第3話 侍女とカーヤのお仕事
「エリカ……。エリカ」
いつものように名を呼ばれ、重い瞼を何とかあける。
「おはよう……。カーヤ」
まどろみながらも傍にいるカーヤに声をかけるが、声が掠れて喉が痛い。しかも、体も鉛のように重かった。
「大丈夫ですか、エリカ。脈は正常に戻っています。それに、痺れも身体から抜けたようですよ。起き上がれますか?」
カーヤの説明に、昨日、何があったのかを思い出すと、頭を抑えて起き上がる。
「頭が少し痛いわ。それと全身がだるい。……私が寝ている間に誰か来た?」
「ええ、様子を見に何度か。でも、私が無難に追い返しておきましたよ。エリカの声は真似出来ますから」
私が生まれたと同時に、私の影としてカーヤも生まれた。
それは、他の姉妹も同様で、動物や鳥などの異なった形として主人に死ぬまで寄り添う。影は、人語が話せるように、他にも主人を守る力を供えている。
主人を守り導く大切な存在だ。
「……そう。とりあえず、湯浴みでもしようかしら。少しはすっきりするかも知れないもの」
よろよろと立ち上がり窓の外を見ると、思ったよりも陽が高い位置に見えた。
朝を通り越して、どうやら昼に近いらしい。
寝過ごしたと焦っていると、見計らったかのように扉が控えめに叩かれた。
「……どうぞ」
慌てて長椅子に腰かけ姿勢を正す。
扉が開かれると、昨日、茶を淹れてくれた黒髪の侍女が一人で入って来た。
「ゆっくりと、お休み頂けたでしょうか? ……湯の用意を致します。少々、お待ち下さい」
私の姿を見た瞬間、侍女は何かを思案したようで、ゆっくりと動き出した。
(エリカのドレスですよ。昨夜と同じですから、休んでいないと悟ったのでしょう)
侍女が姿を現す前に、カーヤはいつものように髪飾りに扮している。
侍女にカーヤの存在を知られる訳にはいかないため、また頭の中で会話を始めた。
……ドレスに皺があるわよね。長椅子で寝たことも気づかれたのかしら?
(優秀そうな侍女ですからね。間違いなくバレていますね。それに髪もボサボサですよ。とても姫君とは思えない身なりです。まあ、湯浴みくらいなら、毒を盛った犯人も仕掛けて来ないでしょう。さっさと身なりを整えて来て下さい)
自信たっぷりに安全だと確信しているカーヤを不思議に思い、どうしてかと問いかける。
(試したのでしょう。シラーの伝承が本当かどうか。毒で騒ぎ立てるようなら、伝承はまやかしだとシラーに攻め入る材料となりますから。シラーは伝承以外でも、地下資源が豊富ですから。それに、気候も年中穏やかで飢餓とは無縁。今回でわかったはずです。毒を飲んだはずのエリカが解毒している。犯人は恐れるでしょう。……力は本物なのだと)
他国にあまりシラーの情報は出回らないようになっているせいか、更に謎と好奇心を刺激しているらしい。
確かに住みやすく争いも絶対に起こらない。他国が欲しがるのも良くわかる。
カーヤの説明を聞いていると声がかけられた。
「準備が整いました。こちらでございます。それと、お召し物はこちらに……。お手伝い致します」
身体が重いせいもあり、カーヤが「大丈夫」だと言うので、ここはありがたく手伝って貰うことにした。
湯浴みが終わり差し出されたのは、ハイブリーのドレス。
青いダマスク(裏地のある文様)織りのドレスは広く首元が開いている。黒とクリーム色の細かな網目のレースがダマスクの上に重ねられていて、丈は足首まで。 ドレスは裾にいくにつれ、ふわりと広がっていく。
そのドレスの上から羽織る様に、薄手の白い絹をかけられ、腰より少し高い位置で、レースと小さな宝石が装飾された帯で固定された。
侍女に着せられたドレスを珍しそうに見ていると、声をかけられる。
「エリカ様、髪はどうなされますか?」
まだ名前も聞いていない侍女は、ちらりと足元まである私の髪を見た。
……そうだった。陛下はこの長い髪がお好きではなかったわね。
「自分でやるわ」
着替えが終わると、侍女にさっきいた部屋へ戻るようにと伝えた。
湯殿から奥の続き間の扉を開けると、天蓋つきの寝台が見える。
その部屋に置いてあった、全身が映る鏡の前へと歩いて行く。
私が湯浴みをしている間に、寝台の上で待っていたカーヤに合図を送った。すると、心得ているように、器用に白い糸を天蓋に向かって吐き出した。
器用に張られたその糸を使い、私の頭の上に着地すると、髪を糸で一房ずつ引っ張り上げ、結い上げていく。
ドレスと同じ生地のダマスク織りのリボンも一緒に編み込む。少し長かったリボンは、余りを後ろへと垂らし、カーヤ自身が髪飾りのように張り付けば完成だ。
「……完璧ね。さすがはカーヤだわ。ありがとう」
そう言うと、カーヤは満足そうに頷いた。
張り巡らされた糸を片づけ、侍女が待っている部屋へと戻る。
すると、感情を露わにしなかった侍女は、初めてその表情を動かした。
「……ご自身でされたのですか?」
「ええ。私、得意なの。髪を編むの」
興味深そうに私の髪を眺める様子を見ると、どうやらハイブリーでは珍しい結い方のようで、侍女の好みだったらしい。
私がじっと見ていることに気が付いた侍女は、気まずそうに顔から表情を消した。
「それではディナー(昼食)へご案内致します。こちらへ……」
距離を取り、無駄口を一切叩かない侍女に好感が持てた。
仲良くなると守らなくてはいけないものが増えてしまう。そうすると、何かがあった時に、迷いが出て判断が鈍ってしまう。
大切な物が増えると、一つ失う度に絶望が降り注ぐから。
それに、他国では誰も信じてはいけないと教えられた。信じると、裏切られた時に憎しみが増すからだと。
侍女の案内で城の回廊を歩いていると、不思議なことに気づく。
長い回廊には、私達以外、誰もいなかった。
どうして、こんなにも人がいないのかしら? 侍女や護衛の兵士の姿も見当たらない。変ね……カーヤ。
心の中で呟くと、髪飾りが少し動く。
それを合図にカーヤの声が響いた。
(確かに変ですね。……少し様子を見ましょう。私達には情報が少なすぎる。エリカ、毒には気を付けるようにして下さい。次はあの程度では、すまないかも知れません。うかつに食べないように)
カーヤの忠告に素直に頷いた。
わかったわ。次は軽々しく口には入れないわ。毒も飲まない。あんな苦しい思いをするのは一度で十分よ。
私の返事に、カーヤが安心したようにゆっくりと動いた。
侍女の後を歩いていると、長かった回廊を抜けた。すると、白い重厚な扉へと案内される。
「――こちらでございます」
黒髪の侍女が自ら扉を押し開けてくれる。
促されるままに一歩足を踏み入れると、そこには、私の夫なる皇帝陛下が優雅に座っていた。
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