第二話 運命の出会い(8)
ほとんどの生徒が夕食を終えて寮室で休んでいる頃。
夕日も沈み、星が瞬く。
静かになった正門前で、星をじっと見上げていたソラは、待ち人が駆け足でイリダータ・アカデミーの正面玄関から出てくるのを見て、笑顔が出た。
「待たせてしまったわね」
「ううん」
ソラの前で立ち止まり、呼吸を整えるのは、イリダータの学長であるミュール。
「じゃあ、帰りましょうか」
ミュールが歩くのに続き、ソラも横に並ぶようにして歩き始めた。
「もうすっかり夜になってしまったわね。今日は外で食べましょうか」
「……うん」
「ん? お金ならお母さんが払うわよ。好きなもの頼んだっていいんだから」
まるで払わせてくれとでも言わんばかりに言い放つミュールに、ソラは曖昧に笑って返した。
「……ソラ、何かあったの?」
先を歩いていたミュールが立ち止まり、振り返る。
ソラも足を止め、俯いてしまう。
「相談……したいことがあるんだ」
どうにか口にするソラの視界が不意に塞がれ、何かと思うと、ミュールに抱きしめられていた。
柔らかくて、暖かい。
それに、ミュールの匂いが感じられた。
「そう。分かったわ。夕食は家で食べましょう。その方が落ち着くわね」
ソラは、ミュールのお腹に額を押しつけるようにして頷くと、体を離し、お互いに笑顔を見せ合い、並んで歩き始めた。
アルコイリスに着くと、大通りで食材の買い物に付き合い、ミュールの家に帰ったソラは、一緒に料理を作り、食卓を囲み、一週間で起きたことを話し、寮室の浴室にはない風呂に浸かり、心身共に疲れを癒やした。
ソラと入れ替わりでミュールがお風呂に入る。
女性の風呂が長いと言うことは分かっているので、ソラは気長に待った。
柔らかいソファーに背中を預け、深く息を吐く。
ミュールが落ち着いたら、話そう。
だから、それまでは――
ミュールが風呂から上がると、ソファーで座ったまま眠るソラに苦笑した。
「待たせ過ぎてしまったようね」
寝間着のワンピースの裾を揺らしながら、ブランケットを探す。
ソラが眠るソファーの横にしゃがみ込み、起こさないようにソラの体を寝かせる。
「よっぽど疲れたのね」
顔にかかる黒髪をよけ、寝顔をじっと見つめる。
今までこの寝顔を、楓とアビーに独占されていたのかと思うと悔しい。
だけど、これからは自分が独り占めできる。
髪をのけた指をそのまま頬に這わせ、露わになった額にそっと唇を触れさせる。
「今日は眠りなさい。明日、ゆっくり聞くわ」
ブランケットをかけ、そっと部屋を後にする。
(それにしても――)
楽しみにしていた添い寝ができなくなってしまったことに、ひとりベッドで横になるミュールは悶々とするのだった。
※
翌日の午前。
生徒たちが続々とイリダータを出て行く。
その生徒の表情は嬉々としている。
ショッピングにランチ、アミューズメント――とかく誰もが休息日を楽しもうと浮き足でアルコイリスの町へ繰り出す。
そんな中、二人の最上級生が並び歩く。
その姿に誰もが目を奪われていた。
オレンジ色が目立つストレートロングヘアーの赤毛をなびかせるカーマイン・ロードナイト。
亜麻色のロングヘアーをハーフアップにし、大人びた雰囲気を醸し出すフィリス・アークエット。
二人が並ぶ姿はまるで絵のようで、イリダータ・アカデミーにおいて名実共に最高のエレメンタラーは、全学年の憧れであり、目標であり、遙か高みの存在。
誰もが近づくことすら躊躇われるほどの存在感。
だが、近づけない理由は、それだけではない。
カームはともかく、フィリスは人当たりもよく、人望も厚い。
男子生徒はそうではないが、女子生徒はよく話しかけ、それに対しフィリスも笑顔で応じてくれる。
だが、そんな女子生徒も、今日だけは誰ひとりとして声をかけることはなかった。
それは、傍らにカームがいるから――それも理由のひとつかもしれないが、最大の理由はカームの表情だった。
ひと言で言うならば、不機嫌だった。
ただならぬ雰囲気。
手を出せば噛みつくどころか灰にされてしまうかもしれない。
それが冗談では済まされないのが、カームの小火事件だ。
