2 どうせなら、美少女が良かった 後編
「……………」
燎平は立ち止まっていた。絶対に立ち止まってはいけない時と場合なのに、燎平の前にはそれを考えさせざるを得ない理由があった。
とんでもないミスをやらかした燎平はすぐさま次の駅で正しい逆の方面の電車へと乗り換え、学校の最寄り駅の改札を出た。その時点で時刻は八時二十八分。
駅から学校まで、歩いて十分と少しかかる。そんな距離を二分で駆けるにはもし彼が一流アスリートであっても無理な話だろう。無論、彼の心内は諦めの境地に至っていた。
だが、もう遅いと思っていてもへばりついた罪悪感が彼の足を進ませる。少しでも早く着けば、それだけ罪は軽くなる……と甘い事は、思うつもりは毛頭ないが、それでもここでのんびり歩いてしまったり、もうその辺で遊んでしまうという愚行をするよりかは、まだ自分に言い訳できると思ったのだった。
……だと、いうのに。だというのにだ。燎平の足を止めさせるそれが、目の前に横たわっていた。
「ヴっ……」
暁の予感はある程度当たっていた。ただ、妊婦さんではなくただのおっさんであったが。
おっさん、と決めつけたのはくぐもったその低い声だ。うつ伏せな状態なため、顔は見えない。だが、この男が特徴的なのは顔が分からなくても瞬時に察した。長く伸びた紫がかった髪は、寝ぐせがひどい燎平以上にぼさぼさだ。
かなり身長は大きく、百八十センチは軽く超えている。ボロボロになった薄手のロングコートを纏い、両腕には特殊な素材(少なくとも燎平は原材料が分からなかった)で作られたグローブがはまっている。
そんな明らかに変なおっさんが道のど真ん中に呻きながらぶっ倒れていた。燎平にとっては迷惑この上ない。
しかし誰かが倒れているのをみすみす見過ごすわけにもいかず、とにかくこの状況を脱するべく燎平は不審なおっさんに話しかけてみる。
「あの……大丈夫ですか?」
「うっ……、誰か…く…」
一応日本語だ。異様な見た目から外人さんかと思ったがそうは思えない程流暢な話し方だった。また黙り込んでしまったので今度はポンポンと肩を叩きながら少しボリュームを上げて同じ質問を繰り返す。
「もしもし!大丈夫ですか!?」
「……く…く、食い物をくれ…」
「あっ、じゃあ急いでるんでもう行きますね」
「ちょっと待てオイィ!!」
燎平が走り出そうとすると、がしっと左足を掴まれた。その反動で体が揺れる中、燎平のおっさんに対する不満は大きくなる。
「なんだ、元気じゃないですか。もういいですよねそれじゃあ」
「いやいや残酷すぎね!?その年で何その切り替わり様!?ちょっとびっくりしたわ!!」
めんどくさい人だなぁ、と燎平は眉を寄せる。そもそも食べ物なんて新品の鞄の中に入っているかどうか怪しいし、まず探すのが面倒くさい。何よりこちとら時間がないのだ。
「本ッ当に、急いでるんで、離してくださいッ!」
少し語尾を強くして、掴んでいる手を引きはがす。鬼かお前ぇぇぇとだんだん小さくなるおっさんを背に燎平は走り出した。学校は目の前なのだ。多少の罪悪感は感じないこともないが、そこまで小さい道ではないのでいつかは人が通るだろう、と見知らぬ人に責任を押し付ける。しょうがないしょうがない、と軽く自分を納得させておっさんの記憶を頭から消した。
だが、再びその記憶がこんなにも早く戻ってくるとは思わなかった。
「……なんでまたいるんスか」
「くいもん…欲しいもん……」
「ちょっと可愛く言っても全く心に響かないので先に行きますねそれじゃあ」
「残忍ンンンン!!」
この冷徹男ぉぉぉとだんだん小さくなる声を背に、燎平は再び走り出す。
