第二夜 異世界に飛ばされた僕は探偵家業で食っていく~シュレディンガーの猫④
さて、この事件もどうやら終盤に差し迫りつつあった。
犯人は、獣の匂いを纏った何かであろうと僕は推測する。結婚指輪氏の体に残された匂いこそが唯一の手掛かりというわけだ。
いやいや、もちろん他の可能性を全て彼方へ追いやったわけではないぞ。
例えば……そうだな。結婚指輪氏が世間一般の嗜好とはかけ離れら趣味を持っており、獣臭の香水を使っていた可能性は誰にも否定できないはずだ。
寝るときに身にまとうのは獣の臭いがする香水を数滴というわけだ……そんな奴おらへんやろ。
そういえば、最近の僕は夕方になると少し獣みたいな匂いが漂うことがある。悲しくなるので、それは今は忘れよう。
さて、賢明な諸君なら他の可能性にも辿り着くに違いない。
結婚指輪夫妻が大の動物愛好家で自宅で虎を飼っているだとか。
結婚指輪氏が、最後の食卓にジビエ鍋を食ったとか等々だ。
もし君が、酩酊状態にあるのならきっとこの限りなくゼロに近い可能性にも光をあてるはずだ。
だが、残念なことに上記の可能性はこの世界において絶対にあり得ない断言しよう。
なぜならば、この世界には真面な人間とともに真面な動物もいないからだ。いや、訂正しなくてはならない。
真面な動物どころか、この世界に人間以外の生物は一切存在していない。理由?そんなの僕が知ったことか。
そんなに知りたければ、神にでも聞いてくれ。幸い神なら僕の部屋の隣に住んでいる。
虎はもちろん、ジビエ鍋の材料となり得る猪や鹿だって存在しない。
かつて、僕が愛してやまなかった猫さえいない。誰が何と言おうと、この世界に獣は存在しないのだ。
さて、そろそろ本題に戻ろう。
僕は拳をにぎり空を見上げ呟いた。
「犯人め、きっと追いつめてやる!そして必ず結婚指輪氏を取り返して見せる!ただし、その生死は問わない」
そうやって言葉にすることで、僕はこの依頼に関する違和感にふと気づくこととなった。
現場を見るに、結婚指輪氏が攫われたのは間違いない。だが、その生死に関してはどうだろうか。
体があの状況だ、普通の世界であれば死んでいるだろうが残念なことにここは狂った異世界だ。
結婚指輪が頭の役目を果たしていたというのなら、胸から血を流し頭をもがれていたわけだからそれは死ぬ以外にないだろう。
しかし、結婚指輪が収まっていたのは左手の薬指だ。どうして、それで頭の役目を果たせようか。
結婚指輪氏の体の構造はこの異世界においても稀有な例である。少なくとも、僕は今日初めてそういった構造の人間がいることを知った。
ならばだ。どうして、胸から血を流しているだけで彼が死んでいると断定できるのだ。結婚指輪単体で生きている可能性をどうして追わない。
そう、僕が言っているのは依頼人である電卓夫人のことだ。
夫人は、結婚指輪氏の本体?が攫われているにも関わらず彼を既に死者として扱っていた。
探偵の僕の観察眼によると、電卓夫人には医学的見地があるように見受けられなかった。
ならば、なぜ主人の死を確信できていたのか。
簡単だ、夫人が殺したんだ。それ以外考えられるものか。
完璧な推理だ。もうこれ以上、真実に晒すべき謎はないだろう。
……しかし不思議だ。なぜ殺人犯である電卓夫人が遺体の行方を追っているのだろうか。
しかも、第三者である僕なんかにそんな依頼をしたのだろうか。
「見つけてから考えよう」
そう、僕は名探偵。僕を前にして、すべての謎は自ら股を開く。
解けないときは、自発的にマタグラを覗きに行けばいい。
「見つけちゃったよ」
それは、捜索開始の合図代わりに煙草に火をつけてから5秒とかからなかった。
それより、なんてことだ。僕の目の前には、あり得ない光景が広がっている。
僕の目の前に猫がいるぞ。
どういうことだ?こんなことがあるのか。
猫の野郎、奴は四本足で歩いているぞ。なんてことだ。
しかもよく見れば、その口に結婚指輪氏をくわえていやがる。
