第18話 ちさと、初めてのお泊り会 そのさん

「いいぞ。足は真っ直ぐに…そうそう」


 司の呼び声に、水しぶきが上がる。ちさとと司が泳ぎの練習をしているのだ。


「ふぅ…」

「まだ、水に顔を浸けられないけど、バタ足は何とかできるようになったな」


 ちさとがチラリと横を向くと、まみが華麗なクロールで泳いでいる。


「パパ…あのくらいまで泳げるのに、どれくらいかかるんだろう?」

「お友達の事は気にするなって。今泳げる人間は、小さい頃から泳げるように訓練してきたからだ。誰もが初めから泳げるとは限らない。俺も、小学校4年までは泳げなかった。だから、ちさも自信を持て」


「う…うん。頑張る!」

「はぁ…はぁ…その調子だ、ちさ。あたしは小学校入る前に、スイミングスクールに通っているから泳げる。それだけの事。ちさにはちさのペースがある。あたしも教えるから…さ」


 まみはちさとにウインクする。


「ちょっと休憩だ。しっかり水分を補給しておけよ」

「はい。」

「おっつ~」


 三人は水から上がり、プールサイドのテーブルに用意されているクーラーボックスから、各自の飲み物を取り出す。


「むぅー」


 ちさとがまみの体をジッと見つめている。その熱い視線にまみはすぐに気づく。


「な…なんだよちさ。あたしの体に興味あるのか?」

「まみさんの体…凄くかっこいい」


「かっこいい?スタイルが?」

「うん…。私、ずっとお部屋の中だったから…。運動もまともにやって来なかった。だからちょっと走っても…すぐに息苦しくなって…。」


「ずっと部屋の中って…」


 まみの頭の中で、ちさのが更に上がったのを感じた。


「まぁ…私も、ちさが育ってきた環境をあまり見ていない。けど話を聞く限り、運動系はほとんどやってきていないに等しいから、水泳も苦手なのかなと」

「おーだからプールを作ったんだな。お金持ちは違うなぁ」


「いや…ここは本来…。同級生と山をたのしむために作ったんだけどねぇ…。金持ちって言われても、こんな田舎の山ん中ってそんなに高く無いし…。」


 司は本当の事が言えず、困った顔をする。


「司さん、奥さんに先立たれてるんだっけ?ちさにちょこっとだけ聞いたけど…。」

「ああ。まぁ…そうだね。聞いたんだね」


 まみは司の顔を覗き込む。司の視線はどちらかと言うと、近づいたまみの胸元の方だったが、敢えて気を逸らすようにまみの目を見る。


「こんなイケメンおじさんが、ちょっと本気出したら、新しい彼女くらい作れたんじゃね?なぁ、出会い系アプリとか使った事ないのか?」

「出会い系って?まみさん」


「あ~ちさは知らないか。ようは、恋人探しをするヤツな」

「おー。で…パパは、使った事はあるのですか?」


「な…なんだよ。おまいら藪から棒に…。」


 司は自身のスマホを開くと、とある画面を出して、二人に見せた。そこには出会い系アプリのアイコンが、画面の限界まで並べられていた。


「俺だって男だ。使った事はあるが…。あくまで小説を書くための材料だ。それに、大半のアプリはサクラの多い悪質アプリだ。出会うどころか、話すら噛みあわない。大手のアプリも使った事があるけど、田舎ではヒットすら難しい。まぁ…お金があれば何とでもなるだろうけど、それではお金目当ての腹黒い女性しか集める事はできなかったろうな…」


 話題を振ったまみだったが、司の本気度を見て、逆にドン引きだった。


「うぁ…。ご愁傷様…。」

「パパには、ちさがいるからね!」

「二人とも…ありがとうな…。勿論、ここのアプリは全部、消していないだけで、もう開いてもいないんだ。これほど失望した事は無いよ。一応全アプリ1回は課金してみてるんだからな…」


