第13話 番外編:『さよなら』は言わないよ。

 それは、ちさとと出会う2年前の話…。


「よっ!今日も元気そうでなによりだ」

「あ、みーちゃん。今日もお疲れ~」


 市内の大病院、その入院病棟へ俺は、毎日のように足を運んでいた。この日は朗報もあって、長男の海人も一緒だった。


「えー!?海人かいとがパパになるの?」

「母さんと一緒だよ。咲良も悪阻つわりってもんが無くってね。正直、お互い本当に出来ているのか不安だったから、しばらく言えなかったんだ」


「分かる~。母さんもね。海人達を授かった時は、病院で診断結果が出るまで、全然自覚が無かったのよ」

「俺は~優希の生理周期とか管理してたから、ぜってー出来てるって言ったんだけどな…」

「あら?そんな事言ってたっけ?」

「言ってたよ。」


 会話自体はとても明るかった。しかし、優希の体を蝕む病魔は、既に内臓のあちこちに転移していることを、医師から告げられていた。その事実はまだ、本人には伝えていない。いや、伝えられなかった。


「この病院、俺が生まれた病院だったよな」

「そう…。震災以来、老朽化が酷くて移転計画があるらしいぞ」


当時、まだ小説家としての活動はしていなかった俺は、普通のサラリーマンとしての生活と、妻の見舞いの毎日だった。子供達は、長男が結婚、次男は大学と、俺の手を離れていたので、生活に余裕が出た俺は、軽乗用車型のキャンピングカーを自作していた。


「やっとキャンピングカーが完成しそうって時なのに…」

「いいのよ。またすぐに退院するって。」

「ああ…そう…だな。」


 優希は、当時から2年前にも、乳がんを患って闘病していた。克服したと思っていたが、転移が見つかり、入院と言う事になった。


「何よ。いつもの元気はどこ行ったの?みーちゃん。」

「ん?あぁ。俺はいつも元気だぜ?」

「そう?私には、ちょっ~と落ち込んで居るように見えるけど~な~。」


優希に昔から隠し事は出来なかった。何かを見透かしたようなその笑顔に、俺はいつも本音を言ってしまうからだ。

優希は(自分の体の事)を既に察していて、それでも僕に対しての優しさを忘れてはいなかった。


「まぁいっか。細かい事は考えない事。ま~た胃腸炎になっちゃうからね。」

「あぁ。すまない。気をつけるよ」


この時の俺は、精一杯の笑顔で返す事しか出来なかった。


―――しかし、そんな余裕はこの時だけだった。


優希の体調は、良くなるどころか、日々悪化していった。毎日の抗がん剤投与で、髪は抜け落ち、体は痩せ、食べ物もあまり食べられなくなっていった。

それでも、俺が見舞いに行くと、優希は笑顔で迎えてくれた。それが辛かった。苦しかったに違いない。俺がいない時に泣いていたかもしれない。だから俺も、見舞いの時は満面の笑顔でいるようにした。


「ねぇ、みーちゃん。」

「ん?なんだ?優希。」

「私達の孫は、いつ見られるの?」

「予定日は3月だったな、優希や海人達と同じだ。不思議なものだな。」

「あ~そうだったね。私ったら、聞いてたはずなのに。」


優希は、そう言って微笑んだ。


(もしかしたら、孫が産まれるまでかもしれない)


そう思うと、俺は悔しさを感じた。しかし、優希も笑顔で対応してくれている以上、俺自身も笑顔を絶やさないように踏ん張った。


―――その夜。


「こんばんは!お義父とうさん」

「おう。よく来てくれた。遠慮なく上がってくれ」


新婚のうちは二人で暮らすように言っていた息子夫婦が、俺の家に来てくれた。


「どうですか?お義母かあさんの容態は。」


長男の嫁、咲良も、優希の病状を心配してくれた。妊娠しているが故に、見舞いに行くことがあまり出来ないので、報告を兼ねた食事を時々行っていた。


「そっか。この子が産まれるまでが…山なのね…。」

「ああ…すまない。この子にバァバと呼べる女性ひとを残しておけなくて…」


俺は息子夫婦に頭を下げる。俺には見えていなかったが、咲良は首を横に振っていたのだとか。


「ん~ん。お義父さんのせいじゃないんですよ。精一杯やっているじゃないですか。私達も頑張って、お義母さんの治療費出しますから。」

「そうだよ父さん。俺だって母さんに死んで欲しくなんか無い。」


「二人とも…。ありがとう。」


情けなかった。ほんの数年前まで健康だったので、優希は簡易保険に入ったりしなかった。そのため、治療費のほとんどを自分で捻出するしかなかった。もっと強く、今後の健康管理のためを想った対応を勧めるべきだったのだ。


