家庭教師

雪の中

僕はなぜそんな条件を呑んだのか

契約書とかそういうのを読もうとしない僕は

(「同意しますか?」に即座に同意してしまうタイプの人間だから)

雪の中・夜・自転車で一時間の道のりを・毎日のように通っていた

もう少し融通は利くはずだろうに

家庭教師のバイトのために

毎日往復二時間通っていた


コツ・コツ・コツ・コツ

かなりそれは大きな家で

歯科医も兼ねた家なんだけれど

(皆さんが察する通り僕は将来の歯科医を育てるための教師なわけだ)

いつも裏の入口から入る

そのためにはいくつか手順があり

まず駐輪場に自転車を止める

表のインターフォンを鳴らす

誰かが出るのを待つ

一度だけ父親が出たときがあった

母親と軽く挨拶をして

そして裏に回る

裏口への道は砂の上に石の板を乗っけた感じのそれで

コツ・コツ・コツ・コツ

足音はそんなふうだ

雪が降っていると

シャワ・シャワ・シャワ・シャワ

表面が凍っていれば

ショキ・ショキ・ショキ・ショキ

そんなふうだ


裏口の鍵が空くのを待つ

だいたい教え子は部屋で寝ている

それを母親が起こすまでの時間

僕は外で待っている

いや そうじゃないな

まず中に入る

フローリングの床だ 三和土には丁寧に手すりがついている

短い廊下があってそこを抜けると

床にこたつ 壁にロッカーが複数

そんな部屋に通される

ここが僕らの教室だった

教室で僕は教え子を待つ

教え子はバスケをやっていて

平日はもちろん部活

土日はたいてい試合

そんなだから

家に帰ってきた瞬間に眠ってしまうんだろう

僕は起きるのを待っている

その間に今日の教える内容について母親から聞いていたりする


テキストはすべて向こう側が用意してくれるもので

答えはない

答え合わせは母親がやるので

教師である僕も母親に採点される側なわけだ

いつも予習が欠かせない

一度だけ おれの答えが間違いで教え子の答えが正解だったときがあり

それはそれは悔しかったものだ


教え子はいつも眠そうにしている

実際眠り出すことも多い

誰からも頼まれてはいないけど

そんなときは仮眠タイムをとる

教え子の寝息がすーすー聞こえ

ぼくはそのリズムの中

外の雪景色を想っている


最後の日

教え子はひどくつまらなさそうにしていた

寂しさの裏返しなのか実際つまらないのか

でも成績はしっかりと上がったんだから

まあそんな顔はするな

願わくば

ぼくより教え方のうまい家庭教師とは

一生巡り会いませんように

なんて

最低なことを考えていた

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