怒る魔王
「久しぶりだな勇者、いやいまは《ビール》と名乗っているらしいな」
俺のことを《ビール》と呼ぶということは、ビール工場での一軒は既に魔王の耳へと届いているのだろう。ならば、俺が既に魔王と争うつもりがないということは炎魔将軍から伝わっているはずだ。
「ビール?」
「……後で説明する。一体何の用だ魔王」
問いかけてきた遊び人を手で制し、俺は魔王へと向き直る。もう奴と戦うこと必要はないということはわかっているが、いざ魔王を前にすると肌を刺すような緊張感が全身を駆け巡る。
「なに、娘が惚れた男と話をしたくてな」
「娘!?」
遊び人と魔王の顔を、何度も見比べる。……確かに面影は似ている、真っ赤な目の色も同じだ。俺が、遊び人の瞳をじっと見つめていると、彼女は気まずそうに斜め上へと視線をずらした。それでごまかしたつもりか。
……ということは、マスターは遊び人の祖父というわけか。どおりで、遊び人のことをやたらと気にかけていたわけだ。
魔王が、ゆったりと歩をすすめこちらに近づいてくる。魔法陣の光は既におさまり、部屋は月明かりとカウンターの周りに置かれたランプだけがだよりだ。ランプに照らされた魔王の表情は、やはりどこかやつれていて酷く疲れているように見えた。
「酷い顔をしているぞ」
そのあまりの変貌ぶりに、思わずかつての宿敵を案じてしまう。
魔王は、まるで浮いた皺やクマを確かめるように自身の顔を撫でた。
「そうか……いやそうだな。我は疲れてしまったのかもしれん」
「……なにがあった」
「長年離れて暮らしていた娘が帰ってきて、喜んでいたのも束の間。我が娘は、魔王軍の一員として命令をしっかり聞くのは身体だけで、頭の方は、常に我へと罵詈雑言を投げつけてくる……。今は、娘がいなかった時より辛い……」
遊び人を見ると、口笛を吹く素振りをしている。その様相に、魔王の言葉が真実であることを俺は確信する。なにが説得を続けていただ、実の父親に罵詈雑言を浴びせることはもはや説得とはいえないぞ。
「勇者、魔王を倒して! そうしたら、次の魔王には私がなる! そうなれば体の制御もきくようになるし魔王軍もよりよくなる!」
魔王が深いため息をついた。
「娘の言うことは聞かないでくれ。我としても、もう人間たちと争うつもりはない。それに、娘がそう願うのであれば娘の体のほうも我が何とかして……」
言葉に詰まる。
「我が娘よ……体はどうした?」
あ……。
魔王の問いかけに応じるかのように、部屋の隅でガタガタと物音が鳴った。まずいまずいまずいまずいまずい! いま、彼女の体を見られると非常にまずい! 勇者の直感が、全力で危険を知らせてくる。だが俺には、魔王の視線が物音の方へと向くのを止めることはできなかった。
「……」
当然、そこには遊び人の体が捨て置かれていた。その芸術的かつ扇情的に縛り上げられたからだが、魔王へと助けを求めるように体を揺り動かしている。
「……えっと魔王、それは、その」
俺は、助けを求めるように遊び人を振り向く。すると遊び人は、まるで悪戯が見つかった幼子のように舌をぺろりと出した。
「勇者がやりました……」
「ばっ!いや、ちが……」
「ゆうしゃああああああああああああああああああああ!!!」
魔王の叫びに部屋が震える。魔王は、なりふり構わず俺へと身体をぶつけてきた。そのあまりの威力に、俺は部屋の壁に打ち付けられた。肺の中の空気が、衝撃で全て体の外へと吐き出される。俺は、片膝をつき何とか呼吸を整え、恐ろしいまでの黒いオーラを立ち上らせゆっくりと近づいてくる魔王へと呼びかけた。
「お、お義父さん! 誤解なんです!」
「お義父さんなどと呼ぶなあああああああああああああああ!」
魔王のパンチを、とっさによける。その拳は、さも当然かのように壁にめりこむ。
