2杯目 ここは、ワインに任せて先に行け
部屋に二人、ベッドは一つ
「勇者様、一緒に寝ないのかい?」
月明りが部屋を照らす。それほど広くはない部屋には、粗末なベッドがひとつ。されど、人影は二つ。早々にベッドにもぐりこんだ遊び人が、声をかけてくる。
「その間、誰が見張りを続けるんだよ……」
からかわれていることは分かりきっているのに、抗いがたい誘惑の言葉に必死に感情を抑え理屈を押し通す。そんな俺の心情を察してか、遊び人がくっくっくっと笑いをこらえている。質の悪い女だ。
ここは教会の二階。普段は、旅人を迎える客室として使われている質素な部屋だ。そんな狭い部屋に、俺と遊び人は互いの息が頬をなでる程の距離で見つめ合っていた。すまない、今のは嘘だ。そうだったらいいなという、俺の願望。実際のところ、遊び人はベッドに横になっているし、俺は窓際に置かれた椅子から外を眺めている。
教会の向かいには、それこそ狼が息を吹きかければ飛んでしまいそうなボロ屋が一軒あった。俺の視線は、そのあばら家から一寸も離れることは無い。
先日の一件で、俺たちは闇に潜む魔王軍の情報を得ることができた。かつては、表舞台で暴れまわった彼らは今や一犯罪組織として王国の裏側で暗躍している。その手口は非常に巧妙で、俺はこの5年間、奴らに関する情報を一切得られていなかった。
そんな闇の中を手探りで歩くような困難の中で、俺たちは一筋の光明を得た。それは、秘密裏に活動する魔物達と魔王とのつなぎ役、魔王軍の連絡員の所在に関する情報である。
あの魔物たちとの戦闘の翌日。合流を果たした俺と遊び人は、その日のうちに旅支度を調えこの宿場町まで馬を走らせた。
長年、一所に留まることなく各地を放浪し続けてきた俺であるが、同行者がいるのは初めての事だった。一つ断っておくが、別に一人が好きというわけではない。たまたま、縁がなかっただけのことだ。
初めての同行者である遊び人に関して、俺は何も知らないに等しい。既に六日以上の時間を、共に過ごしているにもかかわらず、彼女が元騎士で、ナイフ使いで、魔王を追っているということ以外は年齢も本名すらも聞いていない。なぜ、そんな事態に陥っているかというと単に聞く暇がなかったからである。
俺たちは、俺たちの動向が魔王軍内で共有される前に、連絡員にたどり着く必要があったのだ。万が一、連絡員に姿をくらましでもされたら、また一からのやり直しだ。俺たちには、なにより拙速が求められたのだ、お互いの自己紹介をする暇がなかったとしても致し方が無いことであった。
食事も休憩もとらず丸三日走り通しの強行軍、この町に辿り着いた時には、俺たちは這う這うの体だった。そのまま教会へとなだれ込み、神父に事情を話して部屋を借り受け更に三日ほど経っている。
ミノタウロスの情報は正確で、連絡員の潜んでいるはずの小屋は教会の目の前にあった。よりにもよって魔族を目の敵にしている教会の前に拠点を建てるとは、よほど肝が据わっている。まあこちらとしては、実に見張りやすいので都合はいいのだが。
「勇者はからかいがいがあるなー、ほらーこっちのベッドは柔らかいぞー」
「俺をからかってる暇があったら、確り休んでてください」
遊び人から返事は帰って来ない。つい出てしまう敬語が、信頼関係を築く間もなく同行することとなった俺たちの距離感を物語っている。
昼は遊び人、夜は俺。見張りを行ううえで決めたシフトが、唯一俺たちの間で築かれた約束事だ。
この部屋に入った時、一つしかないベッドに淡い期待をよせもしたが、交代で眠るため今のところ何の問題も過ちも起きるはずもない。残念なことに。至極、残念なことに。
「残念なことに」そう、それが正直なところ俺の本心なのだった。
いやいや、成り行きでできたとは言え初めての旅の同行者、しかも美少女ともなれば致し方が無いだろう。それに、新しい仲間と仲良くなりたいと考えるのはごく自然の事だ。何も恥じることはない。
「ふぁあ~~」
