1 どうせなら、美少女が良かった 前編



  ――不条理。


 それは、残酷な運命そのもの。


 それは、道筋が通らない理不尽な結果の事象。


 物事が起こったに、自分の置かれている状況とその首尾を比べて自分以外に非があるとした場合、不条理だ!とよく人は叫ぶ。


 そんな人は何処にでもいるもので、ここにも例外なく一人、息を切らせながらそう泣き喚く少年がいた。


 「何でこんな大切な日に起こしてくれなかったんだよぉおおお!!!」


 目覚ましの野郎が壊れてやがった。


 まず一つ目の原因はそれ。華の高校生である入学式初日である今日…今日という日に限って、電池が切れるとかいう謎の事態が起こった。なんでだ。


 二つ目目は、家族が起こしてくれなかった。絶対朝食に手が付けられていない事からまだ燎平が部屋にいるのは自明な筈であるのだが、まるで彼が存在していないかのようなスルーっぷり。なんでだ。


 高校生だからもう一人で起きられるでしょムーブをかましてくれていたのか?そうだとしたら至極残念、そんな簡単な淡い期待を満たせる程彼は有能ではなかった。高校生は責任を持たなければいけないというのか、これが高校生になるという事なのか…!こわい。


 朝から謎の悟りを開きつつ、猛ダッシュする自分。本当に情けないし、恥ずかしい。急いで着替え、朝食をかっこみ玄関のドアをぶち破る。これまでなんと3分。


 勿論、そんな短時間で不器用な彼に朝の支度が出来る訳がない。新品の制服のボタンは全て道中で止める算段でいるし、ネクタイは取りあえず教室に着いてから締める。食パンを無理やり口に押し込んだ状態で全力疾走するのは流石に辛い。ところどころ寝ぐせが直っていないぼさぼさ頭をわしゃわしゃと掻きながら、彼は『遅刻』という残酷な事実に胸を痛ませ、顔を歪ませひたすら走り続けた。


 近所のおばさんに驚愕の顔で振り返られた時にはもう死にたくなった。シャツを含めボタン全開チャック全開な上にハムスターが如く口を膨らませ、フゴフゴしながら坂道を駆け下りる近所の少年。嗚呼、何と無様で滑稽なのだろう。そりゃ目と口がしばらく開きっぱなしになるというもの。


 もし俺が自殺したらその原因は『朝寝坊』というジャンルかもしれない、と入学式初日から遅刻という暴挙を犯した勇者(まだ未遂)、佐倉さくら燎平りょうへいはそう思った。


 こういう時、周りに同じ制服の生徒が一人でもいれば少しは心に余裕ができるのだが、見事に無人である。春の桜が彩る景色がこんなにも綺麗なのにも関わらず、だ。


 家から歩いて十五分、走って七分で着く最寄り駅が見える頃には口の中にあった食パンも腹に収まり、身だしなみも家を出た時に比べればマシになった。だが体力が限界である。


 ヒュー、ヒュー、と口に広がる苦い魚のような味に眉を寄せる燎平。よくマラソンとかで走った後に来るあの苦手な味。地味に型掛けの鞄が邪魔をし、走りづらかったのと新品のローファーが効いた。


 「ハァ、ハァ…ッア゛、ぐっそ……ッハ、ァ、電車……は、……!」


 顔を上げた瞬間、ファーw、と嘲笑うかのようにタイミング良く来る電車。まだホームにすら入っていない燎平の血の気がサッとなくなるが、そんな彼を待ってくれるほど日本の交通機関は寛容ではなかった。


 燎平の体力が限界に近い時にやってくる試練。これを乗り切ったらさらに強くなる……!と謎の期待を込めながら悲鳴を上げる身体に鞭を振るった。


 「うおおおおおやってやんよおおおおああ!!!」


 ここで交通券がない事に気づくとかいう最悪のイベントは不幸中の幸いなのか発生しなかった。『駆け込み乗車は危険なのでお止めください』というアナウンスを速攻で無視しつつ閉まるドアに身体を滑らせる燎平。


 「な、なんとか……」


 間に合った、と胸を撫で下ろす燎平。周りの人の視線が痛いが、そこはそれ。入学式なので勘弁して頂きたい。


 腕時計の時刻を見ると八時十五分。集合時間は八時半なので、これから電車で約七分かけ、それから学校の最寄駅から学校までダッシュすればギリギリ間に合う。そう確認した瞬間、ドーパミンが切れたのかドッと今まで感じていなかった疲労が返ってきた。