しかし、何故あの男は結構全力で走っている自分より先に先回りできたのだろう、とふと考える。あんな状態なのに自分より早く動けるなど考えられなかったが、まぁ何かの偶然だろう。今どき珍しい、二度も同じ人を付けて回るアクティブなホームレスか、はたまた新手の詐欺師か。
不思議なこともあるものだとあのおっさんの事は頭の隅に押しやった。
この時、確かに『違和感』は感じてはいたのだ。ただ、意識していなかっただけで。
――燎平は気づかない。学生のみならず、彼の周りに人が一人もいない事を。
――燎平は気づかない。段々と、周囲の色が薄れていく事を。
――燎平は気づかない。空気が粘り気のある、おぞましいモノへと変わっていく事を。
「あれ……おかしいな、学校ってこんな遠かったっけか……」
確か、この通学路をずっと直進した後、コーヒーチェーン店がある角を右折すればすぐに学校に到着できる。だが、どれだけ真っすぐに進んでもその喫茶店は見えてこない。もうずっと同じ道を全力疾走している気がする。前来たときはそこまでの距離ではなかったはずなのだが。
こうも走っていて着かないと、自分の努力を否定されている気分になり、どうしてもいらない事を考えてしまう。
あの時こうしていれば、運がなかった、もっと自分に何かがあれば。
自分の拙いガラスの心に絡みつくのは、後悔と未練の糸。
やはり自殺の原因ランキングに『朝寝坊』は追加されるべき。もうダメだ……と、このままいっそどこかへ逃げ出したくなってくる燎平。
ごめん、母ちゃん…あれだけ言ってくれたのに……どうしてもあの子が攻略できなかったんだ……今後、もう夜中にギャルゲーはしないと誓います。
春風が直ってない寝ぐせが跳ねている髪を優しく撫でる。なんだか慰められているような自分が情けなすぎて泣きそうになった。なんだこれ。なんだこれ……
百パーセント自分が悪いのに、周りの人間や状況のせいにし、自分は悪くないと逃避しようとしてしまう。
俺は悪くない。目覚ましが悪い。起こしてくれなかった家族が悪い。俺を惑わせたギャルゲーが悪い。入学式なんてある学校が悪い。
……こんな、不条理な世の中が悪い。
「なんだよ……何なんだよこの世の中…畜生……」
「あぁ、そう思うだろうなァ…じゃあもしも、自分の手でこんな世界が正せるとするなら…お前はどうするよ?」
ッ!と燎平は声の方向に顔を向ける。見ると、つい先ほど、道のど真ん中に倒れていたはずのおっさんが壁にもたれかかるように移動していた。
彫りが深い方の顔立ちには、少々の髭が生えているため、最初具体的に分からなかった年は三十前半から中程だろうか。細身な印象が初めて見た時にはあったが、改めて見るとかなり体躯はがっちりしている。今は光がないが、おそらく目も本来はもっと鋭いのだろう。
まるで何かの運命のように、彼は三度例のおっさんと再会した。
「……今の、どういうことですか」
「うっ……腹が減りすぎて新たな境地に………」
「……………」
…これは、あれか?特殊イベント:おっさんに食い物をやらないと先へは進めない!ってやつか?この時点で、こいつに関わってはいけないレーダーが激しく警告を訴えている。
「……そんな怒るなってェ少年。もっと心を穏やかにしようぜ。そんなだと話も進まない」
まともに相手をしていると疲れるなこの人、と燎平は不満を顔に浮かべる。もっと心を穏やかにっつったてそんなの……
……ん、待てよ、と一つの考えが燎平の頭をよぎる。このおっさんを遅刻した理由に利用すれば良いのではないか?ちゃんとした理由があり、さらにうまく証人として言いくるめ、学校に連れて行けば燎平のイメージはマイナスどころか人を助けた事でプラス方面に傾くのではないか。
(っし!まだ俺には希望はあるッ!)