―――それから更に数週間後…。


「はぁ…はぁ…」


病院から急な知らせが届いた。優希の容態が悪化し、危篤状態になったと…。俺は仕事先から急いで病院へ向かった。しかし、到着した時には既に、優希の意識は無かった。看護婦から聞いた話では、意識を失う前の優希が、看護婦に筆談で会話した紙が残されていた。


『さよなら…なんて言わないよ。先にあっちにいくだけ。みーちゃん。ちゃんと人生楽しんでから、こっちに来てね。』


涙が止まらなかった。集中治療室の中で、必死に戦う優希の証。機械的な心拍の音が消える。そして医師から告げられる残酷な一言。


―――XX時YY分…。ご臨終です。


優希から来た最後の手紙は、ラミネートで封をして保存することにした。俺の生きる目標とするために。


―――優希が旅立って数日後・・・。


「マジ…かよ…」


 優希のそれほど多くない私物を整理している最中、俺が定期購入していたサッカーくじで、1等の当選を知らせるメールが届いた。当時は10億円当選キャンペーン中と言う事と、1等が俺しかいなかった事、キャリーオーバーもあって、当選金の10億がまるまる俺の口座に振り込まれる事になった。


―――しかし、俺の心は満たされる事は無かった。


治療費で背負った借金を完済し、自宅もフルリフォームしてみたが、俺の心にはポッカリと穴が開いた感じがしていた。


「父さん…すげぇな…。水回りとかもう、昔の面影無くない?」


 息子にはそう言われた。初めは仕事も続けていたが、土地を買いアパートを作り始めた辺りで、仕事も辞めた。

 宝くじの事は、親友・同僚も家族にすら秘密にしていたが、企業からくるダイレクトメールにウンザリし、自宅を息子夫婦に譲り、自分は現在の輸入キャンピングカーを購入、そのまま日本中を旅するようになっていた。



全ては自分の心を埋める為。


「父さん、次はいつ帰って来るんだい?」

「あぁ、優希の…母さんの命日とお盆には帰って来るよ」


息子も分かっていただろう。俺が俺で無かった事を。その頃から、俺は小説家を目指して様々なコンクールへ執筆を投稿したが、上手く行くはずも無く。一年に数回だけ自宅に戻る生活を、優希が死んで2年も続けていた。


「はぁ、何やってんだよ俺は。」


一人旅が長いと、独り言も増える訳で、ブツブツ言いながらキャンピングカーのドアを開ける。


―――ドスン!


「キャッ!」

「のあっ!」


 ドアに衝撃が走り、少しだけ頭をぶつけてしまう。


「っつーなんだよ。」


手のしびれと、クラクラする頭を抑えながら外へ出て見ると、髪の長い女の子が倒れていた。


「だっ、大丈夫かい!?」


俺は慌てて駆け寄る。すると、奥から店員と思われる人と、警備員と思われる人の二人が追ってくるのが見える。


「あ、お客様。その子捕まえててください」


 二人の慌てようから、恐らくこの子が犯罪をしたに違いないと思ったが、女の子はドアにぶつかった衝撃から、既に意識が朦朧もうろうとしているようだった。

 すると女の子が、うっすらと開けた目で俺を見るなり、こう呟いた。


「パ…パパ…?」

「え?」


女の子はそう言って気を失った。俺は一瞬で頭が真っ白になった。


「ちょっ、まっ、え!?」

(俺が…パパ?いや、俺は息子二人しかいないし、優希以外の女性と結婚したことも…ましてやS○Xだってした事ないのに?)


そう考えているうちに、店員と警備員が追い付いてくる。


「はぁはぁ…はぁはぁ…すいません…その子…うちの商品を…」

「はぁはぁ…そ…それより、大丈夫ですか?ちょっと血が出ているようですが?」


(血…?)