 燎平がこの度通うことになる、天峰そらみね高校はつい数年前設立された新しい学校である。駅は三駅離れたところ。電車一本で行ける上に、同じ線の終点が都会なので利便性がいい。


 キャンパスは広く、お洒落で設備も最新。制服も斬新なスタイルで特に女子に人気が高いようだ。おまけに教師陣も元予備校講師だったり耳にしたらあっと驚くような業績を持つ者揃いと聞く。偏差値も当然それなりに高く、倍率も高い訳だが何とか燎平はギリギリ合格出来た。


 それも新入生枠をかなり増やしてくれたのと頼れる友人がつきっきりで勉強の面倒を見てくれたおかげなのだが、と少し余裕が出てきたのか、そんな事に思いを馳せる燎平。


 そんな中、ふとした事に彼は気づく。


 乗客の人数が、いつもより少ない……?


 フリーズした。数秒、石になる燎平。


 認めたくない。いや、でも。…嫌だ!そんな、そんな、は、ず……は。


 現実から目を逸らしたい逃避欲と、現実に向き合わなければならない義務感。最終的に勝ったのは後者だった。


 車内の標識を目で、車掌が言う駅の名前を耳で確認する。


 そして彼は痛感した。最初に感じる悪い予感というものは、大体当たるのだと。


 「………………………、おわった」


 電車通学の最後のトラップ。先程の燎平のようなシチュエーションの時は特に嵌りやすく、且つ最悪なケース。


 ――そう、その名も、『焦って目的地とは反対方向の線に乗る』である!


 佐倉燎平の遅刻が今、この時を以って確定した。


 


○○○




 (燎平…何やってるのよ、入学式遅刻なんて流石に洒落にならないわよ…?)


 漆で塗られたような艶やかな黒髪。それを一つに束ねたポニーテールを持つ少女、月ヶ谷つきがや美紋みあやは整った顔にしわを浮かべた。切り揃えられた前髪の左端には、ハートのヘアピンが留まっている。


 ほのかに木の香りが残る教室の時計を見ると、既に八時半を回っている。入学式遅刻という中々度胸のあることをしてしまった燎平の幼馴染である彼女は、何度かも知れぬ深いため息を漏らした。


 いつもの彼ならば待ち合わせの場所に遅れても五分以内には到着する筈だ。ましてやこんな大切な日に、何の連絡もなしに遅刻するなど逆に心配になってくる。今日の予定は、最初八時半までに指定の教室に集合し、九時には入学式が開始できるよう、会場に教師が新入生を連れ参席という形となっている。


(おばさんはパート終わり次第行くって言ってたけど…このことは知っているのかしら…?)


 美紋は俯き少し考えてから携帯を取り出した。標準的な速さで指が動き、燎平、遅刻しそうです(汗)と彼の母にとりあえずメッセージを飛ばす。友達相手なら顔文字を使うか迷ったが、いくら古くからの知人とはいえそんな真似はできなかった。


 今の私にはこれくらいしかできないかな、と彼を助ける手段が何も思い浮かばないせめてもの罪滅ぼし(別の言い方で心配させた彼が説教を食らうように仕向けたともいう)はこれでしたつもりだ。


 今回の遅刻だって、普段の生活がたるんでいる結果の現れに過ぎないのだ。もっときちんとした生活をしていればこんなことにはならなかったろうに、と美紋は憐れむ。説教を食らっている彼の姿が目に浮かび、少し頬が緩んでしまった。


 「……何か、いいことでもあったのですか?」


 「うわあっ!?き、急に話しかけないでよ!びっくりしたじゃない……」


 「す、すいません…」


 あかつきさとし。この特徴的な名前なのか、この美貌なのか、それともこの頭脳なのか、性格なのか、彼には人を引き付ける『何か』がある。


 爽やかな雰囲気を思わせるのは、敬語口調と顔に浮かんだ微笑であろう。また、薄い褐色な肌が醸すワイルドさが手伝って、その雰囲気とのギャップを生みだしている。


 加えて成績は通っていた中学の中でもトップを維持し、スポーツもできる方だ。誰に対しても基本親切で優しいため、友好関係も充実しているときた非の打ち所がない超人である。実際、彼と日々を過ごしていく中でそれを近くで見せつけられ続けている彼の親友、燎平と美紋は劣等感を感じることが多いが、今となってはもう慣れつつあった。


