第23話 筆頭鍛冶師

「それで、こちらからの話はこれでお終いなんだけど、これからどうするの~?」

 そう言いつつ、モニカは三人の顔を見回す。


「弓と矢を見せてもらおうかと……」

「ん~、弓かぁ……今いるメンバーだと、やっぱりダニエルさん……代表が一番詳しいかな~」

 アルトの言葉に、少し考えたのちモニカは答える。


「もう少しで作業は終わる予定だから……待っている間に、私の故郷の島で採れた紅茶をご馳走するね~」

 そう言い残すとモニカは、工房の奥へと姿を消した。


 しばらくしてモニカは、白い陶製のポットやカップなどが載せられた、金属製の盆を運んできた。四組のカップとソーサーをテーブルに並べると、ポットに満たされた液体を注ぐ。


 村でよく飲まれていたアルトの知るお茶と言えば、畑で収穫された小麦や大豆、それに他の町から運ばれてくる乾燥した茶樹の葉を煮出して作るもので、文字通りの『茶色』をしている。だが目の前のそれは、紅茶という名にふさわしく、真紅の薔薇の花を溶かしたかのような強い赤みを帯びていた。


 カップを手にすると、微かに花のような甘い香りを感じる。さすがにアルトも、薬草や食用にならない花にまでは詳しくはなかったので、それが何かはわからなかったのだが。

 初めて口にする紅茶は、飲み慣れた茶よりもずっと濃厚で、はっきりした渋みと、かすかな甘みがあった。


「ん……美味しい……」

 思わず、そんな言葉が漏れていた。


「ん、ありがと」


 そこでふっと、モニカの表情が緩んだ。これまでの、どこか張りつめた職人の顔から、急に普通の少女の笑みを向けられ、アルトは戸惑う。わずかに頬が火照るのを感じた。

 それをごまかすかのように、紅茶を口に運ぶ。


「ちょっとカリナ! シロップ入れ過ぎっ!」

 そうしてアルトが紅茶を味わっていると、不意にそんなモニカの声に余韻をかき消された。


 見ると、カリナは白い小さな壺の中の琥珀色の液体を、カップの紅茶に注いでいた。


「これ? 砂糖楓さとうかえでのシロップ。甘くておいしいよ」

 アルトが声を掛ける前に、カリナの方からそんなことを言ってきた。


「お茶に、甘味……?」

 とはいえ、お茶に甘い味を付けようなどという発想は、アルトの村ではなかったのである。


 もっとも、甘いものはアルトも嫌いではない。狩りの途中で食べる木苺きいちご山葡萄やまぶどうの甘さは疲れた体を癒してくれるし、たまに蜂蜜なんかが採れると、村のみんなも喜んでくれたものだ。


「そんなに甘くしたら、味がわからなくなるよ~」

「だって、渋いんだもん」

「も~。そんなに甘いものばかり飲んで、太っても知らないよ~」

「いいの! いつも体を動かしているから、大丈夫!」

 友人同士のそんなやりとりを、苦笑しながら眺めていたアルトも、シロップの壺に手を伸ばし、少しだけ自分の紅茶に加えてみる。


 確かに、甘みが加わることによって、前面に出ていた渋みがかなり和らぎ、飲みやすくなった感じがする。


 そういえば、昔からカリナは甘いものが好きだったな……。まだ二人が村に住んでいた、子供の頃をアルトは思い出す。


 村の近くの森で、よく木になっている果物を食べたものだ。


 毒のあるものはさすがになかったが、アルトも苦いものやまずいものをよく一緒に食べさせられる羽目になった。

 アルトが一人だけ味見をさせられることがなかったのは、不幸中の幸いと言うべきなのだろうか。カリナも、そこまで意地は悪くない。

 そんなことを思い出しつつアルトが一つため息をつくと、カリナに睨まれる。


「な、何よ? 私が甘いもの好きなの、そんなにおかしい?」

「べ、別に。昔から変わってないな、と思っただけだよ」

 そんなことをきっかけに、祖父の教えを受けて村の周りの植物に詳しくなったのだが……だからといって、それがカリナのおかげと感謝できるほど、アルトも心が広いわけではなかった。