俺に、反撃に出るつもりは毛頭なかった。炎魔将軍との約束もあるが、なにより俺はもう魔王と争う理由がないのだ。だが、そんな俺の気持ちとは裏腹に魔王は遠慮なく俺の命を仕留めに来ている。
魔王の研ぎ澄まされたフックが、ボディへと突き刺さった。骨がきしむ音が、脳天まで届いてくる。その破壊力は、女神から授かった耐性の力を以てしても凄まじいダメージを俺へと与えた。
「娘を! 亀甲縛りなんぞにして! いったい何をするつもりだったんだ! この変態め!」
続けざまに、打ち放たれたパンチはその一つ一つが必殺の威力を有していた。俺は、それを辛うじて受け流す。もう一発でもダメージを受ければ、死に至らしめられる確信が俺にはあった。これまでの俺は、傷を受け、痛みに耐え、何度でも立ち上がり魔物たちとの戦いに勝利してきた。だが、魔王との戦いは別だ。傷を受ければ、痛みに耐えられるはずもなく、一度でも倒れればもう二度と起き上がれない。
これまで、感じることのなかった死の恐怖で、思わず歯が鳴った。
それは、一か八かの賭けであった。俺は、魔王から繰り出される鉄の拳を目で追う。これを捕らえられなければ、体勢を崩した俺は次撃で死ぬことだろう。そのあまりの緊張感からか、時間がやけに遅く感じられる。俺は、スローモーションの世界の中で魔王の機械の腕を半身で受け流し、そのまま伸び切った腕を脇で固めた。
「うおおおおおおお」
片腕を、俺に抑えられた魔王が顔面にパンチを入れてくる。だが、腰の入らないパンチに、先ほどまでの威力はない。
「せりゃああああああ!!!」
俺は、気合をいれ機械の腕をへし折った。鉄の部品が、ガチャンガチャンと音を鳴らしながら崩れ落ちていく。腕は、かろうじて魔王の体に繋がっているものの力が入らないのか振り子のように揺れていた。
「くっ……腐っても勇者ということか」
「もうやめよう魔王。俺に争う気はないんだ」
俺は、害意がないことを示すために両手をあげて魔王に歩み寄る。
「寄るな変態! 今度は、我を変態的な技法で縛り上げるつもりだろう! そうはさせるか!」
魔王は、そういうと床に転がっていあ遊び人の体に駆け寄った。
「せめて、我が娘の体だけは守って見せる」
「あ、頭はどうなってもいいのか?」
「……こ、この変態め! 娘の頭で何をする気だ!」
思わず口にした疑問で、更なる誤解を魔王に与えてしまった。この場を納めるには、魔王の実の娘である彼女しかいない。俺は、僅かな希望を遊び人へと託すこととした。
「やれっ! 勇者! 殺さない程度にパパを痛めつけて! そしたら私が次の魔王だ!」
もうだめだ……。
「我が娘よ、まだそんなことを!」
「うるさい! くそじじい! さっさと隠居して席をゆずれ! ばーかばーか!」
魔王と目があう、その死んだ魚のような目に俺は何もかもを察した。ああ、ずっとこの調子で罵倒され続けていたのだな魔王よ……。
魔王は、どこからともなくスキレットを取り出し口を付けた。その目はわずかに潤んでいるように見える。
「……っ。あ、頭は置いていく! だが、娘の貞操だけは我が守る!」
魔王は、スキレットを懐にしまいこみ。遊び人の体を優しく抱え上げる。
「な、なにを……する気だ!?」
「貴様らの知る由も手段を用い、貴様らの知る由もないところへ逃げるまでよ!」
「勇者! 魔王を今すぐ捕まえて!」
「さらばだ勇者に我が娘よ! 千鳥足テレポート!」
遊び人の言葉に、反射的に俺の体が動く。だが俺の腕は、空を切る。既に魔王の体は、光の粒子となって部屋の中から姿を消していた。よりにもよって、俺らが魔王を探すべく散々使ってきた千鳥足テレポートを使って、魔王は何処へと消えてしまったのだ。
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