第二話 運命の出会い(1)

 早く眠ったせいか、ソラが目覚めたときには、まだ夜明け前だった。

 二度寝したい心地よさだったが、長年にわたって染みついた習慣が、ソラをベッドから立ち上がらせる。

 窓から外を見ると、遠くの山の稜線に光が見えた。

 二段ベッドの上から聞こえる寝息に、早起きのソラは、下のベッドでよかったと思いつつ、レイを起こさないように寝間着から運動着に着替えると、部屋を出た。

 毎朝、一時間。

 それは、ソラがかつて楓と共に早朝トレーニングをしていた時間だ。

 楓は、風使いとしては特殊で、出身の島国特有の流派で、刀という武器を使う。

 故に、エレメントのみだけでなく、己の肉体も極限まで鍛え上げているのだ。

 筋肉を鍛えるのは勿論だが、楓はそれよりも体の柔軟性や肺活量などを重視して鍛えていた。

 そんな鍛錬に、楓から風のエレメントを学んだソラもいつからか同行し、共にトレーニングに励んでいた。

(ソラはまだ成長期だから、やりすぎるのだけは禁物な)

 楓と別れる際、そう注意された。

 ソラは自分でいうのも何だが、頑張りすぎるきらいがある。

 監視役の楓がいなくなれば、トレーニングにも全力を出してやってしまうことが分かっていたのだろう。

 離れていても、楓にこうして見守られている。

 それが、ソラには嬉しかった。

 敷地内の芝生の上で柔軟運動をし、それから走り始める。

 ゆっくりではなく、ある程度呼吸が苦しくなる程度、そこから歩行に切り替え、呼吸を落ち着ける。

 そして落ち着いたらまた走り始める。

 これを繰り返し、肺を鍛えるのだ。

 広場を抜け、実演が行われた人工池前にぶつかると、池を一周するように走る。

 そこに、朝日が光った。

(違う)

 朝日ではない。

 もっと、赤い光。

 いや、光ではない。

 これは熱だ。

 赤く、それでいて静かな炎が、遠く水辺に浮いていた。

 そして――

(あっ……)

 思わず足を止めてしまった。

 それはまるで一枚の絵のようで、ソラは見いってしまった。

 あの赤毛の女性が、水辺に佇み、両手で炎を挟むようにして胸元に寄せていた。

 その炎はまるで静止しているかのようで、とても安定していた。

 火のエレメントは、その扱いが特に難しい。

 水、風、地にはない、副次的な影響――その火から発せられる熱が、まず最初にエレメンタラーを襲うのだ。

 故に、火使いはまず発生させた火よりも、そこから生じる熱の対応に時間をかけることになる。

 そして、火は常に不安定であり、今度はその制御に手こずる。

 それでいて火は、最も危険なエレメントなのだ。

 かつての闇との大戦――それよりも以前からずっと続いていた四大国間の戦争でも、火の国は特に好戦的だった。

 村を焦土と化した、という噂さえ流れるほど。

 発生させた火は、エレメンタラーの手を離れても燃え続け、被害を拡大する。

 火種が常にある状況で、火使いはその火を利用してさらに拡大。

 そうやって火の国は侵略を続け、領土を拡大、肥大化していった。

 火使いには好戦的な人間が多い。

 だけど、彼女の手の内で燃える炎は、ただひたすらに静かだった。

 ソラには分かる。

 すべてのエレメントに共通すること――それはエレメントの制御の難しさ。

 火は常に揺らぎを生じる。

 それが自然なこと。

 それをあえて静止させることの難しさ。

(すごい)

 たた素直にそう思った。

 だが――

(胸が……)

 ふと胸に手を当てるソラ。

 どこか息苦しさを感じる。

 朝練ですら感じたことのない苦しみ。

 肉体的ではなく、精神的な苦しさ。

(綺麗な炎……だけど……どうしてこんなにも……)

 自分を落ち着かせようと、呼吸を制御する。

 やおら、彼女は火を小さくしていき、静かに消した。

 汗ひとつかかず、余裕の表情。

 そして火が消えるのと同時に、ソラが感じていた息苦しさも消えた。

(一体……どうしたんだろう……)

 ソラは、無意識に手のひらをぎゅっと握りしめていた。

 息苦しさが消え、再び意識を彼女に向ける。

(あの人なら……あの人になら……)

 ソラに気づくことなく、彼女は踵を返し、去って行った。

 その姿が見えなくなるまで、ソラは呆然と立っていた。

 気がついたころには、予定していた時間を過ぎてしまっており、ソラは慌てて寮へと戻っていった。


「随分、汗だくね。そんなに暑かったかしら?」

 食堂でひとりテーブルについていたエラを見つけたレイに続いて同じ席に着いたソラは、開口一番エラにそう言われ、とりあえず苦笑して返した。

「ちょっと早朝トレーニングしてたら時間を忘れちゃって」

「はぁ?」

 眉を寄せるエラに、ソラはここに来る前に暮らしていた場所で、そういった鍛錬を行っていたことを話した。

「エレメンタラーで体を鍛えるなんて、聞いたことないわね」

「俺も」とレイが同意しながらもパンをかじる。

「ボクが風のエレメントを教わった風使いが刀を使っていたから、多分そのせいじゃないかな」

「刀? そういえば、東の島国出身の人なのよね」

「うん。とにかく速くてね。刀を抜くところはおろか、構えたまま、気がつけば相手が斬られていた、って言われるほどに速いんだ」

「いやいや、さすがにそれは」と言いながらコーヒーをすするレイ。

「それが本当なら、【神風かみかぜ】クラスよね」

「確かにな」

 大戦を終結に導いた四英雄のひとりである風使いに風の国が与えた称号――それが【神風かみかぜ】だ。

 読んで字の如く、神がかった風。

 故に視認することすらできず、死すらも相手に気づかせない。

 【神風かみかぜ】とだけは戦うな、と謳われるほど。

 最高位を戴く四英雄とは、まさに例外なく規格外のエレメンタラーなのだ。

「今日から授業が始まるらしいけど、どういうことをするのかしらね」

「まぁ、講義と実技だろうな」

 レイの言葉に、エラがむっとする。

「そんなの分かってるわよ。講義はいいから、実技をやりたいわ」

 皿に載せられたサラダをフォークで集めながらエラが呟く。

「でも、講義も大事だよ」

 ソラが言うと、エラが唇を尖らせた。

「ボクが幼い頃に風と地のエレメント教わった時も、最初はとにかく実践あるのみ、だった」

「じゃあ――」

「でもね、ただ闇雲にエレメントを使い続けても、駄目なんだ。なんで? どうして? どうすれば? って行き詰まったときに、こうすればとか、もっとこういう風に、こんな感じで――そうやって教えられながら少しずつ上達していったんだ」

「まぁ、ソラがそういうなら、講義もちゃんと受けるわ」

 元々ちゃんと受けるつもりだったけど、とエラがそっぽを向きながら呟く。

「うん」

 分かってくれたことを確認すると、ソラはパンをかじろうとし、いつまでもサラダを口に入れようとしないエラに、

「野菜も食べようね」

 と笑顔で言うと、ぐっと唸り、それからゆっくりとフォークに差した野菜を口に運ぶのだった。

 ちなみにレイは完食どころかおかわりを取りに行っていた。

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