不条理の修復者

麿枝 信助

序章 Resetter

蔓延る、数多の不条理を嘆く者


 

 理不尽だ、と空を仰ぐ。


 何故俺ばかり、と不平を口にする。

 

 こんなにも尽力してきた。何も考えずに行動してるなんて思ってもらっては困る。


 言われた通りにやった。時間通りに事を成した。全力で自分をぶつけた。だが内容が薄いと言われる。


 修正に入る。自分を改変するようなその困難さには四苦八苦するのは必然だ。当然時間はかかるというもの。


 少しばかり提出が遅れた。だが会心の出来だ。褒められこそすれ、けなされる事はないだろう。


 しかし、それも水泡に帰した。お前が遅れているせいで全体に支障が出ていると言う。そしてこれでもかと言わんばかりに内容に関しても干渉してきた。論点が違う、指摘する言葉が足りない、データが不足している…等々。あらかじめどうすれば良いか事前に教えてくれれば良いものの、これでは後出しも良いところだ。これだけ頭を働かせ、時間もかけ、努力したというのに一言もプラスの言葉を聞けていない。


 あまりにもただ頭を下げているのが辛くて、何も言えずただ歯を食いしばっているのが情けなくて。 


 だからこそ、少しばかりの対価を求めてしまったのだろう。光を見出したかったのだろう。


 それこそが悪手だったと気づいたのは、少しでもいいから賛辞が欲しい、と口に出してしまった後だった。


 返ってきた言葉はより苛烈を極めていた。やれ大人なら黙ってやれだの、いちいち自分のやった事が褒められないと満足に仕事ができないのかだの、今でも耳にこびり付いて離れない。思い出すたびに、心が擦り切れるのが分かる。


 努力が報われず、かえってそれをして何故叱咤されねばならないのか。全力の献身を仇で返されて喜ぶのは、ほんの一握りの人種のみであろうに。


 「……不条理にも、程がある」


 そんな心の内を示すかのような雨の中、ぼそぼそと呟きながら、新入社員の越智おち込造こむぞうは歩き続ける。


 分かっていた。乞うべき人が違っていると。


 自覚していた。自分の能力不足であると。


 ふと、水たまりに自分の顔が映る。


 「………」 


 信じられなかった。そこにいるのは、別人だった。


 頬は痩せこけ、髪も乱れている。生気がまるで感じられない目のくまは、波紋で見えづらい鏡の中でもくっきりと濃く、死化粧でもしているかのような真っ白い肌は、正しく死神のそれであった。


 案の定手に持っているのは相棒のパソコンが入ってる鞄と、先ほどコンビニで買ったエナジードリンク。


 もう夜もとっくに更けている。これから家に帰って、遅めのご飯を食べ、明日に向けての書類整理をして風呂に入って寝るだけ。こんな味気ない生活を、どれだけ続けてきただろうか。


 特に頼れる家族や親せきがいるわけでもなし。心の隙間を埋めてくれる恋人もいない。


 昔は好きだった釣りに行ける時間も余裕もない。金を娯楽や趣味に費やせる程、裕福ではなかった。


 「…………」


 雨粒が傘に当たる音をBGMにしながら、歩道橋を歩く。このじめじめした空気のせいか、それとも単純に栄養が足りてないのか、視界が段々とぼやけてきた。


 「……………」


 ふと、視界の隅に人が映る。俯いて歩いていたせいで気づくのが遅れてしまった。


 二人組の、男女の高校生だ。こんな天気だというのに、仲睦まじく会話に華を咲かせている。


 こういう時、歩道橋の道がせまいのはデメリットだ。片方が端に寄らないと、もう片方の人たちが通れなくなってしまうから。


 しかも今日は雨。傘が邪魔をするのは自明であった。


 「えー、ホントにここら辺なの?ちゃんと確認してよね」


 「いや本当にここら辺だって!ホラ、よく見ろよ!」


 二人組が近づくにつれ、会話が嫌でも耳に入ってくる。男子の方のスマホを女子が覗き込むようにして見ている。


 二人はカップルだろうか…?いかにも楽しそうに談笑している。……時に無知は、己を助けるのだぞ、とこれからの人生の苦労を知らない若者たちに憐れみと嫉妬の視線を投げる。


 特にこれといった青春の思い出もない。普通に学業に勤しみ、普通に大学を卒業し、普通の会社に入った。


 志望動機は何だったか、やりたいことは何だったか……少しばかり考えたが、やはり思い出せない。


 思えば、いつから物事を全て利益不利益の価値観で考えてしまっていたのだろうか。いつの間にか、自分はそんな機械の様な、冷たく、面白みのない人間になってしまったらしい。


 「…………………」


 端に移ったことで、遠くなった地面が見える。数秒に一度、車輪が水しぶきを上げている。ここはかなり田舎な方だが、かといって過疎化が著しいわけでもない。寧ろその逆で、人口は年々増え始めているようだ。


 ここが元々山を開拓した土地であったのも理由の一つではあるが、やはり数年前に新しい学校が出来た事が最も大きい要因だろう。


 そのおかげで今では若者も増え、活気が増えてきているように思える。


 都心に行くのも、公共の交通機関を使えばここからそう時間はかからない。これからを担っていく若者を育てるには、かなりいい場所だろう。


 …………そう、と再びコンクリートの地面を見下ろす。


 有能な若者はたくさんいる。それこそ、経験や知識を自前のセンスと若さで乗り切れる事もできるだろう。そういえば今日も、自分の後輩が何か成果を上げたとかなんとか。


 喜ばしかったが、かける言葉はなかった。そんな事をしてしまったら、自分は何だ。何なのだ。


 上司に罵声を毎日のように浴びせられ、仕事は出来る方ではない。特にこれと言った長所もなく、自慢できるような誇らしい過去、業績、学歴もない。


 こんな人間に褒められたからといって、果たして後輩は喜ぶだろうか。寧ろ自分の無能さを浮き彫りにしてしまうだけなのではないか。


 「…………………………………………………」


 視界がさらに歪む。……こんなにも、雨は酷かっただろうか?そこまで自分は疲れていたのだろうか?


 ………いや、と気づく。この歪みは、自分からくるものだった。ぽた、ぽたと、彼方に二つの雫が消える。






 もう、いやだ。






 誰からも認めてもらえず、誰からも愛してもらえない。


 ああ、自分は弱いのだろう。この程度の事で…?ああ、この程度。貴方にとってはこの程度だ。自分と違って、逞しく、優秀な貴方にはこの程度なのだろう。


 心を量る定規は人それぞれ異なるのだ。同じ攻撃でも、受けるダメージは人によって異なるのだ。


 これまでたくさん耐えてきた。我慢してきた方だ、と自負をする。


 今まで、会社に行くのに耐えて、慣れない事をするのに耐えて、失敗するのに耐えて、怒鳴られるのに耐えて、責任を負わされる事に耐えて、自分を取り繕うのに耐えて、長時間仕事をするのに耐えて、やりたいことをする時間と余裕の無さに耐えて、自分で家事をするのに耐えて、恋人がいない空虚さに耐えて、周りと比べられるのに耐えて、積み重なり続ける自責の念に耐えて。


 耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えてたえてたえてたえてたえてたえてタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテタエテ。




 数えきれないくらいたくさん耐えてきたのだから!!!!!!!!


 



 「……もう」


 どうしようもなく、つらかった。


 なんどもなきたくなった。


 あまえられなかった。


 いやされることなんて、ゆるされなかった。


 「………らくにさせてくれ」


 こトばにすルと、チょっト、きモちが、カるクなッタ。


 こノしアわせナ、キブんのマま。






 ―――――――――――。











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