不意に大きなあくびが口をついて出る。俺は、先日の一件から酒を一滴も飲んでいなかった。酒が、最高の睡眠導入剤となることは既に身に染みて知っていたが、飲む暇がないのだからしょうがない。そうなれば、当然、俺の不眠は続くはめとなっている。遊び人と、昼と夜で分けての見張りのシフトを組んだもののほとんど一日中起きている俺にはあまり意味がなかった。
瞬間、視線がゆらぐ。疲労の為だろうか、俺の集中力が僅かに乱れてきていた。なに、これくらいならまだやれる。疲労困憊なのは勇者の常。こんなのは、まだまだ序の口だ。
だが疲労がもたらしたのは、集中力の乱れに留まらなかった。緊張が緩んだためか、急に自分が置かれている数奇な状況を脳が認識し始めたのだ。密室に、絶世の美少女と、二人きり、しかも彼女はベッドに俺を誘ってくる。なんだこれ、ご褒美じゃないか……。俺は未だ何も成しえていないというのに。
非常に非情なことに、自身の置かれた状況を認識してしまうと沈黙を保つことが酷く気まずくなってきた。他愛のない会話でもいいから、何かしらの言葉を発さなくては持ちこたえられそうにもない。
「……いい天気ですね」
どうやら俺は、とんでもない阿呆だったようだ。半分にかけた月と星々が、お前は阿呆だと語り掛けてきたとしても何ら不思議ではない。こんな夜更けに、「いい天気ですね」なんてほざいたのは世に俺一人だけだろう。
「……ぷっ、あははははは。三日も部屋を共にして、初めて勇者様から話しかけてきたと思ったら――そうだねえ、いい月夜だね勇者様!」
頬に熱がのる。監視がばれないよう、ランプに火を灯していなくて本当に良かった。この月明りだけでは、俺の顔が赤くなっているのもばれていないだろう。
自分の阿呆さを晒してしまったことが、恥ずかしくて仕方がない。だがこれは、いい機会でもあった。今なら緊張も解れて、なにも気負ることなく自然と会話ができそうな気がする。さて、どうしたものかと次の話題を考える。
予想に反して、話題はいくらでも思い浮かんだ。それは何故かとういと、聞くべきことが溢れていたからだ。俺は彼女の事を何一つ知らなかった。聞きたいこと、聞かねばならぬことが沸騰したスープよろしく頭からあふれ出てくる。よく、こんな得体の知れない女と3日も一緒に入れたものだな。
「なあ、いろいろ聞いていい……ですか?」
「敬語を辞めてくれるならね―――それなら、私の何もかもを教えてあ・げ・る」
その可愛らしい姿に似合わない艶やかさを、声に込めている。彼女は、冗談抜きでは会話の出来ない質なのだろう。俺は、少しだけ考えてから一つ目の質問を繰り出した。
「千鳥足テレポート、あれはどういう魔法なんだ?」
「真っ先に出るのがそれ!? 真っ先に聞くことが千鳥足テレポートのこと!? もっと私に、興味は無いの!? こんなに可愛い子が、同じ部屋でベッドに転がっているって言うのに? 信じられない! 本当に、あなた男の子なの!?」
「うわああああああ、ごめん!ごめんなさい!!!」
彼女の剣幕につい、恥も外聞もなく謝罪の嵐を見舞ってしまっていた。……ま、まあ俺は、つい本質をついてしまうきらいがあるからな。人から見れば、すこし性急にに見られることもあるだろうさ。……うん、質問するにしても順番が大事だったな。反省反省。
人間関係とは、信頼関係を築くことだ。会話も然り。なに、あばら家に動きはない。時間はたっぷりある。焦ることは無いのだ。なれば、順序良く積み上げていくとしようではないか。
「じゃ、じゃあ名前を聞いてもいい……?」
「ひ・み・つ」
なんだこいつ、何か腹が立ってきたぞ。
「じゃあ年齢……」
「……千鳥足テレポートの話だったわね。千鳥足テレポートってのは、使用者の願いが強く影響するランダムテレポートなの」
ええええ……本当になんなのこの娘。
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