第二話 運命の出会い(9)
アビゲイル・ワイゼンスキー。
両手に杖をつき、足の不自由な小柄な女性。
ミュールや楓よりも温和で、微笑みを絶やさなかった地使いの母。
だけど、物心がつき、エレメントというものが分かってきた頃、アビーが地のエレメントを教えると言ってきた。
ソラは、アビーが教えてくれるということが嬉しくて、楽しみにしていた。
だけど、アビーはまるで人が変わったように、ソラに厳しく接した。
徹底的に地のエレメントの制御を教え込み、時には手をあげた。
傍に楓もいたが、止めに入ることはなかった。
それでも、アビーは優しかった。
体力を使い切り、地面に倒れたソラを介抱してくれた。
家では何でも一緒だった。
料理を作って、食器を洗い、お風呂に入ればお互いの体を洗い合った。
アビーの足は、闇の勢力との大戦で負傷し、歪になっていた。
骨を砕かれたと、アビーは自分の足をさすりながら教えてくれた。
痛そうで、何よりもアビーの表情が悲しそうで、ソラはベッドで横になったアビーの足をさすってあげた。
そのとき、アビーは涙を流していた。
何度も「ありがとう」と呟き、終わると抱きしめられ、そのまま眠りについた。
翌朝の特訓が始まると、アビーはまた厳しくなった。
だけど、ソラはそれと向き合うことに決めた。
アビーが、自分のことを想ってくれていることは十二分に感じていた。
だから、これは自分のためにしてくれているんだと。
その意志が伝わったのかのように、アビーはただ厳しいだけではなく、まるで試すような表情で、どこか楽しそうにしていた。
それから三年――最も制御が難しいといわれる地のエレメントを、ソラはマスターした。
それは実質、史上最年少の【ジオマスター】の誕生を意味していたが、それを知るものは、誰もいなかった。
アビーは月日を重ねるごとに体調が悪くなり、ソラが地のエレメントをマスターすると、まるで自分の役目を終えたかのように、寝たきりとなった。
そこからはあっという間だった。
次の季節が来る間もなく、アビーは永遠の眠りについた。
意識が朦朧としているような、どこか眠たげな表情をするアビーとお喋りをしていた。
お昼になり、食事を作ってアビーの枕元で一緒に食べようとした。
だけど、料理を運んできた時、アビーは眠っていた。
とても穏やかで、笑っていた。
静かに、アビーが逝ったのだと悟った。
だから、大泣きすることなく、アビーの手をとって、そのまだ暖かさの残る手の甲に額を押しつけ、押し殺すようにしてソラはむせび泣いた。
楓と一緒にアビーの体を清め、色とりどりの花々が咲き誇る大地に埋葬した。
土葬は、アビーの遺言だったと楓は言っていた。
地の国では土葬が一般的で、それはその者に宿っている地のエレメントを大地に還すという意味が込められているのだと言った。
だから、アビーの死後、ソラは地のエレメントを使う度に、彼女に見守られているように感じるようになった。
それからは、楓から風のエレメントを教えられた。
楓とは、とにかく外に出て遊んだ。
ただ、遊ぶ条件に必ず風のエレメントを使うように言われた。
風は目に見えず、そして絶えず変動している。
それを体で感じ、流れを読む。
流れに身を任せ、そこに風のエレメントを付与し、自然な流れを乱すことなく、そっと自分の流れへと変える。
そうやって、風を操るのだと。
無理やり流れを変えず、流れを誘うのだと。
楓が見せてくれた舞は見事で、彼女の動きを追うように風が流れているのを感じた
風のエレメントはつまり空気でもあり、マスタークラスとなれば、自分の体を浮かせたり、飛ぶことも可能となる。
高いところから跳び下りても風のクッションで無事に着地することもできるそうだ。
そうやって風のエレメントを常に感じ、些細なことでも使うようにしていうちに、それが当たり前のようになっていた。
常にエレメントと共にあり、そのことに疑問すら感じなくなる。
無意識に風が読めるようになり、風と共にあるようになった。
一年が経ち、ソラが十歳になった頃――楓からひと振りの刀を手渡された。
刀自体は、ずっと楓の部屋に置いてあったため、どんなものかは知っていた。
だけど、それを手渡され、使うように言われたのだ。
楓の出身国である島国に伝わる刀。
楓は、刀と風のエレメントを使っての抜刀術と呼ばれる技を使う一族の元当主だった。
一度、目の前で抜刀術を見せてくれたのだが、かろうじて見えたというのが正直な感想だった。
それでも、見えただけでもソラはやはり素質があると楓は笑っていた。
楓は刀を構え、そして――消えたのだ。
気がつけば、風が吹き、楓は離れた場所にいた。
しかも、鞘に納められていた刀は抜き放たれていたのだ。
そして、楓が消える前と消えた後、その間に地面に刺しておいた枝が真っ二つに斬れていたのだ。
これが抜刀術。
相手に一切の動きを与えず、先手必勝で倒す――いや、殺す技。
それをなぜ楓がソラに教えようとしたのか、それは分からない。
単に、手合わせの相手が欲しかったのかもしれない。