彼の中でイベントがミッションに変わる瞬間だった。
「いや、怒ってませんけど……ってか諦めている方に今の俺は近いッスもう」
顔に浮かんだ不満と入れ替える様に疲労を催す表情をつくる。まずは同情を装ってからうまく事情を説明して学校に同伴するよう仕向けよう。無駄に費やしたギャルゲー(おっさんに同じ手が通じるかどうかは不明)の知識を活用すればなんとかなるだろう、と燎平は高を括る。
「お、おう……なんか、いろいろ大変そうだな(なんだコイツ急にキモっ)」
「飢え死にそうなあなたには敵いませんけどね」
よし、掴みは完璧だ。しかし、女の子ではなくこんなおっさんを攻略しようとする日が来ようとは。世の中不思議である。と言っても、初めてギャルゲーの知識を実践するのは高校生活の中で、だ。
最初は、可愛い女の子がいたらアプローチする参考として来飛に勧められ、始めてみたのだが意外とハマってしまった自分がいた。
「いやぁ、入学式なのに寝坊しちゃって……だからさっきはあんなに急いでたんですけどね……」
「それでそんなパワフルな頭になりつつ結局遅刻したわけか。ブフッw…おっとすまん。咳だ」
「………はい」
…キレちゃ駄目だキレちゃ駄目だ。まずそんな咳はないし馬鹿にされたのは明白だし今こいつすっげぇぶん殴りたいけど駄目だ。それに何よりぼさぼさ度ならアンタの方がヤバいだろ!!と叫びたがったがここで選択肢を間違えては本当に華の高校生活がエンドしてしまう。まずは、非常に不本意だがこのおっさんの好感度メータを上げなければ。
こういう初対面に近い人と話す時に好感度を上げるには、まず相手を褒めることだ。
「と、ところでその手袋?グローブ?良いッスね、カッコいいッス。それどこで売ってるんですか?」
「ん?これかァ?いいだろ。まァ一応商売道具だしなァ。あとこれは売り物じゃないんだが……お前のそれはわざとか?センスあるなァ。ブフォw…あっとすまん、くしゃみだ」
「あぁ…すいませんね……襟立ってましたね…急いでいたもんですからね……丁寧にどうもありがとうございます…」
うん、キレそうだった。よく堪えた。遅刻したのもブレザーの襟が立っているのも全て自分のせいだ。指摘してくれたことにはむしろ感謝しなければ。
……見た目を褒めた次のステップとしては、趣味なり好きな物なり、何か話題を作れる自分との共通点を見つけることだ。これが選択肢としては分かれ目で、結構難しいのだ。
下手にこちらからあれこれ何が好き?といきなり聞いても怪しまれるだけだし、それなら自分から、と自分の趣味などを言い並べて相手にそぐわなかった場合どちらにせよ好感度が下がってしまう。が、やるしかない。
今の場合、何かと特徴的なこの人なら何かしらはあるであろう。最悪、褒めればゲージが下がることは大抵ない。とにかく、共通点を探るためにもまずは情報収集だ、と思い口を開こうとしたが先に相手に手を打たれた。
「で、話を戻すとお前は遅刻したわけだ。無様なことにな。入学式遅刻ってのは相当ヤバめだろ?こんな世の中、嫌にならないか。世界は理不尽で溢れてる。そんな世界を変えてやろうって話さ」
「…………はぁ」
とんだクレイジーおっさんだった。何を突然言い出すんだこの中年……。
攻略しようっつたって、こんな世界を変えようぜイエーイ的なパターンは燎平がプレイしたギャルゲーの中には存在しない。取りあえず、もう少し情報を集めるため謎の話に耳を傾けてみる。
「具体的には、この『
「………………」
とうとう本格的にこのおっさんが何を言っているか分からなくなってきた。自分の中に漂う不信感で燎平は顔をしかめる。
別に、口実を作るのに手伝わせる人はこんなおっさんではなくてもよいのではないか。そう思い始めると、途端にこの男に対する興味がなくなった。
数秒前までかなり真剣に攻略を考えていた自分が笑えるほど馬鹿馬鹿しくなってくる。そもそも、こんな奴は空腹を装った不審者以外の何者でもない。やはり最初の勘は正しかったのだ。関わってはいけない類の人だ、とそう思考を変えた。
「……あぁ、もういいです。その世界がなんたらって話、もう興味ないんで。俺はもう学校行きますから、食べ物は他の人に当たってください。それじゃ」
ええ!?なんか突然裏切られたッ!?とこいつ本当に空腹で死にそうなのかと疑ってしまうほどの元気のいいリアクションをする。やはり通報ものの変人だ。もし仮に彼に称号を与えるなら『空腹変態妄想汚じさん』だなとおっさんのイメージをそう固定しながら、燎平は歩き出した。
だが、このやり取りの中で、『違和感』が徐々に燎平の中で顔を見せ始めているのは確かだった。
また何かおっさんが悲鳴を飛ばしてくるかと思ったが、今回は歩き出しても無言だった。