 カリナから目を逸らせば、こちらを見ている二人の様子が視界に入ってきた。モニカはニヤニヤと友人をからかうような笑みを浮かべ、コーデリアは微笑ましいものでも見るかのように暖かい眼差しを送っている。


 アルトはそんな二人の視線から逃れようとさらに横を向き……そして、気付いた。


 作業場から聞こえてきていた鎚の音が、いつの間にか止んでいた。


「あれ? もう、終わったのかな」

「えっ……あ、まさか!」

 アルトの呟きに一瞬耳を傾けたモニカは、はっとした表情で立ち上がると、それまでののんびりとした口調とは打って変わった慌てぶりで音の消えた作業場の方へ駆けて行った。


「ああっ、やっぱり! ちょっとダニエルさん、ここで寝ちゃだめだよ!」

「んん……? ああ、おはよう」

 モニカの焦った声と対照的に、力の抜けた男の声が聞こえてくる。


「おはようって、まだ仕事中だよ!」

「急ぎの仕事は全部終わったね。それじゃあ、ちょっと消耗したし、奥で寝てくるとするかな」

「ま、待って! まだお客さんが!」

 そんな様子に不安を覚えたアルトが、救いを求めるかのようにコーデリアの方に向き直ると、一瞬遅れて顔を向けてきた彼女と目が合った。


「ちょっと、まほ……仕事の時の消耗が激しいみたいで……でも、腕は確かですよ」

「そ、そうですか。それなら……いいんですけど」

 何やら言い訳をするかのように、コーデリアも少し焦った口調になっている。


「ええっと、前に聞いたことあったんだけど……何とかの鍛冶屋とか言われてるんだっけ?」

「『戦場の鍛冶師』ですね」

 カリナの適当な言葉を、コーデリアが訂正した。

「以前は旧王都の鍛冶工房で働いていたそうですけど、内乱の起きた直後から旧王国軍の皆さんと行動を共にして、大きな助けとなったみたいですね。それで、付けられた異名が『戦場の鍛冶師』。あの若さで工房の代表となったのも、その時の功績のおかげという話です」


    ◇


「失礼。お待たせしたようだね」

 その男は、さきほど鍛冶場で鎚を振るっていた時と、印象がかなり変わって見えた。

 剣や炎と真剣に向き合っていた、そんな緊張が解けるだけで風貌までもが一変し、人の良さそうな顔立ちに見えるようになった。元が童顔というのもあるのだろうが、まるで何歳か若返ったかのような印象さえ覚える。

 見た目は、一見するとアルトと同年齢くらいの印象だ。だが、内乱で活躍したという話から考えると、実際にはかなり年上なのかもしれない。


「僕がこの工房の代表、ダニエル・スミスだ」

「アルト・ソーンダイクです。これからお世話になります」

 握手を求めて差し出された右手を、アルトは握り返した。

 ダニエルと名乗った男の掌は、鍛冶作業で鍛えられて皮が厚く、硬くなっていた。

 鍛冶に関する知識はないに等しいので、そこから目の前の男の腕前を推測するなどアルトには無理な話である。それでも、彼がかなりの経験を積んでいることは間違いないようだった。


 カリナやコーデリアとはすでに顔見知りのようで、簡単な挨拶を交わしたのち、再びダニエルはアルトに向き直る。

「さて、ドラゴンの皮の話は終わったようだし、あとは弓矢を見て行ってもらうくらいかな」

「はい、ではそうさせてもらいますが……ところで、ダニエルさんは弓も作ったりするんですか?」

 弓の話になったところで、アルトは気になったことをダニエルに尋ねてみた。

 先ほども見たとおり、ダニエルは鍛冶師で、その専門はもちろん金属の加工である。

 木を材料とする弓の作成は、専門の弓師か、さもなくば木工職人の仕事のはずだ。さすがに、この若さで両方を極めているとは考えにくい。


「使い手を選びそうだから、店頭には出していなかったんだけど……」

 そう言いつつダニエルは、店舗の一角にある棚へと向かう。


「実は、こんなものも作っていてね」

 そこから取り出されたのは、奇妙な一張の弓だった。鋼のような鈍く光る金属で作られているように見える。


「金属製の、弓?」

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