第二話 運命の出会い(5)
そうこうしているうちに予鈴がなり、午前の授業が始まった。
ちなみに、予鈴が鳴っても起きなかったレイは、前の方の席ということもあり、初日から先生に起こされるという、アカデミー始まって以来の快挙を成し遂げたのだった。
レイを起こした教師は若い女性だった。
若いが、それ以上に初々しさを感じる。
鳶色の髪をバレッタでまとめ上げており、白のシャツにベージュのジャケット、ネイビーのフレアスカートが教卓まで歩くたびに揺れている。
「新入生の皆さん、初めまして。私の名前はルイス・バンフィールドです。一年生の午前の座学を担当しますので、よろしくお願いします」
一歩引いて頭を下げるルイス教諭に、ソラは「よろしくお願いします」と言った。
他の誰も言っていなかったが、ソラは特に気にしていなかった。
「ありがとう」
ルイスがはにかみながら言い、それから授業が始まった。
今日は、主に復習をすると言った。
つまり、みんなが知っているであろう基礎知識を、もう一度ここでおさらいするというものだった。
ルイスの辿々しくも丁寧な授業に、ソラは聞き入っていた。
レイやエラたちにとってはやはり復習だが、ソラにとってはすべてが新鮮で楽しかった。
時々、分からないことを質問しては、納得していく。
そうして時間が過ぎていき、午前最後の授業が始まった。
「では最後に、歴史を勉強したいと思います」
わくわくするソラの隣で、レイが船を漕ぎ、エラが必死に眠気と戦っている。
「まずエレメントについて。エレメントとは、この世界を構成する要素のことです。大きく四つのエレメントがあり、火、水、風、地――これらを四大と呼びます」
ふむふむ、と心の中であいづちを打つ。
「エレメントと生き物との間には密接な関係があり、魚が海を泳げるのは水のエレメントに、鳥が空を飛べるのは風のエレメントに、アリやミミズが地中で暮らしていけるのは地のエレメントに、それぞれ適応しているからだと言われています」
ルイスの説明が、ソラの興味を引き立てていく。
「では我々人間の場合はどうでしょう? エレメントは、土地によって固有のエレメントが集まります。そして人間は、その住む土地に満ちているエレメントと長い年月、世代を経て共生し、結果、エレメントを使役することができるようになったのです。沿岸諸島に住む人々は水のエレメントと共生し、砂漠地帯に住む人々は地のエレメントと共生し、渓谷や高原など風の豊かな場所に住む人々は風のエレメントと共生していったのです」
「先生」
ソラはすかさず手を挙げる。その挙動に、ルイスがくすっと笑い、手を差し伸べ、発言を促す。
「火の国の人たちは、どうやって火のエレメントに適応していったんですか?」
「いい質問です」
ルイスも嬉しいのか、顔を輝かせる。
周りの生徒たちは、またか、と嘆息していたが、ソラとルイスは二人だけの世界に入り込んでしまっていたため、まったく気づいていなかった。
「火のエレメントは四大の中でも特殊な立ち位置で、自然には存在しません。ではなぜ、水、風、地と肩を並べる重要なエレメントとなったのか――」
ひと息分の間をわざと開け、ルイスがソラを見つめる。
「それは火のエレメントが、人間自身の手にとって生み出されたからです」
「っ! そうだったんですか!」
「はい! 驚いたでしょ? 火のエレメント自体は存在していましたが、それはとても小さいものでした。原初の時代――大陸ができた時にはとても大きなエレメントとして存在していましたが、気候が安定し、生物が繁栄しだすと、火のエレメントは衰退していきました。その火を、人間が自らの生存と繁栄のために生み出したのです」
隣で寝息が聞こえるが、ソラの耳には届かなかった。
「動物の中で、寒い場合に火を起こすのは人間だけです。金属を加工するために火を使うのも人間だけです。食事をするのに火を使うのも人間だけです。このように、火のエレメントは土地ではなく、人に依存しているのです。よって、水の国、風の国、地の国の人々も、体の奥底では燻る種火を持っているのです。事実、火の国は、北の土地を中心としており、寒い季節には雪も降ります。そのため、人々は暖をとるために火を起こします。それに山岳地帯には鉱脈があるため、金属を溶かすために膨大な炎を常に燃やしています」
言われて胸に手を当てる。
この胸の内に、火のエレメントが宿っている。
そう思うと、午後の練習も気合いが入りそうだった。
「ですが」
とルイスが声のトーンを落とす。
「この、エレメントを使役できるようになったこと――そして、同じエレメントを使える人間が集まり、国というシステムが成り立ち、隣り合ったこと。それによって起こったのが、四大戦争です」
ルイスは黒板に大きな紙を貼り付けた。
慣れていないのか、あわあわしながらも、紙を広げながら留めていく。
描かれているのは大陸全土。
四大国の領土がそれぞれの国色に塗られている。
北は赤、西は青、東は緑、南は黄。
中央と境界線上の所々に白い隙間があり、そこはどの国の領土でもないことを表している。
「四大戦争とは、四大国がエレメントを利用し、隣接し合う国境で国同士が争っていたことを言います。事の発端は、火の国が鉱脈を掘り尽くしたために領土を拡大していったとか、火を燃やすために必要な木材を伐採し続けたことが原因と言われていますが、最終的には、どうして戦争しているのかも分からないほどの泥沼状態となっていました。子どももエレメントを学んでいましたが、それは人を殺すためでした」