その代わり、『違和感』が確立された『現象』に変わる一言が燎平の耳を刺す。
「……おーい。そっち行っても学校には着けねェぞ。そっちは行き止まりだからな」
「……、は?」
思わぬ言葉に燎平は振り返る。おっさんは、かすれているものの割と張りのある声で続ける。
「いや、正確には行ってもまたこっちに戻ってくる、って方が正しいか。周りをよく見てみろ。他の人を探そうとしてもいねェだろ?風景もずっと同じだ。ココはまだ出来立て…だからまだあまり変化はないが、直に色彩も失せるだろうよ」
「そんな……馬鹿なことあるわけないじゃないッスか」
「なら、いくらでも試してどうぞ?」
何故悔しさを覚えたのかは分からない。いや、本当は分かっていた。分からないという表現はただの逃避で、そう思ったのは自分の『常識』がかすれてしまわないよう脳が下した命令なのかも知れない。燎平は自分を保つため走り出した。
(ハハッ、そんなことあるわけないだろ?もう少し走ったらトードルの看板が見え……)
走った先に見えたのは、先ほどと同じ光景。同じ道。同じ顔。その顔は、口の端を釣り上げる挑発的な笑みを浮かべている。
「嘘……だろ…?」
「マジマジ」
思わず鞄を取り落とした。憎たらしい笑顔が目の前に広がっているが、そんなことはもはやどうでもよかった。
「う、う…わぁッ!!」
頭の中が真っ白になる。とにかくヤバい。これは入学式どうこうとかの問題ではなくなった。とにかく、いったん家に帰って落ちつこう、と薄々感じている悪い予感に目を瞑り、燎平は無意識に逆方向に走り出す。
「……無駄なのになァ。分かってんだろ?」
「ハァ、ハァ、ハァ………」
このおっさんと出会うのは果たして何回目だろうか。結局、帰宅しようと逆の道を進んだが悪い予感が当たってしまった。荒い息を時間をかけてなんとか収め、頬に流れる汗を拭う。
完全に、閉じ込められた。
「……どうなってんだ、これ」
「おお、意外と冷静だな」
ハハ、と笑みを返すがこれでも結構内心は穏やかではない。証拠としてもうこのおっさんに敬語もどきは使っていない(元々使う必要もなかったかもしれないが)。
「まァ、信じがたい光景だろうなァ。だが、これがお前にとって今の『現実』だ。お前は今、歪んだ空間の中にいる。本来、『
「……よく理解できないんだけど」
「ええ!?こんだけ丁寧に説明してるのに何?お前馬鹿なの?」
「分かるかッ!!よくわかんねえ隠喩使ってんじゃねぇよ!こっちの身にもなれっての!!」
はぁ、と愛想を尽かされる吐息がおっさんの口から漏れる。ヤベェこいつそろそろマジでぶっ飛ばしてもいいんじゃないか、と燎平は彼の態度に拳を震わせる。
「…つまりだな、お前はここ一帯をぐるぐる回っているんだ。出口のない袋小路に迷っちまったわけだ」
「…………」
燎平は黙り込む。感覚では理解しているのに、本能が受け入れることを拒否している。燎平の知る現実とは異なる現実の中にいるという事実をいきなり突きつけられても、そう簡単に順応できるほど彼はスペックの高い高校生ではない。
何度も周りを見た。風景は一緒。このおっさんと自分の他に人の気配はない。自分の少し先に、先ほど落としてしまった新品の鞄が転がっている。時間が経てば経つほど、自分が『何か違う』ところにいることを実感させられてしまう。
「……やっぱり、そうなのか………」
燎平が『現象』を認めた瞬間、彼の中で自分の現実が揺らいだ音が聞こえた。
その音は、昔から自分の中に住んでいる『何か』が動く音と共鳴し始める。
「ああ、そういやお前遅刻してるんだっけ?」
「え?……あ、ああそうだよ悪かったな」
唐突に話が変わり、不覚にも一瞬動揺を見せてしまった。おっさんの笑みが濃くなるごとに、自分のストレスが溜まっている気がする。一喝を入れたい衝動を抑えている自分にそろそろ拍手を送りたい。
「そういうことなら一つ交渉しないか?俺に何か食いもんくれたら、今すぐクソ生意気なお前を教室の前に連れて行ってやるぜ。その後の事は保証しないがな」
燎平は、彼の言葉が信じられなかった。クソ生意気なのはテメェだよ!と叫びたかったがそれは後半の誘惑に掻き消されてしまった。まずこの不審なおっさんごときにこの訳の分からない状況を打破できるような術を持っているかどうか怪しい。
そして何より、口うるさそうなこいつがたまたま鞄に入っていたカロリーが多くとれる携帯食料では、この状況を覆すことは不可能だと思ったのだ。頭にしっかりした選択肢が浮かばないいまま、燎平の混乱はより深くなる。
「さて、どうする?」
不条理の修復者 麿枝 信助 @maronobu-hujyori
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