第19話 ちさとのテスト勉強。

 ちさとが溺れた事件から2日が過ぎた。ちさとは日曜日に診察をしている小児科でいろいろと診察を受けたが、特に変わった様子も無く、翌日からすぐに学校へ通い始めていた。


「マジ死んだかと思った…。」

「もういいよ。まみさん。こうしてゆあさんとも会えてるんだし、お医者さんも何ともないって言ってくれたから。」


 まみは登校からずっと、ちさとの心配ばかりしていた。


―――少し前の事。


「死にかけた!?どういう事よ!」

「だ…だから…その…。」


 1時限目を診察のために欠席したちさとを心配したゆあが、まみに事情を聞いていた。


「す…すぐに、司さんが助けたから…ホント命に別状はないんだけど…。足を挫いたみたいで…。」

「ばっかじゃないの?足の診察くらいで1時限目を休むと思う?きっと、精密検査とかいろいろやっているのよ…。可哀想に…。」


「んな事言われてもなぁ。あたしのLINEにはそう来てたし…」

「司先生とLINE交換したの!?嘘でしょ?私だって繋がってないのに~羨ましいーー」


「あ…あの…おはよう…ございます」


 二人の険悪な雰囲気の中、ちさとは登校していた。


「お…おはよう…ちさ…」

「おはようございます…ちさちゃん…。」


「ご…ごめんなさい。心配…かけちゃったね…。」

「大丈夫?本当に大丈夫なの?ねぇ…。」


「や…やだなぁ。私はこの通りピンピンしてるよ。ゆあさん。お医者さんも大丈夫って言ってくれたもん。」

「よかったぁ…。」


 ゆあはちさとの元気な姿を見て、ついさっきまで高揚していた気持ちが納まっていた。


「ご…ごめんな…ちさ…」

「だから~まみさんは、こないだ謝ってくれたじゃない。それに、いっぱい心配してくれた。あれは…私が悪いんだもん。まみさんが悪いわけじゃない。パパにもそう言ったんだけど…。パパもあれから元気なくって…あはは。」


 ちさとは、少しでも場を明るくしようと努めていた。その気持ちは二人にもよく伝わっているようでした。


「どうするの?あそこ…。今週も行くの?」

「ん~今週だけお休み…だってさ。テストも近いし、勉強に集中しなさいって」


「そっかぁ、確かにそっちの勉強も必要ね。」

「なぁ…ゆあさま…?」


 まみが急に、ゆあの前にひざまずく。


「まみさま…勉強を教えてくださいませ」

「またぁ?私だって予習とかあるんだけど?」


「そこを…なんとか。」

「あの…、水泳の特訓はできませんけど…、お勉強会ってのは…どうでしょうか」


 ちさとの提案に、まみは大きく目を見開き、そして抱きついた。


「ちさぁぁぁ。あんたもホント優しいなぁ。一緒に頑張ろうな」

「あの…教えるのは私なんだけど…」


 ゆあはそんな二人を見て微笑んだ。


「あはは…」

(わ…私も正直、テストは自信無いんだけど…ね)


 ちさとも、入学後初のテストに向けて、自分の力がどれだけ上がったか心配していた。

 ちさとにとっての『学校』は司の希望であり、高校へ進学するのに必要不可欠の場である。しかし実際に通ってみると、じつに単調なものだと、ちさとは感じていた。

 司と出会う前のちさとは、毎日が生き地獄だった。朝から晩まで食事の時間以外は、ずっと薬物取引の金額計算をさせられ、時には狂った大人に暴力を振るわれる。しかし、平和な学園生活よりは刺激があり、時間が長く感じていた。

 今は毎日が勉強で、確かに新しい事だらけであったが、文字をようやく理解するようになったちさとには、何を書いているのかすら理解する事ができない事も多く、そのほとんどを『絵』として記憶する事しかできなかった。