 ただ、そんな彼にも玉に瑕な部分が二つある。見た目では、サラサラな長い前髪で隠れた額の傷跡だ。昔、事故でついてしまったものらしい。そして二つ目である中身の部分が、


「いやぁ、あまりにも美紋さんが馬鹿みた……いえ、嬉しそうな表情をしていたもので」


「……今、暁君すごく失礼なことを言おうとしてたわね」


「いやいや、先程の美紋さんの顔がふやけた饅頭の皮みたいだなんて、そんな失礼なことはこれっぽっちも」


「より具体性が増してさらに悪い方向に突っ走っちゃってるじゃない!」


 これだ。からかうのが好きなのか、結構言葉を選ばない時がある。見た目に反して、内心は結構腹黒いのかもしれない、と疑いがかかってもおかしくないような毒舌っぷりである。本当に近しい人しかこの癖が出てないことだけが救いだ。基本、暁は優しいのだ。基本。


 「それにしても遅いですね……道端で倒れている妊婦さんでも病院に運んでるのでしょうか?」


 「いや、流石にそれはないでしょ……」


 真剣に考えだす暁の傍らで、美紋は嘆息と共に額に手を当てる。今、彼女の周りには相手の面倒な輩しかいない。遅刻男、毒舌男、そして欠点を加味しても、スーパー暁くんと呼べる彼を少しでも見習ってほしいという奴が、ここに一人。


 「はっはっは、燎平、ついにやらかしたなアイツめ!あぁー‼俺も燎平と一緒に入学式なんてサボってくりゃよかったかなぁ?」


 「アンタは黙ってなさい!」


 ぐほっ、と情けなく地面に崩れる少年は黒澤くろさわ来飛らいと。見ての通り馬鹿である。


 髪は乱れ、緩んだネクタイに第二ボタンまで開けられたシャツ。新品のローファーのかかとは踏みつぶし、暑いのか格好つけたいのか知らないがブレザーを羽織った下のシャツを腕まで捲っている。


 長い眉に高い鼻、きりっとしたつり目に高身長。細身だが筋肉はついている。見た目で言えばこれしか良い点はない。あとは全てが駄目である。こんな奴と一緒にいたら何か勘違いされそうだ。暁が正な分来飛が負でプラスマイナスゼロになってしまっている。もう彼に何か言うのはとうの昔に諦めた。


 「痛ってえなおい!お前の蹴りは冗談じゃすまない時があるから勘弁してほしいぜ……」


 「仕方ないでしょ、今のは来飛君が悪い」


 「いや先手ェ出したのそっちだろ!?」


 「足だから問題ないわ」


 「足でも空手黒帯の蹴りはダメだから!いい感じに腹陥没したから‼」


 どんな感じよ馬鹿、と美紋は吐き捨てる。一応、彼女は空手黒帯の実力者である。美紋がいる側では来飛は悪だくみできないため、中学では彼女の存在は抑制力の最終手段として重宝されてきた。勿論美紋にとってはまんざらでもなくそんな役割は御免だったのだが。


 いったん場が収まったところで、タイミングを計ったように教室のドアが音を立てた。長身で、スーツを纏った学生とは異なる雰囲気の男性が入ってくる。それと同時、それぞれの席に一斉に生徒達は座り始めた。髪はワックスで濡れ、黒縁の眼鏡をかけている細身の教師は教壇の前に立つ。


 「少し遅れました、申し訳ない……えー、皆さんおはようございます。そして、入学おめでとう。皆とは初めまして、かな。私はこのクラスの副担任を担当する、祓間ふつまです。どうぞ一年間、よろしくお願いします。あー、このクラスの担任は今、ちょっと事情があるので遅れて来ますのでそこはご了承願いたい。では、出席を取るので、名前を呼ばれたら返事をしてください。一番、暁暁君―」


 とうとう始まってしまった。現在時刻は八時四十分。まだ、燎平の姿は見えない。


 (これはマジでヤバいわよ……どうしたの、燎平!)



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