日倉衣緒

春と昔

 春とか桜にどんなイメージがある?

 そう聞かれても、多分私は答えられないんじゃないかと思う。

 確かに、季節によってのイメージはある。でもそれは暑いとか寒いとかの話で。

 私は、季節によって大きくイメージが変わることはない。

 いつだってやることは同じだから。

 楽しいこともうれしいことも悲しいことも辛いことも。

 春は出会いとか別れの季節っていう人は多い。

 そうなのかもしれないけど。

 出会ったり別れたりするのは春に限ったことではないでしょう?

 それでも、この春の出来事は私の中でも少し特別なものになる予感がしている。



「ねえさやっちー、宿題見せてー」

「衣緒ねえ、たまには自分でやってきなよ」

「いいじゃんいいじゃん。ありさっちもそう思うでしょ?」

 私とさやっちの後ろの方でずっと黙っているありさっちに声をかける。

「え、えと、何?」

 まさか自分が話しかけられるとは思っていなかったのか、変な声で応じてきた。

「馬鹿、ありさだって自分でやって来いっていうよ? ねえ?」

 何気ないさやっちの言葉にありさっちは突然笑った。

 よくあることだ。

 ありさっちは友達がたくさんいるようなタイプじゃない。

 多分こんなやりとりでも楽しいんだろうなと思う。

 その後も他愛のない会話は続いて、私が少し笑いをとっちゃったりして。

 時間になって、自分の席に戻って小さなため息が漏れる。

 私はいつまでこんなキャラ何だろうか。

 そんな疑問が頭に浮かんでくる。

 昔はこれが素だった。

 でも、成長するにつれて、考えることも取りたい行動も変わってきた。

 それは普通のことだ。

 多分皆は、その時に自分を少しずつ変えていくのだろう。

 でも私にはそれができなかった。

 私は友達がそこそこ多いが、時に仲がいいのはさやっちだけ。

 そのさやっちは、昔の自分と仲良くなった。

 だから私が変わって幻滅されないように、そう思っていたら、いつの間にか偽物の自分を作るようになっていたのだ。

 正直な話、さやっち、ありさっちなんて呼び方も子供っぽいと思う。

 さやっちは昔の呼び方のまま、何となく引き継いでいる。ありさっちもその延長だ。

 自分を変えたいとは思うけれど、できない。

 自分から行動しなければならないということは知っているけれど、何かきっかけはないかなと思う今日この頃である。

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