それとも自分の後継者を――
ただ、ソラはその時の楓の姿が、今まで見たことのない凛々しさを醸し出していたため、格好良いと思った。
刀は二振りあり、そのうちのひと振りを手渡され、やってみるように言われた。
当時のソラでも抜くことができるほどに、その刀は短めだった。
見様見真似で構える。
あの速度は、風のエレメントを使わなければ実現できない。
まさに未体験の速度域を体感し、一日の終わりに一度だけ、楓と手合わせをする。
毎日毎日、ソラが抜き放つ前に楓の刀が首筋に当てられていた。
最初は柄に触れる間もなく。次は握ったところで。
少しずつ、少しずつ、ソラは速くなっていった。
一週間、一ヶ月、季節を跨ぎ、一年経ち、さらにもう一年――ソラは刀を完全に抜くことができた。
だが、それだけ。
次の日よりも速くなるために、ソラは楓から与えられた練習をこなし、それ以上を自分に課した。
風のエレメントによる体の負担に耐えるため、自らの肉体をも鍛えた。
それまでの間、何でも楓と対決するようになった。
早食い、歯磨き、風呂、掃除、競走――どんな些細なことでも勝負にし、すべて負けた。じゃんけんですら。
さらに一年が経ち、そして――抜き放った刃と刃とがぶつかり合う直前で、楓とソラはお互いに笑い合った。
お互いが立っていたちょうど中間点、そこで二人は止まっていた。刀を抜き、相手に斬り込む寸前。
そこで楓は「よくやった」と言い、ソラの頭を撫でた。
気がつけば、ソラは【エアロマスター】と同等の力を手にしていた。
それからも鍛錬を続けるも、中間点よりも前には中々踏み込むことができなかった。一歩――そのたった一歩が、踏み込めない。
それと並行して地のエレメントも一日たりとも欠かさず鍛錬し、さらには水のエレメントも、独学で学び始めた。
そして二年が経ち、傍らの湖の水を使い、水龍と呼ばれる水柱を七つまで呼び出し、操れるようになった。
そしてソラは十四歳を迎えた。
「ソラ――あなたが水、風、地を習得するのに、たった一週間でできた? 一週間、火のエレメントの練習をし、できないからと言って、それが上達できないことになる?」
ミュールの諭すような口調に、ソラはハッとした。
そうだ。
地に三年、風に三年、水に二年――物心がついてから、一日たりともエレメントの鍛錬を怠ったことはない。
それなのに、たったの一週間で落ち込んで、習得できないのではないかと思い込んでしまっていた。
いつの間にか、驕っていたのだ。
「あなたはエレメントを学ぶ上で、最高の先生に教わってきた。それはとても幸運なこと。そして、残る火のエレメントもまた、あなたには最高の先生がついている。カーマイン・ロードナイトは、あの人の子。イリダータで火のエレメントを学ぶなら、彼女以上の先生はいないわ」
あの人とは、エラが語っていたら四英雄のひとり――ルカ・ロードナイトのこと。
「成せないのであれば、成せるまで成せ」
ミュールのその言葉に、ソラは懐かしさを感じた。
それは、楓やアビーもよく口にした言葉だった。
「四英雄のひとりが言っていた言葉よ」
「ボクもよく言われた。成せないからと言って、それは素質がないわけではない。何かしらの要素が欠けているだけで、それらを模索し、試行錯誤して成せるまで成せ、って」
「そうね。だから、ソラにも何かが欠けているのかもしれない。もしかしたら、カーマインの方に欠けているものがあるのかもしれない。あるいは、両方――」
欠けているもの。考えるが、思い浮かばない。
「人はね、話し合うことでお互いを理解するの。ソラは、カーマインのことをどれだけ知ってる? 周りから聞いた話じゃなくて、彼女自身からどれだけの話を聞いた? そしてソラは、自分のことをどれだけ彼女に話した?」
穏やかなミュールの瞳。
ミュールともイリダータで再会したのは、十年以上経ってからだ。
初めは緊張した。
知ってはいても、やっぱり楓やアビーと違って、付き合いがなかった。
でも、何度も話し、食事をして、一緒に寝て、そうやって時間を共有するうちに、ミュールもやっぱり自分にとって母親のひとりなんだと実感した。
そうだ。
カームとはまだ話しことがない。
お互いのことを、まったく理解していない。
今のソラとカームは、パートナーなのだ。
エラが、パートナーであるフィリスのことを自慢げに話していた。
レイだって、愚痴っぽかったけど、よく口にしていた。そういうことなのだろう。
そうやってお互いのことを知ることが、お互いの欠けているものを見つけ、そして補うことができる。
だから、まずは話したい。
そう素直に思った。
そのためには、あの場所へ――
「ミュール、ごめん。ボク――」
「行くのね」
「うん!」
ソラはソファーから跳び下り、すぐに支度をし、日が昇る頃には家を飛び出し、イリダータへと向かっていた。
微笑ましく見つめるミュールの視線を背中に感じながら――。
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