「う…そ…それ言われると、余計悲しくなるじゃないですか…。」


 すると、ちさとは急に司に近づいてくる。その視線の先は、既にアレしか見えていなかった。


「ちさ…何を…うぐっ…」

「ちょ…まっ…うわぁ…。マジで?」


 ちさとは、久しぶりに司の唇へキスをしていた。そんな光景を目の当たりにして、まみの方が恥ずかしくなり、目を両手で隠した。


「くはぁ。ちさ?人前でそれは無しって…」

「だって…。パパ…可哀想なんだもん。」


「いやいやいや。もっとポジティブに考えようぜ。出会い系アプリで出会っていないからこそ、俺はちさに出会えたんだって」

「そうよね。そうだよね!」

「切り替え早っ!」


 ちさとは司の言葉で気持ちを切り替える。その速さにまみは驚いた。


―――その後、二人によるちさとの水泳指導は続いた。


「大分上達したんじゃね?」

「そ…そう…かなぁ?」


 昼前から続いた指導のおかげなのか、二人の教え方が上手かったのか。ちさとの水泳技術は向上していた。


「まだ…向こう側まで行けないけど…、なんか自信がついてきたかも…。」

「ふぅ…俺は一旦上がるけど、二人はどうする?」


 司はそう言うと、プールから上がった。


「あたしはもうちょっと泳いでる。ちさは?」

「わ…私も、もうちょっと練習します。」


「そうか…無理はするなよ。」

「パパはどこに?」


「温水とはいえ、お腹が冷えてね。ちょっと温かい飲み物を飲んでくるよ。」


 司はタオルで体を拭きながら、キャンピングカーへ向かった。車内に入った司は、飲料水をヤカンに入れて、お湯を沸かし始めた。


(はぁぁ。ダッシュで車に戻ったけど、まだまだ山間部の外は寒いわ)


 司はガスコンロの火で体を温めながら、ココアの準備を始めるのでした。その頃、プールの二人はそれぞれ自主的に行動していた。

 ちさとはプールサイドでバタ足の練習。まみは自由な泳ぎでプールを周回していた。


(はぁはぁ…。やっぱりまみさんは凄いや。あんなに速く泳げるようになるのに、私ならどれくらい練習したら良いだろう…)


 ちさとはプール横に掴まりながらバタ足をしつつ、時々まみの泳ぎをチラ見していた。その時、ちさとは気づいていなかった。自分の練習している場所が、プールの中でも深いところであることに…。


 ズキッ!!


(いった…っ。足…、痛い。)


 ちさとは右足首に痛みを覚え、バタ足を一旦止めようとプール横から手を離した。


「あっ!!ガボッ!!」

(ちょ‥‥ここ…深い…)


 一瞬の気の緩みだった。あっという間にちさとは水中へ吸い込まれる。突然の事に驚いたちさとだったが、潜った分だけ足が底に付いたため、思い切ってジャンプの要領で蹴り上げてみた。


(がっ!!)


 更に大きな痛みがちさとを襲う。ちさとが踏み込んだ足は、ついさっき痛みを覚えた右足だったのだ。そのため思うように体が浮き上がらず、逆に体勢が崩れた事で、体ごと底へを沈んでいく。


(ダメ…息が…でき…ない…)


 咄嗟の事で息を吸っていなかったちさとは、徐々に意識が薄れていく。


(パパ…た…すけ…て…)


ガシャン!!!


 キャンピングカーにいた司の近くで、アルミ製のコップが突然落下する。


(なんだ!?コンプが…。確か、あのコップは落ちるような場所に置いてなかったような…)


 驚いた司は、何か不安になってプールへと急いだ。


「ちさ!!」


 プールへ戻ると、まみが泳いでいる横で、ちさとの姿が見当たらない。まみ自身、泳ぎに集中していて、ちさとの異変に気付いていない。

 司はプール全体を見回すと、中央の水底に沈むちさとを見つける。


「ちさ!!」


 司の体は既に異常事態に反応し、プールへ飛び込んでいた。まみもようやくに気付いて泳ぎを止める。


「ええ!?司さん?どうし…きゃああ!ちさぁぁぁ!」


 司はちさの体を水中で抱き、すぐにプールサイドへ上げようとするも、深い場所で思うように踏ん張れず、仕方なく浅いところまで引っ張り、ようやく水から引き上げる。

 まみもすぐに二人の元へ駆けつける。


「ご…ごめんなさい!あたし…あたし…」

「話はあと。大丈夫!まだ…大丈夫!!」


 司は心臓を確認する。まだ微かだが動いているようだ。


「ちょっと水を飲んだかもしれない…」


 司は手際よく気道を確保し、心臓マッサージを施す。


「がほっ!!!げほっ…げほっ…」


 ちさとの口から勢いよく水が吐き出される。


「ちさ!大丈夫か!?」


 司はちさとの肩を軽く叩きながら、呼びかける。


【ちさちゃん…ちさちゃん…】

(ここ…は…。)


 ちさとの意識は暗い闇の中にいた。


【ちさちゃん…ちさちゃん!!】

(優希…さん?)


 体は動かない。ただ、優希の言葉だけが聞こえる。


(ああ…私…死んじゃうんだな…)

【そんな事は無い!させない!に来ちゃダメ!】


 ちさとは目を開けていないはずだが、何故か優希の姿が見えている気がする。


(優希さん…ごめんなさい…パパに…司さんに…また、寂しい想いをさせちゃう…かな)


 すると、優希は首を横に振る。


【心配しないで。私がすぐにみーちゃんを呼んだから!助けてくれるから…だから…諦めちゃダメ】


(どう…やって…?パパは…車にいるんだよ…?)

