第二話 運命の出会い(11)
「付き合えって、ここ?」
カームは立ち止まり、店の看板を見上げていた。
そこは雑貨屋だった。
「いいから黙って付いてきなさい」
ここに来るまでお互いにひと言も話さなかった。
フィリスの意図がまったく読めず、何を聞いても答えないと思った。
それに、フィリスとは三年を共にしたが、カームが頑なに心を閉ざしていたため、周りが思っている以上に親交はない。
そんなフィリスが休息日に誘う。
それだけでカームにとっては異常なことなのに、その意図が読めないときている。
フィリスとの個人的な親交はない。
だが、フィリス・アークエットという人物の性格は知っている。
この場合、フィリスは絶対に引かない。
それこそ襟を掴んで引きずってでもカームを連れ出すだろう。
火のエレメントを使えば、水のエレメントで対抗してくるだろう。
勿論、そんなことは絶対にしないが……。
だから、フィリスに付き合えと言われた時、口では断ったが、内心では溜息をつき、渋々だが行くしかないと観念していた。
そして、目的地が雑貨屋だ。
ここに来て、フィリスのことがよりいっそう分からなくなった。
雑貨屋に入るフィリスに続き、カームも入店する。
店内の雰囲気は、どこか女性客を意識しているように感じた。
実際、客も女性がほとんどだ。
狭い店内の中を、客とぶつからないように進む。
やおらフィリスが足を止め、その場から一歩横にずれる。
フィリスが退けた先にあったのは――いや、正確にはなにもなかった。
そこにあるのは、空っぽの籠と品書きだけ。
「これが、一体なんだって言うの!」
苛立ちに声を荒げる。
それでも店内であることを理性として働き、声量だけはどうにか抑えた。
「分からない?」
もったいぶるような口調に、苛立ちが増す。
本当に、一体何だっていうのよ。
怒りの矛先を変えるように、空っぽの籠を睨み付ける。
空っぽということは、売り切れと言うことだ。
一体、何がそんなにも売れているのか。
そう思い至り、品書きを見やる。
そこに丸文字の手書きで書かれていたのは――
「ロウソク……?」
なんでそんなものが、売り切れるほどに――
(私が教えられるのは、ここまで。まずは、自分で徹底的に熱への遮断を身につけなさい。ロウソクならアルコイリスに売ってるから、あとで買いに行くといいわ)
「嘘……」
少年がロウソクを使って練習していたのは知っていた。
だけど、そんなのは放課後だけのことで、それに一日に一本程度だろうと考えていた。
だけど、もしこの籠に入っていたロウソクを少年が全部買ったのだとしたら――
「お客さま、もしかしてロウソクを買いに来たんですか?」
立ち止まっていたカームとフィリスに、後ろから店員が話しかけてくる。
「ええ、そうなんです。でも、売り切れてて驚きました」
咄嗟に反応できなかったカームに代わり、フィリスが笑顔で応じる。
「実は、今週頭の夕方頃に、イリダータの生徒が全部買い占めていったんです」
「そうだったんですか。その子、どうしてそんなにロウソクが必要だったんでしょうか」
「私も、つい気になって聞いたんですけど、その子……『火のエレメントを学ぶために必要なんです。そのためには、いっぱいいっぱい練習しなくちゃいけないんです。ボクに火のエレメントを教えてくれる人をがっかりさせたくないから』って」
「熱心な子もいるんですね」
「本当ですね。平日だったから、特別に許可がないと生徒がアルコイリスに来ることはないので、よほど大事な用事だったんですね」
それからフィリスと店員が話し込んでいたが、カームの耳にはそれ以上の言葉が入ってこなかった。
頭の中が、いっぱいだった。
おそらく、少年は許可など取っていない。
許可など、出るはずがないから。
ずっと、勘違いしていた。
ソラという少年は、天才だと思っていた。
三つのエレメントをマスターしているのに、数日後に少年の成果を見に行ったカームは、まったく進展のないその光景に、少年が練習にそれほど時間を割いていないのだと思った。
どうせ天才なのだ。
練習などしなくても、すぐに身につけてみせるだろう。
進展がないのは、その余裕のあらわれ? すぐに練習などしなくとも、少年ならば少し本気を出すだけで、それこそ一年以内にカームすらも超えてしまうかもしれないと、そう思った。
……勝手に、そう思っていた。
(ああ、そうか――)
その瞬間、カームは理解した。
少年がどうという問題ではない。
自分の方に問題があったのだ。
少年が火のエレメントをマスターすれば、それはカームが目標としていた【虹使い】の称号を先に得られてしまうことになる。
これまでに誰も為しえていない偉業。
だからこそ、この【虹使い】という称号には特別な意味がある。
一番でなければ名は残らない。
それ以降に【虹使い】になろうとも、一番を前には霞んで消える。
だから、カームは誰よりも早く【虹使い】になる必要があった。
そのために努力し、【パイロマスター】級の火使いにもなった。
残る三つも、二十代のうちにマスターしてみせる。
そう思っていた。
それなのに、少年が現れたことで、すべての計画が狂った。
十四歳で、すでに水、風、地のエレメントに対してマスタークラスの実力を有した少年が入学してきた。
