蔓延る、数多の不条理を復す者

 ざあざあと、街を覆う夏の夜の湿気の中、雨粒が落ちる音が木霊す。


 そんな雑音が背景にある中、傘を持ちながら会話をするのは少しばかり新鮮で、彼は嫌いではなかった。


 そんな事を思いつつ、彼の視界の右端に映るポニーテールが左右に揺れるのを眺める。


 「……ねぇ、ちょっと燎平りょうへい?聞いてるの?」


 「ん?……あぁ、悪ぃ。なんだっけ」


 はぁ、と呆れ、嘆息するのは月ケ谷つきがや美紋みあや。切り揃えられた前髪の端にハート型のヘアピンを留め、白い素肌に良く映える、漆で塗られたような艶やかな黒髪を後ろで一つに纏めている。


 「これだから燎平は……、もう、少し慣れてきたからって気を抜かないでよね」


 「んな事分かってるよ、言われなくても」


 「なら、さっきの事教えて頂戴な」


 「うぐ……申し訳ない…」


 一通りからかって満足したのか、彼の困り顔が見れたからなのか、クスリと微笑みくるくる傘を回す美紋。


 普通にしていても美紋は抜群に可愛く、可憐なのだが、微笑むとその破壊力は倍増する。その仕草に少しドキッとしながらも、どんどん先を歩く彼女の後を追う彼、佐倉さくら燎平りょうへいだった。


 「…私が聞きたかったのは、今度の発生源の事よ。私、まだ花蓮かれんちゃんから聞いてないの」


 「え?そうなの?…珍しいな、会長が伝え忘れるなんて」


 「いや、仕方ないよ…私も部活で忙しいし、花蓮ちゃんはもっと忙しいじゃない?」


 「あぁ、そうか…思えば合唱祭に学園祭の運営、受験勉強に部活も全部やってるんだもんな……人間じゃねぇ……」


 「ホントよね。過労でそのうち倒れなきゃいいけど……いやまぁ、それはないか。あの人に限って。いい意味でも悪い意味でも、疲れを外に出さない人だしね」


 「俺たちが心配するこたぁないさ……で、場所だっけ。ちょいと待って……、ぉうおっと!」


 歩道橋を渡る直前で足を滑らす燎平。勘一発で歩道橋の手すりに捕まり、難を逃れる。


 だが、その拍子にスマホの方が手からずり落ち、パキャン!と嫌な音を立てて地面に墜落した。


 「…い、色々大丈夫?」


 「俺は大丈夫……だけど…」


 スマホの方は、重症だった。見事に画面が弾痕よろしくクラッシュしている。


 「…あちゃ~」


 「うっ……雨のアホォ………」


 がっくりと項垂れる燎平。元々雨はそこまで嫌いではなかったが今、この時をもって雨へのヘイトが一気に溜まる燎平であった。


 「まぁ、修理に出せば直るでしょきっと。そこまでひどくはないし、それに身体のほうが当たり所が悪くて大怪我しちゃったら大変じゃない」


 「そうだけどさぁ……不条理だ……」


 「そんな小さな不条理、修復なおすまでもないでしょうに、ホラ、さっさといくよ」


 グス、と目の端に溜まったモノを拭い去り、スマホの電源を付ける。今までとうって変わる画面に、何とも違和感を覚えつつメールを確認する。


 「うわぁ…見てて気持ち悪いな……感触もなんかやだ」


 「仕方ないでしょ、もう起こったことでぐじぐじしない!それより早くメール見せて」


 「畜生……はい………」


 しぶしぶとスマホを見せる燎平。んー?と目を細めながら画面をのぞき込む美紋が、すぐ近くに迫る。ふわっとほのかにする彼女の香りをなるべく意識しないよう、燎平は目を逸らす。


 「確かに見づらいなぁ……ん?え、ちょっと…違くない?ココ」


 「いやここら辺だね!ちゃんとホラ、ここがこの歩道橋じゃん!」


 「えー、ホントにここら辺なの?ちゃんと確認してよね」


 「いや本当にここら辺だって!ホラ、よく見ろよ!」


 指を指しながら必死に主張する燎平。だが美紋は確認せず、ぐいっと燎平の袖を引っ張る。


 「ホラ、ちゃんと周り見る!」


 「え?……あっ」


 少し感情が昂っていたのか、気をくばる配慮が欠けていた。燎平の少し先には、紺色の傘があった。


 人数が多いこちらの事を気遣って脇によけてくれたのに、なんたることか。軽くすいません、と小声で付け加えつつすごすごと空けてくれた道を通る。彼女がいて助かったと同時に、いや彼女がいなければこんな事にはならなかったのでは?と軽い矛盾に頭をひねらせる燎平。


 「…よく見るのは燎平の方だったようね」


 「……うまい事言ったつもりかよ…」


 また勝ち誇ったように笑みを浮かべる美紋。幼馴染である彼女との付き合いはかなり長いが、未だにその笑みは何度見ても飽きない。どれだけからかわれたとしても、最後にはその笑顔につられて、燎平も少しだけ頬が緩くなってしまうのであった。


 「で、もっかい見せてくれる?……てか、そのデータ私のスマホに送ってもらった方が早い気がするけど」


 「え、……いや、別に俺の見てくれてもいいけど」


 「嫌よ、割れてるし。あとそっちの方が私の方にもデータ残るし一石二鳥でしょ?」


 「……了解」


 これ以上の弁明は何か惨めに見えると考え、断念する燎平。決して下心があるわけではないのだが、これでも思春期真っ只中の健全な男子。本音を言うと、ちょっぴり残念な気持ちを隠しきれない彼であった。


 「お、来た来た……って、待って。更新されてる!ねぇ、もしかしてココって……」


 画面の中にあるのは発生源と呼ばれる赤い点。それが点滅し、円状に周囲に広がっている。


 その中心である場所に今、彼らは向かっていた。しかし、その発生源は数分枚に衛星を通して更新される。


 そしてデータが更新された後のその中心は、先ほど二人が通った歩道橋の上。


 「……ッ!?」


 突如、空気が変わった。


 全身を舐めまわされているような、ごわごわと身体に纏わりつくような醜悪な気配。


 瞬間、二人の意識が切り替わる。ここから先は、仕事の時間。


 幸い、先程の歩道橋まではそこまで離れていなかった。完全に『切り替わった』彼らは、凄まじい速度で元いた歩道橋まで駆ける。


 「……いた!!」 


 視線の先には、大きな影。紺色の傘が地面に落ちている時点で、二人が追っていたターゲットは先程の男性だったのだと気づかされる。


 燎平と美紋の緊張感が一気に増す。その男性の背後にいる怪物の名を、燎平はこう呼んだ。


 「…出やがったな、『異怪エモンス』……!」




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