あれ以来、カームに対し、誰もが声をかけなくなった。
声をかけたとしても、睨むような目つきと噛みつきそうな態度に、誰もが二度と声をかけなくなる。
そんな猛犬そのものと化しているカームと共に歩く――どころか、前を進み、彼女を引き連れているようにも見えるフィリスの姿は、あまりに異質だった。
唖然とする生徒たちに奇異の目で見送られながら、カームとフィリスはイリダータ・アカデミーを後にした。
※
目を覚ましたソラは、上体を起こし、反射的に窓を見やる。
いつもより暗い。
どうやら、早く寝てしまったために、起きる時間も早くなってしまったらしい。
寝ぼけ眼をこすりながらソファーから足を下ろすと、
「うっ」
足下から呻き声が聞こえた。
「えっ?」
思わず足を浮かし、床を覗き見ると、ミュールが横になっていた。
「ん……」
寝ぼけ眼をこすりながら、ミュールが体を起こす。
体にかかっていたブランケットが落ち、ネグリジェ姿が露わになる。
「なんで、ミュールがここで寝てるの?」
「それはこっちの台詞よ。もう、本当は一緒にベッドで寝る予定だったんだから」
寝ぼけているのか、どこか威厳を感じられない学長。
「そ、そうだったんだ……」
「だから、こうして横で寝てれば、少しは添い寝の気分が味わえるかな、って。わざわざ戻ってきたのに……」
まるで子どものようにしゅんとするミュールに、ソラの方がいたたまれなくなる。
「ごめんね、ミュール」
「いいのよ。おかげで寝顔も見られたし」
「え?」
「何でもないわよ。それにしても、朝は冷えるわね」
ミュールがブランケットを肩にかける。
髪も整えておらず、化粧もまだしていない、素のミュール。
それでもソラにとって、目の前のミュールは綺麗だった。
「ソラ」
ミュールと視線を交わす。
ソファーに座るソラと床に座るミュールの視線の高さはほとんど変わらなかった。
「昨日やり残したこと、してしまいましょうか」
それは、相談のこと。
「うん。実は……」
ミュールが向き合ったまま、ソラの言葉を待つ。
「カーマインさんに火のエレメントを教えてもらったんだけど、基本中の基本って言われてた熱の遮断ができなくて、それで……」
「それで?」
「うん。それからずっと練習してたんだけど、昨日カーマインさんが様子を見に来てくれたんだ。でも、まったく上達してなかったから、カーマインさんを怒らせちゃって」
「あの子が?」
ミュールの柔らかい声音に、ソラは俯きながら小さく頷く。
「『キミには私の気持ちなんて分からない』って言われたんだ。三つもエレメントを扱えて、なんで火のエレメントだけ上達しないのか、って……」
その言葉に、ミュールが顔を伏せる。
どこか物憂げな表情に見えた。
「ボク、今まで考えたこともなかったんだ。エレメントを使うことがこんなに難しいなんて」
「確かに、ソラには才能があるわ。私がまだイリダータの学長に誘われる前、三人であなたを育てていた頃、私はあなたをあやすために水のエレメントを使って、水玉をつくって見せたことがあるの」
ミュールが居た頃は、ソラはまだ幼く、記憶がない。
「必死に手を伸ばして掴もうとして、とても可愛かったわ」
思い出したように、ミュールが頬を緩める。
「でもね、そこから先が驚いたの。私も、楓も、アビーも。私が浮かせていた水玉が、勝手にあなたの方へ向かって行ったの。勿論、私がしたことじゃない」
それが何を意味するのか、今のソラには分かる。
「ソラ――あなたはエレメントに対する適性がずば抜けているの。それも、すべてのエレメントにおいて。赤子だったあなたが、自分の意志とは関係なく、水玉を操った。まぁ制御はできなかったから、自分の方へ引き寄せておいて頭から水玉をかぶって大泣きしてたけどね」
子どものように笑うミュールに、ソラも笑った。
「でも、クリスはボクにすごく厳しくしてくれた」
目を閉じて思い出す。
母親の一人にして、エレメントの基礎を徹底的に教えてくれた師でもある最高の地使い――アビーのことを。
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