第4話 二人の攻防

「――よく眠れましたか?」


 一本の赤い薔薇が活けられている円卓に一人で座り、書簡を手にしていた彼の視線が私へと向けられる。


「おはようございます。とても良く眠ることが出来ました。お気遣いありがとうございます」


 最悪の気分でもう昼だが、当たり障りのない返事を返して礼を取る。

 すると、彼は「堅苦しい挨拶はいらない」と苦笑して、私に座るように促した。

 昨日の「愛さない」発言をした人物とは思えないほど、気さくで優しい。私に対して自然に振る舞う陛下の姿に、少しだけ戸惑ってしまう。

 黒髪の侍女に案内されたのは、陛下の正面の席。


「食事をしましょう。あなたの好みはすべてシラー王家から聞いています。味付けも問題ないと思いますよ。何か食べたい料理があったら気軽に言って下さい」


 彼が控えていた給仕に合図をおくると、すぐに食事が運ばれて来た。彼を見ると、後ろに控えていた側近らしい男と話ながら書簡を手渡している。



「ああ、紹介しておきましょう。私の補佐をしています、オルカ・シャムームです」


 男が、私と視線を合わすと、丁寧に臣下の礼をとる。


「オルカとお呼び下さい。以後、お見知りおきを……」


 言葉少なに挨拶する男の第一印象は神経質。そう表すのがぴったりだった。

 切れ長の黒い瞳は刃のように鋭く、銀色の眼鏡をかけている。黒髪は短く、鍛え上げられた体躯を見るに、文官と言うよりも騎士のようにも見える。


「朝食が済んだらオルカが城を案内します。正式なお披露目がある半年後の式までに、ハイブリーを見て学んで下さい」

「……半年後ですか?」


 初耳だった。結婚式が半年後とは誰も教えてくれなかった。数日後にはすぐ、式をあげるものだと思っていた。


「聞いていませんでしたか? 結婚式まで半年間猶予があると」


 どうして、そんなに期間をあけるのか質問しようと彼を見る。すると、目の前に並べられた料理に頭が痛くなる。

 この料理……本当にシラーから私の好みを聞いたのかしら? それとも、昨日のお茶と同じ嫌がらせ?

 ため息を吐きそうになりながらも「冷静に」と自分に言い聞かす。

 なぜなら目の前には、私の嫌いな魚料理が並べられていたから。



 パンは二種類。水と牛乳を加えた白いパンと、香ばしそうなライ麦パン。ハイブリー特産のチーズをつけて食べるらしい。

 じゃがいもと少量の肉を入れ、青豆の形がなくなるまでじっくりと煮込んだスープに、燻製ソーセージ。

 そして、私が大嫌いな魚の姿。ご丁寧にハーブをまぶして、酢漬けになっている。


 味を想像して、思わず顔を顰めそうになった。


 陛下を見ると、じっとこっちを見ている。

 陛下に出されている食事を見ると、彼の食事に魚はない。

 ……これは、どう解釈をすればいいのかしら。知らないだけか、それとも本当に陛下自らの嫌がらせかしら?


「どうかなさいましたか? ああ、どうぞ召し上がって下さい。我が国は、海に囲まれているので魚介類も新鮮ですよ」


 黙り込んだ私に、彼が何を勘違いしたのか食事を勧めてくる。


「陛下……半年の間に、私がこの国に馴染めなかった場合はどうなさいますか? シラーへ帰して下さいますか?」


 カトラリーを手に取り、食事をするふりをする。

 魚に添えられている野菜を横にずらし魚をじっと見た。


(エリカ……これにも毒草が混じっていますよ。食べてはいけません)