 自宅では、優希との個人レッスン、月曜から木曜日までは塾も合わせ、何とか穴埋めしてきたが、不安は拭えなかった。


「じゃあ、またちさんでやろうぜ?」

「まみさん、それじゃあちさちゃんの負担が大きいのでは?と言っても…うちもすぐにお泊り会できる状態じゃないけど…」


 ゆあは何とかフォローしようとしていましたが、自分の母親を考えると強く言えなかった。


「私の事は気にしないで…ね。だっていろいろ迷惑かけちゃったし…その、大丈夫だよ。」

「ちさぁ。あんたホントに良い子に育ってるなぁ」


「まみさん…なんか、母親っぽくなってますよ」

「あはは…。それに…は、し…ね」


『え!?』


 いきなり出たちさとの言葉に、二人とも声を合わせるように驚いた。


「ちょ…ちょちょちょまって、ちさの…先生って…あれか?例の…霊…?」

「ゆあさん…さりげなく親父ギャグ入ってますよ…。ってツッコんでる場合じゃなく、本気で言ってるの?」


 二人の慌てように、ちさとは冷静に首を縦に振る。


「うん。大丈夫だよ。テレビでやってるような『呪われた』感じじゃないから。私には分かるんです。」

「いや~分かるって言われてもなぁ…。」


 まみの顔が引きつっているのは、誰から見ても明らかだった。


「でも…私達には見えないんだよね…だったらいいじゃん。」

「良くないわ!あたしがそう言うたぐいのが苦手なのは知ってるじゃんみんな。」


「うん。知ってる」

「分かってるわよ。」


 まみの慌てようとは真逆に、ちさととゆあは冷静だった。


「…はぁ…わーったよ。一度決めたことだから…行きます。行かせていただきます。」

「よろしくね。まみさん」


 二人のサバサバした顔に圧され、まみは渋々了承するのでした。


――――そして、金曜日の放課後、三人は早速ちさとの自宅へ向かうのでした。


「ただいま~」

『お邪魔します。』


 再び、司の自宅に停めてあるキャンピングカーへ挨拶にやってくる。


「おう。こんにちわ。二人とも。今日の事は聞いてるよ。お勉強会だって?」


 司はどこかへ行ってきたような正装をして車内で作業を行っていた。


「はい。また…泊めてもいい…よね。その方がいっぱいお勉強できるから…。」


 すると、司はすぐに顔を縦に振る。


「うんうん。いいぞ、いいぞ。そして頑張って勉強するんだぞ。」

「パパ…私、頑張る!」

「東雲せんせ…。いいえ、司先生。また、お世話になります」


「うむ。よろしく頼むな」

「はい!」


 司の機嫌の良さを見て、まみがちさとに耳打ちをする。


(なぁ…もしかして、あんたの親父さん…。ロリコンなんじゃね?)

(…?ロリコンって…何?)


 ちさとがそう返す。


(…何でもない…)

