第三話 闇の目覚め(1)
フィリス・アークエットの朝は早い。
イリダータ・アカデミーの生徒で早起きする理由はいくつかあるが、ほとんどの生徒は朝練のためだ。
イリダータには、クラブ活動が認められており、申請すればその規模に応じ、部室が与えられる。
勿論、認められたからには活動しなければならないため、定期的な報告は必要とされている。
イリダータはエレメントを学ぶ場だが、人間それだけでは息が詰まる。
同じ趣味を持った者同士で集まり、楽しむことも必要なのだ。
そう言った生徒たちが、フィリスの周りを走っている。
正確には、生徒たちが走っているのは、巨大な人工湖の周回コースだ。
イリダータの敷地内にある人工池も、自然区の北端にあるこの人工湖から水を引いている。
この人工湖は、火の国との国境にあたる山脈の雪解け水でできているのだが、人工湖という名前の通り、この湖は大戦時の激戦の影響で大地が穿たれたためにできたものだった。
山脈に向かって大地が割れ、その裂け目が今では川となっている。
この場での決戦で、四英雄のひとり――【
この人工湖も、九頭龍湖と呼ばれており、水使いの聖地となっているのだ。
ちなみに、ミュールは水龍を九頭つくりだして自在に操ることできるため、畏怖と敬意を込めて『
そしてこの九頭龍湖は、水使いにとって絶好の練習の場となっているのだ。
だが、水使いも個人の力によって操れる水の量が決まる。
だから、水使いの初心者はまず校舎近くの人工池で練習し、ある一定の水量を操れるようになれば、晴れてこの九頭龍湖で練習することができるのだ。
ここまで到達できる生徒は少なく、故に利用者もほとんどいない。
だが、この九頭龍湖――水使い以外にもクラブで運動系に所属している生徒が練習に使用しているのだ。
一周するだけでも、相当の時間がかかるため、軽い気持ちで走り出すと、戻るのに苦労する生徒も続出するらしい。
そんな生徒を遠目に見ながら、フィリスは集中し続ける。
フィリスの足場は、地面ではなく水面。
水使いとして、水の上を歩くことは、ひとつの力量の基準となる。
まずは水面に立つこと。
そして次に歩く。
そこから走って、最後には踊ってみせるのだ。
踊りと言うよりは舞に近い。
そして最後には舞いながら水龍を使役するのだ。
手の動きに合わせるように水龍が空を飛び、舞い上がる。
それを一頭、二頭と増やし、自分の限界である五頭まで増やし、それらをすべてコントロールする。
だが、目指すのはさらに上――!
(六頭目!)
体に負荷を感じながらも、さらに一頭――計六頭を呼び出す。
だが、そこでコントロールが危うくなる。
六頭目を操作しようとすると、他のどれかが自分の意識から外れようとしてしまう。
フィリスは足を止め、力を抜く。
その瞬間、水龍はただの水となり、湖へと落ちた。
飛沫が体にかかり、火照った体を冷やす。
五頭までは容易で、使役も可能だ。
だが、六頭目で壁にぶち当たる。
時々、学長であるミュールに師事してもらうが、それでも壁を越えられない。
ミュール自身も、ここがひとつの壁だと言っていた。
水龍を操るのは指を動かす感覚に似ていると言われている。
一頭から五頭までは、片手のそれぞれの指を動かすことと同義であるため、操作もしやすい。
そこから六頭目を出すと言うことは、もう片方の手の指を一本立て、五本立てた手と同じような感覚で動かすと言うことなのだ。
六頭目は手が違うため、想像する以上に使役することが困難となる。
それを、フィリスは身をもって体感し続けている。
イリダータの水使いで、フィリス以上のエレメンタラーはいない。
だから、フィリスもミュール以外に相談できる相手がいない。
だから、自分でこの壁を越えるしかないのだ。
自分こそが、最高の水使い――ミュール・ミラーが冠する【
頭の片隅に、あの少年の顔が浮かぶ。
それを振り払うように、小さく頭を振る。
(そろそろ戻らないと)
九頭龍湖の中央にぽつんと立っていたフィリスは、文字どおり湖を直進し、水辺へ向かう。
そんなフィリスの視線に、二人一組で走る男女の姿が見えた。
ひとりは背が高く、オレンジ色の赤毛をなびかせている女性。
もうひとりは背が低く、黒髪の少年だった。
その二人が湖を周回するように走っていたのだ。
「え?」
訳が分かららない。
どうして、よりにもよって彼女が走っているのか。
あまりの場違いな場面に動揺してしまったフィリスは、不覚にもエレメントの集中を途切らせてしまい、
「しまっ――」
湖に沈んでしまった。
あぶくが水面にぷくぷくと浮き上がり、やおらフィリスが水面から顔を勢いよく突き出した。
「っぷはぁ」
顔にひっついた髪を後ろに流し、改めて二人の姿を見やる。
文字どおり頭を冷やし、冷静になってみたものの、やはり見間違いではなかった。
どうしようもなく仲睦まじく見える二人は、カームとソラだった。
そして、水浸しのまま寮室に戻ったフィリスは、ちょうどシャワーを浴び終えたカームと鉢合わせし、鼻で笑われたのだった。
※
「お前、最近よくカーマイン先輩と一緒にいるよな」
午前の授業の始業前。
いつもの席で、レイ、ソラ、エラの順で座る三人。
これもおなじみの光景だ。
「え? うん、カームさんとは毎日練習してるから」
「ソラ――あなた、カーマイン先輩のこと愛称で呼んでるの?」
「う、うん。そう呼べって、カームさんが」
「へぇ」
エラが感心したかのように声を上げる。
「そんなに驚くことなのか?」
ソラを挟んで、レイがエラに顔を向ける。
「カーマイン先輩をカームと愛称で呼んでいいのは、カーマイン先輩が許可した人だけなのよ。フィリスお姉さまは断りもなく呼んで、半ば押し切ったって言ってたけど、実質、イリダータであの人をカームと呼んでいい人はいない。おそらくソラ以外はね」
「はぁー、それって、つまり」
「ええ、そうね」
双方からじとーっと睨まれるソラだけが、きょとんと首を傾げていた。
午前の授業が終わると、生徒たちが出て行く。
その生徒たちが皆、教室を出る度にぎょっと驚いていた。
何だろうと思いながらレイとエラと一緒に教室を出たソラは、廊下で佇むカームの姿に、他の生徒たちと同じように驚いた。
「ソラ、一緒に昼食でも、どう?」
そう言って、カームが優雅に微笑んだ。
「食堂はこんな風になっているのね」
カームと合わせて四人で食堂に入ったソラは、その言葉に驚いた。
「カームさん、食堂を利用したことがないんですか?」
「ええ、人混みが苦手だから、知らない誰かの隣で食事をするなんて落ち着かないわ」
「それなら、僕がカームさんに合わせますよ」
「ううん、私からお願いしたんだから、キミに合わせるわ」
「分かりました」
それから食堂を利用の仕方を教えるソラと、あとに続いて同じような動きをする上級生のカーム。
そんな二人の姿は、食堂を利用する全生徒の注目の的となっていた。
「カーマイン先輩と一緒でやった、って思ったけど、この視線はちょっと……」
「だな」
二人の後に続くエラとレイが、少しだけ距離を置く。
それから四人掛けのテーブルを見つけ、各々腰を下ろす。
ソラの隣にはカームが座る。
その自然な流れに、エラとレイは声をかける気にもなれず、二人の世界に入り込むソラとカームの姿を見せつけられながら食事をする羽目になった。
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