第二夜 異世界に飛ばされた僕は探偵家業で食っていく~アレシボメッセージ③
「シュレディンガー。君はこの世界についてどう思う」
戯れに猫に語りかけてみる。
君と初めて会った時、僕は心底驚いたんだ。
だってこの世界には、普通の人間がいないのと同様に普通の猫もいないからだ。
四足歩行で歩き、「みゃあ」と鳴く猫なんていの一匹も存在しない。
代わりとばかりに逆立ちして歩きまわり、あまつさえ「みゃあ」となく男ならいるかもしれない。
もしくは、「わん」となく猫の頭をもった人間なら……。
だが、シュレディンガーに限って外見も中身も正真正銘の猫そのものなのだ。
なるほど、その点。
ラジカセという至ってまともではない外見であるものの、中身は至ってまともである僕とはまた違う存在なのかもしれない。
「やっぱりシュレも、狂ったこの世界で僕と同様の正常者なのかい」
「いや、狂っているのは世界じゃない。君だよ」
シュレは、この機をの逃してたまるかと言わんばかりにその二本の後ろ足で懸命に立ち上がり話し始めた。
右手にはさっきまで僕が飲んでいたウイスキーの瓶を持っている。まったく器用なものだ。
「ああ、やっぱり君もこの世界の住人だったのか」
僕は少しだけがっかりしたが、それでも相棒と言葉を交わすことができてそれなりに嬉しくも思った。
だって、たったひとりで喋りもしない猫に語り掛けるよりは、小粋な掛け合いを楽しんだほうが健全じゃないか。
「ふむ……探偵の君に、聞かせるのも少しだけ恥ずかしいが。今の君の状況を、僕なりに推理してみよう」
「ほぅ、聞かせてもらおうかワトソン君。ただ、その前に酒を返してくれ」
シュレの右前脚の肉球から、ウイスキーを奪い返し、いっきに瓶を傾ける。
口内に、甘さと苦みがフィフティフィフティぐらいの割合で広がっていく。おや?ウィスキーってこんな味だったけ。
僕が、疑問符を頭に浮かべていることに一切構わずシュレは語り始める。
「君は、吾輩らこの世界の住人とは違う価値観。人間観を持っているようだが、それは一体どこで形成されたものだろうか」
「君の言う所のこの狂った世界に在りながら、君は如何にしてその『正常な』価値観を手にしたというのか」
「答えは簡単さ。実に残念なことであるが、この狂った世界でたった一人その異常性を訴える君のほうが異常だということさ」
「『狂っている』のは世界ではない、君のほうなのだよ」
まったく、その一人称も相まってか僕よりずっと探偵みたいな喋り方をするやつだ。
これじゃあ、どっちが間抜けなワトソン君かわかったものじゃない。おっと、これはワトソン君に失礼な物言いだな。
「人間の首から上に、人間の頭が据わっているなんてことはないし、猫がみゃあと鳴くことだって常識的にありえない」
「そういえば、君は君自身の『正常』だったころの記憶が曖昧だと言っていたな。君の研究がどのような結果に至ったか思い出せないと」
「ならば、こう考えてみるのはどうだろうか。それは、その記憶が作られたものだからだ」
「君が『正常』だったころの記憶というのは君の『異常』な精神によって妄想されたものなのだ」
「いわゆる夢見た異世界というやつさ」
「僕を、寝る前に妄想に勤しむ中学二年生みたいだって言うのか!?なんて失礼な奴だ」
僕は、プリプリとシュレディンガーに抗議した。
僕のペットのくせに何と生意気な奴だ。今日の缶詰はお預けだシュレ。
「吾輩は君の相棒であり、断じてペットではないぞ。それに吾輩の缶詰は、君が先ほど食べてしまったではないか」
そうだった。
「あんな塩気のない缶詰よく美味しそうに食ってるよな!ばかじた!ねこじた!やーいやーい」
「まったく、まあ君と吾輩の仲だ広い額をもって許そう」
「さて話を戻そう。『正常』な世界が君の妄想だということが受け入れられないなら、こういう解釈はどうだろう」
「君を正常と仮定した場合の解釈だ。君の言う正常と異常の違いは、人間の首の上に何が据わっているかによるところが大きいよね」
「そのほかの物事は、それに比べれば大したことではないとも言える」
そうでもないと思うけど。
僕の世界は、もっと……こう……まともだと……
「ほら言語化できないほど、君の正常は朦朧としたものじゃないか」
「そうだな……君は、とある不幸な事故にあい、脳に障害が残ってしまったんだよ」
そんな記憶ないけど。
「なら、酒の飲みすぎ。君はサークルコンパに真面目に参加しすぎて、アルコールによる脳障害に侵されているんだ」
「そのせいで、記憶は曖昧だし、この正常な世界が狂って見えているんだ。だがしかし、それは君が実際に見ているものと脳の認識がずれているだけなんだ」
「先日の事件の電卓夫人、君には電卓が言葉を話しているように見えていたかもしれない。でも実際は、彼女は電卓ではなくれっきとした人間だった」
ん、シュレは電卓夫人と面識があったっけ?
「そんなことはどうでもいい」
どうやらシュレは僕の心を読んでいるらしい。
「電卓夫人を見て君は綺麗だ。そう思ったんじゃなかったか?それは彼女が美しい女性だったからだ。もちろん人間のね」
あれ、そうだったっけ。僕が電卓夫人を美人だと思ったのは、そのグラマラスなシルエットからだったような。
「そう、君の違和感は脳の障害からくるものだ。治すには多額の治療費がかかる。だから君は、いつも金欠だったんじゃないか」
どういうわけか、シュレの話は僕に活力を与えるものだった。なんだか、適当なことを辻褄合わせて僕を丸め込もうとしている気もするが。
猫もこたつで丸くなるというし、僕が丸くなったところで何も問題はないのではなかろうか。
それに、なんだか気分も健やかになってきた気がする。世界が狂っているだなんて平民の僕には手があまる。
それよりかは、僕自身が狂っていると信じたほうがスケールがぐっと小さくなって、些細なことに思えてくるではないか。
ならば、精神衛生上そちらのほうが心労は少ないはずだ。
健やかでいられるならば、この苦しみから逃れられるのであらば、僕は僕自身を騙すこともやぶさかではない。
「そうか!なんだか、そうだった気がしてきたぞ。しかし、君が人間ではなく猫に見えるのは何故なんだ」
「何を言っているんだホームズ!薬でイカレちまってるのかい。吾輩はワトソンだ」
「そうだったねワトソン君。たしか、僕はバイク事故で障害を負ったんだ。そして……入院先の病院で美しい看護師と出会った気がする」
「がんばれ!思い出すんだ!」
「美しい女医とも出会った!同室の患者はみんな可愛かった!」
「よし!もう一息だ!」
「そして彼女たちは、みんな僕の妻になったんだ!」
シュレディンガーが涙を流しながら、右前脚と左前脚の肉球をたたいている。つまり拍手の格好だ。
「素晴らしい!ここまで自身の妄想につかりきることができるなんて!こんなに阿呆は見たことがない!」
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