 カーヤの制止する声が頭に響く。

 陛下にはわからないように頷くと、カトラリーを丁寧に置いた。


「馴染めなかった場合ですか。その場合でもシラーへ帰ることは出来ません。あなたの父上にも話は通っています。残念ながら、シラーの姫君を手放す気はありません」


 聞いていませんか? と、笑顔を見せる陛下に絶望が襲った。

 やはり、あの父王は娘達の幸せは祈らない。願うのはシラーの繁栄だけ。わかっていたのに、現実を付きつけられると、やるせない思いが募る。


「……そうですか。では、私が妃の座をまっとう出来ない場合は側室を?」

「そうですね。私は努力しますよ? それが務めですから。あなたも務めは果たして下さい」


 面倒な言い回しに辟易する。

 はっきり言えばいいのに。後継者を早く産めと。


「……立場はわかっています。ただ、シラーの力が子にいくとは限りません」


 陛下が欲しいのは、シラー王家が代々受け継ぐ力だろう。


「力が宿る可能性もあると聞いています。楽しみですね」


 陛下の話し方は、なぜか私の神経を逆なでした。

 本心を見せてくれないせいか、それとも、顔では笑っている癖に、目が笑っていないせいか。私を信用していないのが伝わってくる。


「――その嫌味な口調は、どうにかなりませんの?」


 思わず言ってしまった。

 失言だと気づいた時にはもう遅く、陛下の顔から笑顔が消えていた。


「……では、公式の場でない時は本音で語ろうか? 彫刻の姫君」


 いきなり口調と態度もがらりと変わり、陛下は手に持っていたカトラリーを皿の上へと投げる。食器がぶつかる嫌な音が、周りに控えている全ての人間を緊張させる。

 陛下は口を白い布で拭うと、バサリと皿の横に置く。椅子を後ろへとずらし長い足をぞんざいに組んだ。



「陛下! エリカ様もおやめください」


 険悪な雰囲気を察して、控えていたオルカが陛下と私を止めようとするが、陛下の態度は変わらない。

 カーヤも反応しない所を見ると、私の好きにして良いと言うことだ。さすがに二度も毒を盛られると反撃もしたくなる。


「……そうですね。私もその方が、変な駆け引きがないので助かります。それに、時間も無駄になりませんので」


 そう答えると、彼が楽し気に笑った。


「あなたで二人目だ。俺にそんな態度を取るのは。他の女性達は、いつも媚びて機嫌を取るだけで空気がよめない。しかも、着飾ることに熱中して心が醜い。……それで、あなたはハイブリーの何を知っている?」


 私で二人目? 誰と比べているのだろう?

 怪訝に思いながらも、質問の意図はわからないが口を開く。


「海に囲まれた絶対的な要塞。他国からの侵略を尽く潰し、他国では見たことも聞いたこともない謎の兵器ばかり。船は最先端の新型。街のあちこちに風車があり、研究者や技術者が多く、布やレース産業も有名。そして、ついた呼び名は、大陸随一の発明大国」


 ハイブリーに嫁ぐ前に学べるだけ学んでおいた。人から聞いた話もあるが、ほとんどは、書物にのっているありきたりの内容だ。

 一般的な模範回答だとわかったのか、陛下が笑いながら頷いた。


「その通り。しかし、その眼で確認すると別の発見があると思いますよ、彫刻の姫君」


 なぜか彼は、私の名を呼ぶつもりはないらしい。

 私はそれでも私は構わない……。所詮は政略結婚なのだから。


「どうして、そのような質問を私に?」

「どんな姫君が送られて来たのか気になっただけです。シラーは謎だらけですから。あなたの情報もそれほどくれませんでしたよ。与えられたのは名前と二十一と言う年齢。感情が乏しく、他の姉妹と違って治癒技術は低いと聞いています」


 どうやら、父王は私の長所は言わず短所を伝えたらしい。

 治癒技術は姉妹の中でも一番下と言っても過言でなかった。別の力のせいで上手く宝石を扱えないのだ。


「良くそれで私を娶る気になりましたね」

「容姿が気に入ったので」


 不敵に笑う陛下は、私が泣き出すとでも思ったのか口調も刺々しい。だけど、私にはそれほどダメージはない。

 確かに見た目だけは良いと言われている。髪の長さと無表情を除いて。それは真実だから私は特に何とも思わない。


「ありがとうございます」

「……そこは怒る所では? 顔だけで選んだのに」

「どうしてですか? 私は王女として生まれたので結婚相手は選べません。陛下が望まなければ、私はどこかの側室か条件の悪い相手とも結婚も考えられました。それを思うと、陛下で良かったと思います」


 素直にそう言うと、陛下が困ったような顔を見せる。それは、今までの作ったような顔ではなく素顔のように思えた。


「あなたはやはり彫刻の姫君だ。私は全てを達観して諦め、流される人間は嫌いです」


 すぐに嘘くさい笑顔を浮かべた陛下はまた、自分を覆い隠す仮面を被ったらしい。これでは、もう本音で話し合えない。

 でも、私を正妃へと望んだ理由はわかったのだからそれだけでも収穫があった。

望んだ理由が「容姿」だとしても。


「私も素直に心を見せてくれない方は苦手ですわ」


 このまま話を続けても何も得られないと判断し、食事の途中だが立ち上がる。


「……食事を取っていないみたいだけど、口に合わなかったのかな?」


 話を強制的に終わらせた私に、陛下はいささか不満そうだ。


「合わなかった以前の問題です。これには毒草が入っていますもの。食べられる訳がありません。ハイブリーでは毒を召し上がりますのね? 私はまだ殺される訳にはいきませんので……失礼致しますわ」


 これには彼の顔も強張り、後ろに控えていたオルカが、眉間に皺を寄せて近寄ってくる。そして、じっと皿を見つめた。

 周囲の給仕や侍女達の表情が強張り、不安げにお互いの顔を見合わせている。

 陛下は毒のことを知らなかったのかしら? 昨日に引き続いて今日も毒を盛られたから、陛下の指示かと思っていたのに違うのかしら? 調べる必要がありそうね。


「では、失礼致しますわ。毒を入れた犯人が見つかったら教えて下さいませ」


 平然とした態度で室内を出ようとすると、後ろから引き止める声が聞こえた。だが、聞こえなかったふりをして部屋から出た。

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