その時のカームの衝撃は、計り知れないものだった。
寮に戻ってから、吐きもした。
誰よりも前に立っていたカームの前に突然現れた小さな背中――それは、あまりにも大きくて、カームは追い越すことができないと無意識に悟ってしまった。
だから、少年とパートナーを組めと言われた時は、まさに悪夢だった。
気がつけば、雑に教え、口調もどこから苛つき、怒気を含んでいた。
それでも少年は臆せず正面から向き合い、カームのひと言ひと言に耳を傾け、そして言葉通りに実行した。
徹底的に、ただひたすら特訓していた。
(ああ……)
眩しい。
あまりに眩しい。
眩しすぎて、自分の醜さが露わになって、泣きそうになってしまう。
もう、あの少年の前に姿を見せることなんてできないと思うくらい。
店主と話し終えたフィリスが笑顔から一転、振り返りざまに表情を戻す。
「私のパートナーのエラ・グリーンが、少年と同室のレイ・バーネットって子に聞いたらしいけど、少年は寝る前にも特訓していたらしいわ」
「――っ!」
声にならない声が、喉を震わせる。
「一時間か二時間くらい、ロウソクを立ててはじっと手のひらを火に翳し続けてる。おかげでロウソクの火の明かりで寝不足だ、ってぼやいてたらしいわ」
何も言えず、歯を食いしばり、瞳を伏せる。
「私はね、天才って言われるような人物も、絶対にどこかで、誰にも見られていない場所で、それこそ周りの人間が遊んでいるときも寝ているときも、ただひたすらに自分が極めたいと思っていることに対し、誰よりも熱心に取り込んでいると思うの。それは、あなただってそうなのでしょ? カーマイン・ロードナイト」
そうだ。
この体の火傷だって、そうだ。
これを戒めに、そしてバネにして、カームは人生を懸けた。
そして十四歳で火使いとして父に認められ、それから二年後、イリダータ・アカデミーへの入学も許された。
アカデミーでは天才だの言われていたが、誰も自分のことなど知るはずもない。
ここに来るまでにどれだけの血と汗と涙を流してきたか。
「カーム――あなたは自分のことを多くは語らない。だけど、語ることが必要なときもある。そうすれば、少年だって答えてくれるはずよ。あなたには、少年のことを知る義務がある。そのために、まずはあたなが心を開きなさい。全開にする必要はない。ほんの少し、隙間を開けるだけでもいい。それは必ず、あなたのためにもなるから」
肩に手を添えられ、カームは顔を上げた。
「どうして、私なんかのために、ここまでしてくれるの?」
今回のフィリスの行動は、あまりにお節介だ。
他人のために、しかも自分の利益にならないことをするような人物ではない。
常に自分を磨き上げ、誰からも認められる人間であろうとする彼女が、こんな自分に時間を割くなど、ありえない。
「あなたはどう思っているか知らないけど……私はね、あなたのことを友達だと思っているわ」
「え?」
「そうじゃなければ、同室になんてならない。あなたは、私の目標であり、ライバルであり、そして何よりも友達だから」
何も、言えない。
言う資格すら、ない。
「その表情じゃあ、あなたの方は違ったみたいね」
おどけたような表情で微笑むフィリス。
「それにね、私なら、あなたの心の扉を開けることができるんじゃないかって、そう思ってた。でも、私には無理だった」
フィリスが瞳を伏せる。
「だから、少年を見ていて、まるで自分のことのように感じたの。でも、少年は違った。言葉とか、態度とか――そんなものではなく、行動で示した。どれだけ時間をかけようと、罵られようと、少年は成し遂げるまで絶対に諦めない。だからなのね。あの歳で三つもマスターしてるのは。天才は天才でも、努力の天才。いえ、学ぶ才能かしら。少年にとっては、何かを学ぶことが楽しくて仕方がないのかもしれない。座学の授業でも、楽しそうにしてたって言ってたし」
「私……私は……」
カームはぎゅっと拳を握りしめ、体を震わせた。
感情が爆発しそうで、抑えられない。
「私の用事はここまで。あとはカーム――あなた次第よ」
顔を上げ、三年という月日を共にしてくれた同室の子と目を合わせる。
フィリス・アークエット――こんなにも自分のことを考えてくれていた子が、同じ部屋に居てくれていた。
それなのに、自分はずっと突き放し、心を閉ざしていた。
「フィリス……私……あなたと……いっぱい……喋りたい」
「ええ」
「でも……今はごめん……私……どうしても……どう、しても……」
「……ええ」
フィリスのあいづちに湿り気が含まれ、カームの声が震える。
「あの子のところに行きたい!」
「ええっ!」
頷き、振り返る。
背中を押され、雑貨屋を飛び出す。
オレンジ色の赤毛を揺らし、ひたすらに走る。
あの子は、イリダータに残っているのだろうか。
もしかしたら、また特訓しているかもしれない。
だとすれば、行くべき場所は――
(お願い、そこにいて)
カームはただ願う。そして――
(もし、そこにいてくれたのなら、今度はちゃんと教える。そしてキミを、火使いにしてみせる。そう――)
このカーマイン・ロードナイトの名に誓って!
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