第二話 運命の出会い(3)

(どうして、よりにもよってこの子がパートナーに――)

 ホールを出て外を歩くカームは、苛立ちを隠せずにいた。

 ついてきているかどうか一度振り返って確認すると、ソラと紹介された少年は驚いたように目を見開き、それからにぱっと笑ってみせた。

 それが余計に腹立たしく、カームはそのまま目的地まで早足で向かった。

 そして辿り着いた場所は、実演が行われた広場だった。

 カームにとっては馴染みのある場所。

「さて」

 踵を返し、ソラと向き合う。

「じゃあ、早速だけど、あなたが火のエレメントを今の段階でどれだけ扱えるか見せてもらうわ」

 実演ですでに水、風、地を披露して見せた。

 ならば火もお手の物だろう。

「え、あっ、は、はい」

 少年がそわそわした様子で返事をし、背筋を伸ばす。

「……」

「……」

 そのまま、お互いに動きが止まる。

「早く」

「え……っと」

 促すも、ソラは戸惑うだけで、一向に始めようとはしなかった。

「キミ、まさか……まったくできないの?」

 視線を泳がせていた少年が、観念したように口を開いた。

「えっと……ボク、火のエレメントだけは使ったことがないんです」

 それはにわかに信じられないことだった。

 目の前の少年は、水、風、地のエレメントに関してマスタークラスの実力を有している。

 それがどれだけの偉業か、エレメンタラーならば誰だって分かる。

 生涯で自国のエレメントすらマスターできるかどうか。

 ループタイの石の色で出身国を確認しようとしたが、それすらない。

 暑いから外しているはずもない。

 だとすれば、どの国にも属していない?

 正体不明の少年――だが、学長とのやりとりから、彼女と知り合いのようだ。

 マスタークラスのエレメントが一つどころか三つ。

 偉業どころではない。

 異常だ。

 【虹使い】を目指す者として、異常というのもどうかと思うが、

 それでもありえないことなのだ。この若さで一つどころか三つがマスタークラス。

 あってはならないのだ。

 そうでなければ……そうでなければ――

「分かったわ。まずは手本を見せてあげる」

「はい!」

 目を輝かせるソラに、思わずたじろいでしまう。

 カームはブレザーの内ポケットから黒い手袋を取り出した。その手袋を右手にはめ、ぴったりと密着させる。

「無から有は生まれない。水使いは水がなければ水を操れない。風使いは空気がなければ風を操れない。地使いは土や砂がなければ地を操れない。それと同じように、火使いも火がなければ火を操れない」

 カームは手袋をはめた右手を頭の高さまで上げると、親指と中指の腹を合わせた。

「何もない手のひらの上で火を発生させようとしても、火は無から生まれない。火が生まれる条件。まずは空気。次に可燃物――これは、例えば木や紙、繊維に油といった燃える物ね。最後に、この二つを反応させ、火を起こすためのエネルギー。そして、この手袋は火使いとして第一段階をクリアした者なら誰でも持っているものよ」

 ソラは熱心に聞き入り、じっとカームの右手を見ている。

「まずはやって見せましょうか」

「はい」

「いくわよ」

 そう言って、カームは指を鳴らすようにして、くっつけていた親指と中指を擦り合わせた。

 瞬間――摩擦によって発生したかすかな火花。

 その火花が、カームのエレメンタラーとしての力で急激に燃えさかった。

 カームが右手をソラに差し出してみせる。

 手のひらを上に、松明を燃やしたような炎が燃えたぎっていた。

「通常なら、火を点けるためには可燃物が必要だけど、私たち火使いには必要ない。重要なのは、きっかけを生み出すこと。それがこの手袋。指先が特殊な素材で、摩擦によって熱が発生しやすくなっているの。私たちエレメンタラーは、無から有は生み出せない。だけど、どんなに小さくてもいい。ほんのかすかな火花さえあれば、それを元に火使いとして火を大きく、そして操ることができるのよ」

