第二話 運命の出会い(13)
息が苦しい。
だけど、足を止める気はなかった。
アルコイリスからイリダータ・アカデミーまで止まることなく駆け抜ける。
全身から汗が噴き出し、心臓が痛いくらいに鼓動している。
イリダータの正門をくぐり、ようやく足を止める。
息を整えながら、周囲を見渡す。
あの子はどこにいる? 校内? 寮? いや――いる場所はひとつ。
いてほしい。
もしカームが思っている場所にいてくれたなら――
校内に入り、そのまま突っ切って敷地の北側――広大な自然区へと出る。
森や砂地、人工池など、エレメントの練習をする場として、申し分ない広さを誇り、自由に使うことができる自然区。
だが、さすがの休息日には誰もおらず、静かだった。
そんな中、カームは昨日の場所へ向かう。
人工池から雑木林を抜け、噴水のある広場へ出る。
そこに、黒髪の少年が、いつのも場所で、いつもの練習をしていた。
その光景に、胸がカッと熱くなる。
「よし、もう一本」
変わらない風景。
それがカームには堪らなく嬉しく、同時に申し訳なかった。
胸に手を当て、大きく深呼吸する。
気持ちを切り替え、踏み込んだ。
目を閉じ、ロウソクの火に手をかざす少年。
ロウソクを挟んだ向かい側に音を殺して座り、じっとその様子を窺う。
少年の手が少し下がり、同じ位置に戻る。
その繰り返し。
そこが、火傷するかしないかの分岐点。
そこを、やはり少年は越えることができない。
そのもどかしいと思っていた動きに対しても、今はまったく苛つきを感じない。
じっと観察しながらも、視線が少年の顔に向けられる。
額に脂汗を滲ませながら、少しでも、ほんのちょっとでも手のひらを火に近づけられるように遮断しようとしている。
ロウソクは溶けていき、火の位置も下がっていく。
少年は目を瞑り、それを見ていない。
それなのに、少年の手と火との間隔は、一定だった。
遮断はできていないが、火のエレメント自体は何となくで感じ取っているのだろう。
「本当に……すごい」
思わず呟いてしまった声に、「えっ」と少年が驚いたように目を見開き、
「熱っ――」
下ろしてしまった手のひらに、ロウソクの火が触れてしまったのだ。
顔をしかめ、反射的に手を引っ込めた少年に、カームはその手首を掴み、すぐ脇の噴水の水に突っ込ませた。
「火傷はとにかくすぐに冷やすのよ」
「カ、カーマインさん。どうしてここに……」
「今はいいから、じっとしてる」
「……はい」
少年はどこか嬉しそうに頬を緩めた。
自分よりも細い手首。
五つも歳下で、どれだけ凄腕のエレメンタラーでも、やはり目の前にいるのは年相応の少年なのだ。
少年は大人しく顔を伏せ、恥ずかしそうに視線をそわそわさせていた。
「もういいかしら。見せてみて」
噴水から手を抜き、自分の方へ寄せる。
二人の間に立つロウソクは、ちょうど燃え尽きていた。
「あ、あの……」
「噴水の水なら大丈夫よ。地下水で、飲んでも大丈夫なくらいだから」
手のひらを見下ろし、火傷の程度を確認する。
自分の身に起きたこと、そして火のエレメントを扱う者として、火傷に対する知識はそれ相応に詰め込んでいる。
「い、いえ、そうではなくて」
「ん?」
火傷の確認をしているため、顔を上げることはできない。
「あ、あの、顔が――」
「顔が?」
「顔が、ち、近いです」
そう言われて顔を上げると、すぐ目の前に赤くなる少年の顔が見えた。
「――っ!」
声にならない声があがり、思わず顔を引いてしまう。
「が、我慢しなさい。男の子でしょ」
「は、はい……」
お互いに恥ずかしさを誤魔化すために顔を伏せる。
「思ったより大丈夫そうね。皮膚も赤くなってるだけだし」
「あ、ありがとうございます」
少年が手を引き、カームの手から差し抜かれる。
途端に手持ち無沙汰になり、カームは慌てて話題を振った。
「休息日まで練習をしてたの?」
「はい。一日でも早く、できるようになりたくて」
そう言って、少年が自分の手のひらを見つめる。
「昨日は、ごめんなさい」
カームは頭を下げた。
「昨日だけじゃない、それまでの間、キミに何も教えようとしなかった。本当なら、どうしてできないのか、そういったことを一緒に考えてあげるべきだったのに……」