「おい、そいつを離せ。話せばわかる!」
「にゃあ」
なんてこった。
話してもわからないタイプの猫だった。
「おい。あんた助けてくれ」
知らない男の声が聞こえてきた。
その声は紛れもなく猫の口から発せられていた。
「なんてことだ猫が喋るなんて!?」
「違う。吾輩は猫ではない」
「いや、その言いぶりは僕が知っている限り猫のものだ!」
「吾輩は結婚指輪だ。助けてくれないか。自分独りじゃ動けないんだ」
この世界には獣は存在していない。すなわち、この世界で猫のあやし方を知っているのは僕一人であるはずだ。
ふむ。異世界の住人に、猫のあやし方を披露してチヤホヤしてもらう展開もありでは無かろうか。他にも猫がいればの話だが。
僕は、ンナーゴンナーゴと猫なで声で彼に近づく。
通学途中に近所の野良猫をネコソギ手懐けた僕の必殺技である。
あっという間に、僕は猫の懐柔を完了し。結婚指輪氏を救出しすることに成功していた。
猫は、僕に撫でられながらごろごろ鳴いてる。
「貴方の奥さんに雇われた、探偵です。何があったんですか」と、ミステリー物では答え合わせが始まる展開であろう。
しかし、これはミステリー小説ではくネットのゴミ捨て場「異世界転移物」である。読者の興味がわかないところには手を伸ばさないのが僕の主義だ。興味がある?なら他所へ行ってくれ。
少なくとも君が来るべき場所はここではない。アガサクリスティーでも読んでろ。
それに、込み入った事情に立ち入らないのは大人として職業探偵としてのリスクマネジメントとも言える。
謎は残るが気にはしない。だってあくまで依頼は完遂されたのだから。
僕は、結婚指輪氏を質屋に持ち入り金を受け取る。なかなかにイイ額だった。
ポケットに金を突っ込もうとして、僕は気が付いた。
「しまった。今日一日、ズボンを履くのを忘れていた」
履いていないのはズボンに限らないが気にしない。
これが狂った異世界の日常。一人のラジカセが下半身丸出しで歩いていようが誰も気にも留めやしないだろう。
それになんだかチョット気持ちいい。
「でも、帰ったらズボンを履こう。そして電卓夫人に質屋の場所を知らせなくては」
さあ仕事は終えた。
僕はラジカセの頭を掻きながら、猫と金をを抱えて帰路に就く。
――――――
頭が重い。昨晩、思わぬ臨時収入で羽目を外しすぎたせいだ。
僕は、冴えたとは言えない思考で改めてシュレディンガーの猫について思い出す。
異なる二つの可能性を同時に内包する猫。死んでいる状態と生きている状態が折り重なった猫。
いや、これが単なる批判的な思考実験に過ぎないことは僕でもわかっている。
しかし、これほどに僕の心を揺さぶる格好いい言葉なんだ。
思考実験だろうが何だろうが、世界に、いやこの宇宙に一匹ぐらいそんな猫が存在してもいいじゃないか。
それぐらいのご都合主義は許されるべきだ。
ハッピーエンド万歳。ご都合主義歓迎。無病息災。南無~。
そういえば、神を名乗る隣人が僕に「無限の可能性」を授けてくれたんだったな。
まあ、死んでいるのと生きているのが同時に起こるんだ。無限の可能性を内包していても不思議ではあるまい。
「そういうわけで、君の名はシュレディンガーに決定だ」
「みゃあ」
ちなみにネットで調べたところによるとシュレディンガーは、オーストリア出身らしい。
オーストリア?それってドイツのどこよ。
はてさて、最大の謎であったシュレディンガーの出身地も判明したところで締めに入ろう。
これは、探偵で歩くラジカセである僕と、オーストリア出身のおっさんの名前を与えられた猫。
このクレイジーワールドで唯一正気を保った、一台と一匹の異世界転移物語である。
残念ながら、物語はまだまだ続く。
――――――
第二夜 異世界に飛ばされた僕は探偵稼業で食っていく
~シュレディンガーの猫~
おわり
――――――
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