 俺は自分の頭を手で拭ってみると、確かに血が付いている。恐らく、ドアにぶつけた時にちょっとだけ傷ついたらしい。


「あ…ああ、ドアに思いっきりぶつけたので…平気ですよ。それより…」


 俺には、この女の子がどんな状況で盗みに入ったのかは分からなかったが、と呼ばれた以上、見過ごす事はできないとこの時は思った。


「それより、娘がやらかしたんですか?あれほど、お店には近づくなと言っておいたはずなんですが…」


咄嗟に出た嘘である。俺に娘なんて居ない。しかし、居てもおかしくはない年齢ではあったので、とにかく言ってみる事にした。


「はぁ…はぁ…はい。お店の…パンを…」

「落ち着いてください。結構全力疾走されたでしょう。お茶でも出しましょうか?」


「あ…いえ…はぁはぁ…お構いなく…それよりもお父様でよろしいのですか?」


恐らく俺と女の子の顔が似ていたからだろう。二人は完全に俺を父親と思っている様子だった。


「はい…すいません。この子、精神障害で時々ふらっとどこかへ行ってしまう癖があるのです。トレイに行っている間に脱走してしまって、ホント、ご迷惑をお掛けしました。」


二人はすっかり俺の事を信用したのか、万引きした商品の分を、しっかり支払う事で放免してくれた。


で…問題はここからだった。


(さて…この子を救ったのはいいけど、俺のピンチに変わりは無い…か)


ベッドで気を失っている女の子を見ながら、俺は今後の計画を考えた。そして元々人間観察は得意だったので、身体的な情報から調べる事にした。


(ん~身長から見て、小学校高学年から中学生?。高校生にしては幼い気がする…。この時点で18歳未満なのは確定か…。犯罪の匂いしかしないな)


ここ最近では、家出娘を保護して逮捕される馬鹿な大人達がニュースでたまに取り上げられる。例え行為が無くても、親から被害届けや捜索願いが出た時点で犯罪として扱われる。それが親権と言うものだ。


(俺も馬鹿の一人にはなりたくは無いからな…まずは警察か。彼女の身元をしっかりと保証したうえで、事情を把握しない事には、俺自身が家族に迷惑をかけてしまう。)


俺はキャンピングカーのリビングに戻り、パソコンを開いた。


(様々なパターンを計算しておかないと…)


こうしてパソコンでいろいろと検索をしているうちに、彼女は目覚めるのでした。


―――そして現在。


「のあ!!」


トイレに行きたくて、ドアを開けたらそこにちさとがいる。俺は慌ててドアを閉めた。


「あ…パパ…。」

「『あ…パパ…。』じゃねぇよ。おま、ちょっとは恥ずかしいとか…思わないのか?」


「ん~パパ、そんなに?」

「いやいやいやいや。俺らその域に達してるわけじゃなくね?」


「ふ~ん。じゃあ私が15歳になったら~いいの?」

「いや…そういうわけじゃない…けど、なんか段々優希に似てきたな…ちさ」


「そう?」


 あの頃の女の子は、すっかり笑顔を取り戻し、俺の下で大人の女性へ一歩踏み出している。血の繋がりは無いが、俺はこの子のパパとして、生きる力をもらった気がしている。

 そして理由は分からないが、ちさとは優希の事を見る事ができるらしい。用心深く何度も、優希についての質問をぶつけてみたが、本人しか知らない事をサラリと言ってしまう事から、俺は『間違いない』と信じている。


「なぁ…ちさ…。優希は…俺の再婚に賛成してくれると思うか?」

「え…。」


 唐突な俺の質問に、ちさとは少し頬を赤くして、優希に聞いてみる。


「優希さん。パパがこんな事言ってますが?」

【ん~。それでみーちゃんが幸せになれるんなら、いいんじゃない?特に…千怜あなたとなら…ね。】


 それを聞いてますます顔が赤くなるちさと。


「パパが…幸せなら…良いんだって…」

「そうか…。優希らしい答えだ…。ありがとう…優希。俺は人生を最後まで楽しむよ」


 これからも何かと問題は起こるかもしれない。が、俺は自らを殺めるような事は決してしない。それが、優希と約束した生涯の目標なのだから。


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