「いえ、カーマインさんにはちゃんと教えてもらいました。あとはボク次第なんです。だから、謝らないでください。ボクが悪いだけですから」
「そんなことない!」
自分を卑下する少年に、カームは思わず声を荒げ、顔を上げた。
「キミは何も悪くない。むしろすごいわ。今まで何本使ったの?」
「え?」
「ロウソクよ」
「えっと……一日に……十本は使ったような気が……あまり覚えてないですね」
はは、と笑う少年に、カームは驚愕する。
目の前で燃え尽きたロウソクは二十分ほど。
ここに来た時にはすでに火は灯っていた。
一本三十分としても、十本ならば五時間も練習していることになる。
しかも、この練習は極めて地味だ。
並々ならぬ集中力がいる。
それを一週間続けたのだ。
「私はね、キミに意地悪をしてた」
その言葉に、少年がきょとんと目を丸くする。
「だって、キミはもう三つのエレメントをマスターしてる。そこで火のエレメントを習得して、そしてマスターしたら、それは四大をマスターしたことになる。キミは、四大をマスターした人に与えられる称号の名前を知ってる?」
「いえ……」
小さく首を振る少年。
カームは空を見上げた。
「【虹使い】――そう呼ばれるのよ」
「虹……」
「ええ。闇の大戦で、四英雄が戦った決戦の場に、まっすぐな虹が昇ったと言われているの。それは極限の戦いで四英雄から溢れ出たオーラだと言われているわ。それと同時に闇は消滅し、平和が訪れた。だから、今の平和な時代には、虹――アルカンシェルが象徴となっているの。だから、四大をマスターした者は【虹使い】やアルカンシェルと呼ばれる。だけど、戦後十五年、いまだ【虹使い】となった者はいない」
平均して、ひとつのエレメントをマスターするのに十年はかかると言われている。
そこに才能が加われば、少し短縮されたりもするけれども、それでも四つをマスターしようとすれば、三十年から四十年、長くて五十年となる。
そして、エレメントは年齢を重ねるほどにその絶対量が減っていくのだ。早い人は四十代、遅くても六十代になれば必ず減衰する。
だから、【虹使い】を目指す者は少ない。
いや、それどころかほとんどいない。
誰もが自国のエレメントをマスターするだけに留める。
イリダータでは、他のエレメントを学ぶことを理念として掲げているが、それでも他のエレメントをマスターして卒業するものはいない。
たったの四年では、習得できるだけ。
それも、自国のエレメントに加えて、一年の時に教えてもらったエレメントで終わる生徒がほとんどだ。
イリダータの生徒の誰もがすべてのエレメントを習得しようと躍起になっている訳ではないのだ。
倒れるほどにのめり込み、血を吐くほどに体を酷使する者などいない。
だから、カームは誰とも仲良くなるつもりもなく、独りでいた。
なぜなら――
「私は、大陸で最初の【虹使い】になりたい。それが私の目標――人生なの」
その言葉に少年が驚いたように目を見開く。
「すごいです! カーマインさん」
まるで他人事だ。
だけど、少年に悪意がないことは分かっている。
それでも、やっぱり辛い。
「でもね、私は火使いとして父に認められるまで十年かかったの。周りでは私のことを天才と言うけれど、私は凡人なのよ。必死に努力して、一日も休まず、十年間ひたすら特訓して、やっと習得できて、マスターすることもできた。でも、一つマスターするのに十年かかったの。【虹使い】になるには、それをあと三回。それなのに、キミはその歳でもう三つもマスターしてる。試験を受ければ、きっと正式に認定もされる。キミが入学して披露した実演を見たとき、私は泣きたくなった。目の前が真っ暗になって、自分が見ていたものが信じられなかった」
「カーマインさん……」
「キミはすごい。才能の塊よ。勿論、キミは誰よりもエレメントの習得に時間を使っていたんだと思う。でもね、どれだけ一日に練習の時間を割いても、その歳で三つのエレメントがマスタークラスなんて、やっぱり……それはもう……そんなの……」
カームは俯き、堪えようとする。
だけど、どうしようもなく悔しさが胸を締めつけ、湧き上がり、溢れ出し、決壊する。
「そんなのって……ずるいわよ」
「カーマインさん、泣いて……」
「泣いてない」
鼻をすすり、目を手の甲で何度も擦りつける。
涙を見られないように、懸命に表情をつくろうとするのに、駄目だった。