 どう、と少しばかり自慢げに見せつけてみる。

 だが、少年は予想外の態度を見せていた。

「どうしたの?」

「い、いえ」

 ソラは胸に手を当て、どこか息苦しそうにしていた。

「ちょっと、息が苦しくなっただけです」

「力を使って火を急激に大きくすると、瞬間的に周囲の空気が薄くなって目眩を起こす人もいるっていうけど……」

 だが、カームの手の上で燃える炎はそんな大それたものではない。

「大丈夫です」

 ソラは笑ってみせ、大げさに深呼吸をすると、そのまま続きを促してきた。

「そう。なら続けるわ」

「はい」

「火使いに大事なのは、自ら火種を手に入れる方法を身につけること。そしてもう一つ。これは、他のエレメントにはない、火のエレメント独特の……そう、注意点ね」

「注意点、ですか」

「ええ。これも試してみましょうか」

 カームは右手に炎を宿したまま、ソラに一歩近づく。

「どう?」

「あ、熱い……です」

 ソラは顔を手で守るようにしてかざしていた。

 その炎を少年から遠ざけ、今度は自分に引き寄せる。

「そうね。じゃあ、私は?」

「あっ」

 ソラは気づいたようにして、炎を支えている右手を見やった。

「火のエレメントは制御が難しい。だけど、それ以前に、炎から発生する熱への対応が最初に学ぶべきことであり、それでいて難しいの」

「火のエレメントは大変なんですね」

 うん、とひとり納得するようにして頷くソラ。

「難しいとは言うけれど、キミなら簡単でしょう」

 なにせ、三つのエレメントを使いこなせているのだ。

「じゃあ、まずは――火のエレメントを習得するまでの段階を説明するわ」

「お願いします」

「最初に熱への対応。対応できるようになる前に自分の手で炎を発生させると、火傷を負ってしまうから注意すること。才能のある火使いでも、これを知らされずに使って大火傷を負った事例もある」

「気を付けます」

「大事なことよ。忘れないで」

 念を押すと、ソラも「は、はい」と気を引き締める。

「だから、それまでの間は、ロウソクを使うのが良いわ。火も小さいし、安定してる。今ここにロウソクはないから、今日だけは特別に――」

 そう言って、カームは右手で燃えさかる炎を下から鷲掴みにした。

 炎がカームの手に呑み込まれ、そこから人差し指だけを立てると、指をロウソクに見立てたように、指先に小さな火が点った。

「わぁ、すごい!」

 ソラが子どものように感嘆する。

 いや、子どもか……。

「さぁ、やってみて。手のひらを火に近づけて、熱を遮断するようにイメージするの」

「はい」

 ソラは緊張したような顔つきで、おそるおそる手を近づけた。

「手のひらを薄い膜で覆う感じよ。あくまでイメージだから、キミが熱を遮断しやすい形でイメージするの」

「はい」

 ソラが少しずつ、少しずつ手のひらを近づける。

 その手が、一定の距離で止まる。

 そこが、火傷するかしないかの境界線。

 それ以上は、火使いの能力を発揮させなければならない。

 火使いは、いかに熱の遮断を行えるかで力量が決まると、カーム自身は自負している。

 どれだけ巨大な炎を発生させ、操ってみせたとしても、熱を遮断できなければ、たちまちその熱で己を焼き殺すだろう。

 火は凶器。

 まだ国同士で戦争をしていたころは、火の国が最も恐れられていたのは、その凶悪さ所以のこと。

 それは、カーム自身が何よりも自身の肌を持ってして体感したことなのだから。

「どう?」

「変わらないです」

「そう」

 カームは素っ気なく呟き、指を折った。

 火が音もなく消える。

「私が教えられるのは、ここまで。まずは、自分で徹底的に熱への遮断方法を身につけなさい。ロウソクならアルコイリスに売ってるから、休息日にでも買いに行くといいわ」

「分かりました」

 手を下ろしたソラが、額を拭う。

 そんなに熱かっただろうか。

 いや、ロウソク程度の熱量で汗はかかない。

 おそらくは、初めてのことで緊張していたのだろう。

 三つのエレメントを使いこなせると言っても、所詮は子どもだ。

「今日はここまでにしましょう。私もやることがあるから」

「はい。今日はありがとうございました」

 ソラが頭を下げる。

「できるようになったら報告して。もしどうしても分からないことあれば、その時は訪ねてきなさい」

 カームは、自分が主にいる場所を告げた。

「あの、カームさんは――」

「カーマイン」

 言葉を遮るように言い放ち、人差し指だけを伸ばした右手をソラの額に向ける。

「え……」

「私のことをカームと呼んでいいのは、私が認めた人間だけ。キミはまだよ」

 そして、軽く額を突いた。

 ソラは額を押さえ、驚いたような表情をするもすぐに何かを決心したような顔つきをした。

 そして――

「分かりました。ボク、絶対にカーマインさんに認められるよう、頑張ります。その時は、ボクのこともソラって呼んでくださいね」

 そう言って見せたソラの笑顔に、不覚にもカームは見入ってしまった。

 それは、あまりにも眩しかったから。

「いいわ。私を認めさせてみせなさい」

 そう言い残し、カームはその場を後にした。

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