そんな時代があったのか、とソラは思った。
今まで好きなようにエレメントを学び、扱ってきたが、人を殺すために使うなど想像もつかない。
「だけど、その四大戦争は突如、終わりを告げました。約十六年前のことです」
ソラは十四歳だ。まだ生まれてすらいない。
「現在のイリダータ・アカデミーに在籍する生徒のほとんどが、この前後に生まれています。中には、幼い頃に戦争に巻き込まれた子もいるかもしれません」
そう言って、ルイスがまるで自分のことのように表情を歪める。
その表情を見たソラもまた、悲しく感じてしまう。
「戦争終結の原因は、ある勢力が何の前触れもなく現れ、火の国の人々を虐殺していったからです。その勢力は、黒い霧に覆われていました。勢力が広まり、火の国は次第に侵略されていくようになりました。他の三国は傍観していた――というよりは状況を把握できず、火の国からの救援要請によってようやく自体を把握したほどに混乱していました。火の国は、他の三国への侵攻を恒久的にしないことを約束し、四大国は同盟を結び、この闇の勢力との全面戦争が勃発しました。それがこの場所です」
ルイスが指さす位置は、ちょうど大陸の中央、四大国の境界線が重なる場所――そして、今このイリダータ・アカデミーと五彩都市アルコイリスのある位置だった。
「ここが決戦の地となり、場は混迷を極め、天変地異が起きたほどとも言われています。空は闇のような雲に覆われ、竜巻が発生し、大地が割れた。巨大な湖は荒れ狂い、あらゆる場所で火の手が上がった。そして最後には、四英雄と呼ばれる最強のエレメンタラーたちによって、闇の勢力の頭を倒し、闇が晴れたと言われています。雲が消え、煌めく空には、まるで戦勝したことを祝福するかのように、まっすぐな虹が大地から大空に向かって架かっていたと言われています」
気がつけば、ルイスの言葉に聞き入ってしまっていた。
驚いたり、納得したり、そんなことすら忘れてしまっていた。
気持ちが、少し重い。
レイもいつの間にか起きており、神妙な顔つきをしている。
エラも真面目に聞いていた。
「その後、同盟国はこの痛みを忘れないよう、エレメントでの戦争を放棄、人を殺すために使用することを禁じました。そして、平和に暮らせるよう和平を結び、その証としてこのアルコイリス、そしてイリダータ・アカデミーを創設したのです」
それからルイスが言葉を止める。
そして、生徒全員を右から左へ見渡す。
「最後に、私からひと言。今のあなたたちはとても恵まれています。戦争のない時代。平和な時代。それを噛みしめてください。そして、時々でいいので思い出してあげてください。今この平和は、戦争で失われた多くの命の上で成り立っているのだと言うことを。そして誰よりも平和の望んでいたのは、戦争によって亡くなった人たちだと言うことを。帰郷した時には、両親にありがとうを言ってあげてください。そして、あなたたちにはエレメントを学ぶ資格があり、義務があります。平和は永遠ではなりません。闇の勢力が突然現れたように、この平和が何者かの手によって崩されるかもしれません。だから、私たちは、学ぶのです。相手の命を奪うためでなく、守るために」
ルイスの右手がぎゅっと握られ、胸に添えられる。
噛みしめるように。
そして、まるで機を狙ったかのように午前の授業を終える鐘が鳴った。
「最後は熱くなってしまいましたが、どうだったでしょうか?」
ルイスの表情がころっと変わり、最初の初々しい、自信のなさげな表情に戻る。
ソラは立ち上がり、「ありがとうございました」と頭を下げた。
ルイスが目を丸くする。
だが、そこから他の生徒が一斉に起立、ソラに続くように礼をした。
顔を上げたソラは、ルイスと目が合った。
彼女の瞳が少し潤んで見えた。
昼休みになり、生徒たちが続々と教室を出て行く。
「早く食堂に行こうぜ」
「うん」
「ソラさん?」
机の間の通路を抜けると、教卓で片づけをしていたルイスに呼ばれ、ソラは足を止めた。レイとエラも足を止める。
「先生、今日の授業とっても楽しかったです」
「そ、そう。よかったわ」
ルイスがほっと胸を撫で下ろす。
「実は、私も今年度からイリダータ・アカデミーに勤めることになったの。つまり、あなたちと同じ一年生なの。だから、本当はとても怖かったのよ」
「怖かった、ですか?」
「ええ」
ルイスは顔を横へ向け、窓の向こうへと視線を向けた。
「生徒がつまらなさそうに聞いていたらどうしようとか――」
ルイスの言葉にエラが視線をそっと逸らす。
その二の腕をレイが肘で小突き、
「私の授業が子守歌になって居眠りする子がいたらどうしようとか――」
というルイスの言葉に、エラが反撃とばかりにレイを睨み付けた。
「でも、私の拙い授業を面白そうに聞いてくれたあなたのおかげで少し自分に自信が持てました」
「ボクは、純粋に楽しいって思っただけです。どれも知らないことだらけで、すごくワクワクしました。先生、これからも面白い話聞かせてください」
「はい。頑張りますね」
にこりと微笑むルイスに、ソラも満面の笑みで返した。
その後ろでレイとエラがお互いに顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめていた。
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