しかも、私の侍女としてこれからずっと仕えるのなら、もう少し年齢が上なのかと思っていたら、意外と若くて驚く。


「……よろしく、ローザ。二人共、変な顔をしているけど、どうかしたの? オルカ、城を案内してくれるのでしょう? 行くわよ」


 毒を盛られたと言うのに、落ちついている私の様子に二人が困惑しているのが伝わってきた。

 そんな二人に背を向けて歩き出すと、オルカが私の前を歩き出す。どうやら庭に案内してくれるらしい。


 それにしても……お腹が空いたわ。昨日からまともに食べていないから倒れそう。どこかで食料を調達しないと……。さすがの私も断食はしたくないもの。


 庭へと向かう回廊を抜けると、背の高い木々が鬱蒼と生い茂る森が見えた。なぜか、王城内に森があるらしい。


 変わった作りね。敵が侵入した時に時間を稼げるような作りなのかしら? 警備も大変ね。でも、この森の中になら食べ物になる果物や葉っぱがあるかも知れない。それに、この国の薬草も見てみたいわ。

 どこかで育てているのかしら。


「……ここには薬草園などはないの?」

「薬草園ですか? それでしたら、医術師の元へ案内致しましょう」

「医術師? それはなに?」


 初めて聞く「医術師」と言う言葉を不思議に思いながら、答えてくれたオルカに聞き返した。

 私の歩調が早いのか、後ろから付いて来るローサが小走りになっている。それを見て、少しだけペースを落とす。


「医術師とは、エリカ様のように治癒を生業にする者達を言います。ただ、この国ではシラーとは違い……体の中を見るために切りますが」

「切るのですか……」


 そういう治療法があることは聞いていた。

 シラーでは王族の力で傷や病気を癒し、その後に薬草を使い正常へと戻す。治癒をするために、人体を傷つけることなど絶対にない。


「聞いたことはありますが、実際に見たことはありません。切るとはどう言う意味ですの?」


 いきなりオルカが歩みを止める。そして、私を振り返ると口を開いた。


「言葉の通りです。皮膚を切り身体の中を見るのです。それがハイブリーの技術。失礼ですが、私はシラーの見えない力を信じておりません。今も、ただの迷信だと思っております」


 足を止めたオルカが挑むように私を見据えた。それを正面から受け止める。

 確かに、見たこともない治癒を信じることは不可能だろう。しかも、シラーの力は他国にあまり見せない。信じられないのも仕方がない。


「他国の皆さまはそう言われます。シラーのすべてを理解することは不可能でしょう。私もシラーの治癒を押し付ける気はございません」


 淡々と答えると、それが意外だったのかオルカが目を見開く。

 他の姉妹はわからないが、私はシラーの全てを他国に教える気はない。それは、シラーを守って来た私の矜持。

 私はハイブリーを、私の夫となったファルシア陛下を信じてはいない。彼もまた私を信用していないのと同じように。


「案内して下さい、薬草園へ。医術師とお会いしてみたいわ」

「……こちらです」


 オルカが静かに歩き出す。後ろにいるローザは成り行きを見ているだけで、何も口を挟まない。その姿はまるで、私を観察しているようにも思える。


 ……疲れる国ね。食事の度に毒を盛られて、次は、私の治癒を認めない医術師の出現。この先のことを考えると気が重いわ。


 二人に気づかれないように、小さく息を吐く。

 少しでも気分を紛らわせようと景色を眺めた。

 歩き続けると、目に入って来たのは自分の背丈よりも高い生垣。それが、何かを隠すように何処までも続いている。


「あれは何?」

「あれは『幾何学庭園きかがくていえん』です。シラーには無縁の代物でしょう。城の周囲を覆っています」


 私の疑問に、オルカが答えてくれる。

 幾何学庭園と言われても、それが何であるのかわからない。思わず首を傾げると、オルカが丁寧に説明を始めた。


「幾何学庭園は、外部から敵が侵入した場合、城に辿り着くまでの時間を稼ぐために迷宮ラビリントになっています。中は複雑ですが、正解は、たった一つの道だけです」


 オルカが言うには、庭園の中には噴水や水路。小高い山や階段、人工的に作られた洞窟もあると言う。

 秘密保持も兼ねているため、この庭園に入れるのは騎士のみ。兵士や侍女達は近づくのも禁止されているらしい。


「ハイブリーでは騎士になると、最初にこの幾何学庭園で何日も過ごします。迷路の隅々まで歩き、何があるのか、抜け道は他にないか学びます。それが出来ない者は、騎士の資格を失います」


 幾何学庭園の入り口から中を覗くと、そこには美しい白い噴水が見えた。透明な水が太陽の光を受けて、七色の光を作り出している。

 その周りには花々が咲き誇り、噴水の奥にはいくつもの道が見えた。


「ここだけ見ると見事な庭ですね」

「見た目に騙されてはいけません。ここは地獄の入り口です。エリカ様は絶対近づかないようにして下さい」


 オルカの説明に頷いた後、またしばらく歩く。

 すると、こじんまりとした館が見えてきた。

 年月を感じる黒い煉瓦造りの屋根に、色あせた赤い壁。その壁や屋根には、緑の蔦が巻き付いている。今にも朽ち果てそうな木の扉は、人が住んで居るのが不思議なほど。

 そんな外観とは違い、見事なのは館の目の前に広がっている緑の絨毯。

 その全てが治癒で使う薬草達。そして、木々からぶら下がっているのは、色とりどりの美味しそうな果物。


「ここが薬草園?」


 目の前いっぱいに広がる薬草達に圧倒された。

 貴重とされている薬草は勿論だが、シラーでは見たこともない薬草もある。しかも、その全てに手入れが行き届いている。


「はい、ここがハイブリーの医術師達を束ねる医術師長が住む館です。他の医術師は街や城に分散して住んでおります。ここからはエリカ様一人でお願いします。私とローザは……入ることを許されておりませんので。医術師長には連絡をしていますので、後は医術師長に聞いて下さい」



 なぜ二人は入れないのか? 疑問だけが残ったが、言われた通りに歩き出した。

 朽ちた館を見ていると、嫌な予感しかしない。でも、ここで立っていても何も始まらない。

 辺りを警戒しながら足を進めた。


(エリカ……。特に不審な様子はないですが、気を付けて下さい)


 頭の中でカーヤの声が響く。

 返事をする代わりに頷くと、髪飾りに扮していたカーヤが少しだけ後ろへと移動した。どうやら、私の背後を警戒してくれているらしい。



 朽ち果てている木の扉に手をかけ押すと、ギィ――と耳障りな音が響いた。

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