「ん?」


「こら、聞こえてるぞ~」

「いっけねぇ。テヘッ」


 まみそう言って舌を出す。ちさとはまみの言葉に首をかしげていた。三人はちさとの案内で、司の自宅へと入って行った。


「ここでやりますね」

「うへぇ…ここかぁ」


 ちさとが案内したのは、自宅の仏間だった。


「ま…まぁ…た…確かにここなら…何か居そう…だな」


 まみは少し落ち着かない様子で辺りを見回すと、そこに飾られた写真を見つける。


「こ…この女性ひとが、司さんの元奥さんってわけ?」

「はい!優希さんって言うんです。」


【あら…此間こないだのお友達じゃない。今日は確かお勉強会って言ってたわね?】


 ちさとが紹介している時には、既に優希が待機していた。しかし、ちさと以外の二人には見えていなかった。


「司さん、ちさといい奥さんといい、美人揃いで全然リア充してんじゃねぇか…」

【り…リア充って…、まぁ…否定はしませんけど。】


「私も奥様は初めて見ましたけど、本当に綺麗な方ですね」

【確か、みーちゃんの同級生の子供よね。みーちゃんの小説、読んでくれてありがとうね】


 二人の会話に、優希が割って入ってる声も、ちさとには聞こえていた。


「ま…まぁ勉強、やりますか」

「はい。よろしくお願いします」

【皆さん、よろしくお願いします。うふっ、若いって良いわね。】


 三人は各々に持ってきた教科書を開いた。


―――10分後。


「あ~ゆあ先生。数学のここ、分かりません~」

「もう、ここは数式を当てはめるのよ?ここをこうして…こうね」


「数学ってさ、ホント苦手なのよ。こんなの大人になっても使わないって…」

「でも、もし大学まで行くとなれば、避けては通れませんよ?高校すら怪しいかもしれませんし。」


「あ~ホントきっついわ。」


 ゆあは頭を掻きながら、必死に食らいついている。


「ゆあさん、ここ合ってますか?」


 すると、ちさとも数学の問題をゆあに見せてくる。


「どれどれ?ってなにこれ…」

「ん?ゆあ先生。どうしたの?」


「先生じゃないって…えっと、ええ!?これ…凄い…数学完璧じゃないの。」

「マジで!?」


 まみがちさとのノートを覗き込むと、そこにはまだ少し荒々しさが残る文字だったが、確実に正答に導き出される数式が書かれていた。


「すっげぇ。ちさ、あんた天才じゃん?」


 まみはちさとが書いた宿題ノートを見て驚いた。しかし、ちさとは首を横に振る。


「計算は…得意なんです。昔から計算だけは自然と覚えて来たから…。でも…」

「いやいや、これはもう…『ちさ先生』と呼ぶしかないでしょう?」


 茶化すまみに、ちさとはもう一つのノートを見せる。それは英語のノートだったのだが、既にと言う領域を超えて、何やら暗号でも書いているような状態になっている。


「うはぁ…これは酷い。私でもアルファベットくらいは書けるけど…、これは」

「うん…ちさちゃん…もしかして…英語、初めて?」


 ゆあに言われて、ちさとは頷く。


「それじゃ、今まで分からないまま授業受けていたの!?」

「うん。学校に入るまでは、とにかく文字を読んだり、書いたりする事をいっぱい勉強してきたの。けど英語は、授業と塾で最近覚え始めたばかりで…、まだまだ分からないの」


 ゆあの表情が少し険しくなる。すると、ゆあは自分のカバンから何冊もノートを取り出した。


「だあーー。塾とかそんなの、今からじゃ間に合わないよ。これは私が作った対策ノート!これをまず覚えよう。」



 ノートにはびっしりとテストの対策が書かれていた。


「例えば、社会の小野寺先生!先生の作るテストは年号問題が多いわ。今は教科書のからまでやっているから、その範囲内にある歴史上の出来事の年号を覚えれば、半分は取れたようなもの。数学は、どの範囲から出題されるかが分かっているんだから、範囲内にある数式や計算方法を覚えればいい。」


「ほうほう…確かに範囲を狭くすれば、覚えるのも楽ですな。さすがゆあ先生」


 まみは、ゆあのノートを見ながら、自分のノートへメモをとっていく。


「英語の五日市いつかいち先生は、たまに出す宿題プリントから出題する事が多いの。多分、予習しやすいからだと思う。」

「そんな事言ったって、宿題の紙は先生に出してるじゃないか」


「ふふふ…甘いわ。」


 ゆあのノートには、答えがしっかり書き込まれたプリントが張り付けてある。


「私はプリントをコピーして取ってあるの。次のテストに向けて…ね」

「ゆあさん…凄い…」

【ホント…勉強だけじゃなく、人間観察も優れているわね、この子】


 ひょっこり勉強会に参加していた優希も、ノートを見て感心していた。


「理科の安部先生は、とにかく元素記号が好きなの。過去出題された問題に、元素問題が無かった事は無いわ。」


「すいへーりーべーだよな。苦手なんだよ。」

「まみさん…それ何のおまじない?」


「元素記号の覚え方ね。毎回同じ出題はしない傾向にあるから、今回はここからここが怪しいと私は考えているわ。」


 ゆあは、教科書に掲載されている元素記号表から、出題範囲予想をノートに書いていた。


「そして国語。飯塚先生は、出題範囲にある『朗読』から抜粋する事が多いのよね。だから、教科書のここにある朗読をひたすら読む。読んで覚えれば結構な点数が取れすはずよ。」


「ほえぇ…。ゆあ…ホントすげぇな。さすが学年トップ成績は違うなぁ…。」

「まみさん?小中学校のテストなんて、ある程度出題範囲が分かっているんだから、覚えるのは簡単なのよ?高校や大学の受験なら、純粋に知識が必要になってくるんだけど…ね。さっ!パパッと覚えちゃいなさい。」


「パパッと…って…」


 三人は窓の外が暗くなるまで、ひたすら勉強に励んだ。


「頑張ってるねぇ。何か飲むかい?」


 そう言って司が部屋に入って来る。


「はいはーい。コーラが飲みたいです」


 今まで死んだような目で勉強していたまみが、急に活気を取り戻す。


「ゼロカロリーのやつだけどいいかい?」

「いいねぇゼロカロリー。」


「私は麦茶がいいです」

「あ…パパ、私も…同じのを。」


 ゆあとちさとは謙虚だった。


「了解。今、持ってくるよ」


 司は部屋を一旦出て行く。しばらくすると、三人が指示した通りの飲み物を持参して戻って来る。


「はい。どうぞ。みんなありがとな。ちさのために来てくれて。」


 司の何気ない一言でも、ゆあはとても嬉しかった。


「と…とんでもないです。司先生。こっちにも出来の悪いの一人抱えてますから。」

「それ…あたしの事かい?」


「あなた以外に誰がいるんですか?」

「だ…大丈夫ですよ。まみさんは私より良い点数取れると…思います」


「と…とにかく。母にも今日の事は言ってありますから、来週からのテストに向けてみっちりと教えますから、またしばらくちささんをお借りしますね。」

「ああ、よろしく頼むよ。ちさ、無理はするなよ。」


「はい!頑張る!」


 ちさと、初めてのテストまであと…2日。

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