決壊した感情が、心を、そして表情さえもさらけ出してしまう。
今の自分は、誰もが憧れる存在ではなく、自分よりも高みにいる存在に嫉妬し、羨望の眼差しを向けるだけの憐れな存在なのだ。
「私は、最初の【虹使い】になりたい。だから、キミに火のエレメントを教えられなかった。教えたく、なかった。何かがきっかけですぐに習得したらって思ったら、教えられなかった。冷たい態度で、キミを傷つけた。キミは、何も悪くないのに。私がただ、我が侭なだけで、キミなんかよりもよっぽど子どもで……」
「でも、カーマインさんは、こうやって来てくれたじゃないですか」
顔を上げると、少年が微笑んでいた。
「ボク、嬉しかったです。本当は、見限られてるのかなって、そう思ってて。今日もやる気を出して挑んだんですけど、やっぱりって思っちゃって」
「私は、キミこそが天才なんだって思ってた。だけど、そうじゃなかった。ロウソクだって、雑貨屋の商品を買い占めたんでしょ?」
「なんでそれを知ってるんですか!」
「お節介焼きに説教されたの」
フィリスのことを思い出し、くすりと笑う。
「私は、キミのことを知ろうともしなかった。勝手に妬んで、見捨てた。だけど、誰よりも練習しているキミを知って、今はただ、キミに火のエレメントを習得してほしいって思う。努力が身にならないことの辛さは、誰よりも分かるから。だから、今度はちゃんとキミに教えたい」
「カーマインさん」
「こんな先輩だけど、今からでも私を頼ってくれる?」
胸に手を当て――いや違う、と心の中で首を振り、
「いえ、私を頼ってほしい。私が、キミを立派な火使いにしてみせる。だって私は四英雄の火使いにして最高位
そう言って、胸に当てた手を差し出す。
「ボクも絶対に使えるようになってみせます。カーマインさんをがっかりさせたくないから。だから、こちらこそ、よろしくお願いします」
差し出した手を、少年の小さな手が掴む。
お互いに握り合い、握手を交わす。
「カーマインさん」
手を離すやい否や、少年がなぜかやる気に満ちた表情を見せる。
「ボクに、カーマインさんのお手伝いをさせてください」
「手伝い?」
何のことを言っているのか分からず、カームは聞き返した。
「はい! カーマインさんが【虹使い】になるお手伝いです」
「それって……」
「ボクはカーマインさんに火を教えてもらいます。その代わりに、ボクがカーマインさんに水と風と地を教えます!」
「キミが……私に?」
「あっ、ボクなんかが教えるなんて、おこがましいですよね」
アハハ、と自嘲するように笑って顔を背ける少年。
「そんなことない」
「カーマインさん?」
「キミが教えてくれるなら、これ以上の師はいない」
そう言って微笑むと、少年も笑顔を返してくれた。
「じゃあ、勝負しましょうか」
「勝負、ですか?」
「ええ。どっちが先に【虹使い】になるか。お互い、手は抜かない。相手を【虹使い】にするために全力を出すの。勿論、教えてもらう側もね」
「はいっ!」
軽くウインクして見せると、少年が心から楽しそうな笑顔を見せる。
今ようやく、出発地点に立ったような気がする。
それと同時に、はるか遠く――ともすれば到達不可能と思っていた目的地が見えた気がした。
そこに到達することができたなら、カームは最強のエレメンタラーになっているだろう。
だが、その隣にはライバルがいる。
今の段階では、少年の方が圧倒的に有利だ。
だけど、勝つ。
負ける気はしない。
これほどまでにやる気に満ち、そしてやれると確信できたことは今までない。
ここが間違いなくカームの人生における分岐点となるだろう。
少年との出会い。
この出会いが、二人を遥か高みへと導いてくれるはずだ。
「じゃあ、さっそく始めるわよ。コツを教えるから、よく見てなさい」
「お願いします」
そう言って、少年がロウソクを用意する。
火を点けようとする少年より先に、手袋をはめたカームがエレメントで火を灯して見せた。
「カーマインさん、ありがとうございます」
「カームよ」
「え?」
「私のこと、カームって呼んでいいわよ」
そう言って微笑むカームに、ソラは満面の笑顔で返し、
「はいっ、カームさん」
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