【何言ってるの?私を誰だと心得る。既に死んじゃった。幽霊様よ!】


(何よ…わけわかんない…。)

【えー?知らないの?水戸黄門】


 ちさとは優希の顔をよく見る。その顔は、まだ笑顔のままでした。


(優希さん…笑っている?私…生きて…いる?)


 優希はニコリと微笑み、ゆっくりと首を縦に振る。


【あったり前でしょ?あなたに死なれたら、私がこんな顔で出てくるわけないでしょうが。】

(そっか…そう…なんだ…。)


 それを聞いて、ちさとも安堵する。


【さっ!もう目を開けられるはずよ…無茶はしないでね。】

(はい…優希さん…。あり…が…と…う)


 優希の背後から光が溢れてくる。と同時に、視界が広がっていく。


「あ…。」


 そこは、キャンピングカーのベッドだった。


「ちさ!よかったぁ…司さ~ん。ちさ、目覚ましたよ!」


 まみが涙を拭きながら司を呼ぶ。その声に、司はすぐに駆け付けた。


「ちさ…。よかった。大丈夫か?どこも悪い所は無いか?」


 司の呼び声に、ちさとは自分の体へ視線を向けて、各箇所を確認する。


「いっ!…」


 ズキッとした衝撃が、ちさとの右足に響く。


「足が…右足が…痛い…かな」

「そっか…足を痛めて溺れたんだな…。発見が早くて良かったよ。」


「ごめんな。ちさ…あたし…気づいてあげられなくって…何も…できなくて…」

「何言ってるんだ。君もここまで運ぶの手伝ってくれたじゃないか。それで…十分だよ。」


 すると、ちさともまみの涙に誘われて、急に大粒の涙が溢れてくる。


「私…わた…しこそ…ごめん…なさい。パパ…あり…がとう。」

「いいんだ。俺は…医者じゃないから、ちさのことちゃんと診てあげられないけど…。足が痛いなら、明日にでも医者に診てもらわないとな」


「わああああああん」


 ちさとは、司に思いきり抱き着いて泣き始めた。まみも、涙を拭きながらすすり泣いていた。


(パパ…ありがとう。これで…2回目だね。私…パパにいっぱい助けてもらってるのに…何もしてあげられてない…。パパ…大好きだよ。一生かけて、恩返し…するから…)


 ちさとは大泣きしながら、そう思った。二人が泣き止んだのは、それから10分ほど後の事だった。


「私…そんなに寝てたの?」


 スマホの時計は、既に夕方の6時になろうとしていた。


「ああ…。それに多分…助かったのは優希のおかげだと思う…」


「優希?優希って、司さんの奥さん?」

「私も…優希さんに『来るな』って言われた気がします。」


「そうだ。ポルターガイストって知ってるか?」

「?ぽるたーがいすと?」


 すると、まみの顔が少し青ざめた。


「マジかよ…。あれだよな。心霊映画によくある現象?」

「そうだ。ココア飲もうと準備してたコップが、落ちたんだよ。端っこに置いてるわけでもないのに、不自然だと思ったんだ。だからすぐ駆け付けることができた。」


「そう…なんだ。」

「ちさ…。お前から優希に、ありがとうって伝えて欲しい。俺は見えないけど、多分、近くにいるんじゃないかと思う。」


 司にそう言われて、ちさとは辺りを見回すが、優希の姿は無かった。


「うん…伝えておきます。いえ…もう、聞いていると思います」

「そうか…」


ぐぅぅぅぅぅぅぅ…。


 静かな空間に、大きな音が響く。それは一人にものではなく、三人から同時に出た音だった。


「あははは。俺もそうだが…みんな腹ペコだな。丁度、夕飯が出来た頃だし、皆食べよう。」


 三人共、音の元凶がだと思ってしまい、頬を赤く染めるのでした。


―――その後…。夕飯を済ませた司は、風呂を沸かしつつ、自分が先に入る事にした。


「はぁ…一時はどうなることかと思った…。」


 司は湯船に浸かって、独り言を呟く。


(生きてて…良かった。でも、このままがトラウマにならなければいいが…)


 司はちさの体と精神的な事も気に掛ける。すると、奥から入口が開く音がする。


「え…?」


「いょっ!司さん。」


 現れたのは、タオルを巻いた状態の二人だった。


「いや…マジ…おまいら女子だよね。思春期の!。もうちょっと、恥じらいってのをね…それに…タオルの下はあれだよね…分かってるよ、うんうん」


(ホントなんてエロげー?また、水着タオル作戦?まぁいいけどさ…)


 すると、二人は巻いていたタオルに手をかけ…、一気に脱ぎ捨てる。いつもの事だと思っていた司の視界に、二人の一糸まとわぬ姿が飛び込んでくる。


「おまいら、そこは水着だろぉぉぉ」


 司の大きな声が、山の中へと吸い込まれていった。


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