第24話 アルトの弓
それは、アルトも初めて目にするものだった。
「軽い……」
ダニエルの差し出す弓を受け取ると、外見の印象よりもずっと軽く感じられた。普段使っている木製の弓よりも、少しだけ重い程度だ。
弓自体に目を近付ければ、わずかに色の違う複数の金属を組み合わせて作られていることがわかる。それはまるで、ある種の弓が、いくつかの性質の異なる木を貼り合わせて作られるかのように。
製法に違いがあるのだろうか。弓を形作る金属は、剣のように固いものではなく、ある種の
「やっぱり、木よりも鉄のほうが強いの?」
「いや……そう簡単なものじゃ、ないと思うけど……」
「剣や槍みたいな、いわゆる近接武器と違って、弓は材質を変えたからといって飛躍的に強くなるようなものじゃないんだ」
カリナの問いには、アルトに代わってダニエルが答えた。
だがそれは、アルトにも予想できるものだ。それならば、なぜ普通は使われない金属で弓を作っているのだろう。
「一番の利点は、湿気の影響を受けにくいことだね。もちろん、錆に強い加工も施してある。まあ、絶対に錆びないとは言えないけどね」
「ああ、なるほど」
続くダニエルの説明に、アルトは納得した。確かに、雨の多い時期には手入れにも手が掛かるだけでなく、狙いが狂うこともある。森の環境や天候の変化によって、すぐに変わってしまうのが厄介だった。
「それに、壊れにくく修理がしやすい分、寿命もこっちの方が長い」
「でも、完全に木の弓よりもいいっていうことはないんでしょう?」
「まあ……ね」
アルトの問いに、ダニエルは悲しげな顔付きになった。
「先ほどは、材質を変えても強くはならないと言ったけど、実際には金属の方が強い弓を作れる」
カリナの問いとは関係のなさそうな話だが、アルトには先の展開が多少は分かった気がした。とはいえカリナの方を見ると、やはり怪訝そうな顔をしている。
「弓の強さ……放たれた矢の威力ではなく、弓を引き絞るために必要な力の事だけど……これが強いほど、確かに矢の威力は上がる。でもそれは、弓の力を十分に引き出せた場合なんだ」
そう言いつつダニエルが三人の顔を見回す。普段は弓に縁のないカリナとコーデリアにはうまく伝わっていなかったようで、さらにダニエルは補足の言葉を口にした。
「簡単に言うと、弓が強いほど攻撃力は増すけど、使い手の腕力を超えてしまうとかえって使いにくくなる、ということだね」
「それで、普通に弓を使うなら木製でも十分、ということですよね」
アルトの言葉に、その通り、とばかりにダニエルが頷く。
「で、ここからが問題なんだけど、同じ強さの弓を作る場合、金属製の方がはるかに高価になる。それに、量産も難しい」
ダニエルが例として、いくつかの弓の値段を挙げた。それは、木製の弓の数倍、物によっては十倍を超えるものであった。
確かに、それでは手が出しづらい。
「この弓は、軽い金属でできていてね。流通量が少ない分、値が張るんだ。かといって、別の安い金属を使うと、今度は木の弓よりかなり重くなる」
アルトが手にした弓を見ながら、ダニエルは話を続ける。
「まあ、他にも利点はあって……ちょっと返してもらうよ……この弓はこんなこともできるんだ」
そしてダニエルはアルトから弓を受け取ると、持ち手の部分を両手で握りしめるようにして力を込める。
一瞬、弓が折れたかと思った。だがよく見ると、持ち手の上に
「慣れれば畳んだ状態から、十秒足らずで撃てるようになるはずだよ」
アルトは再び、ダニエルから弓を受け取る。
伸ばした状態では、蝶番部分はしっかりと固定されており、射撃の邪魔にはならないようになっている。
さすがに慣れないゆえに折り畳みには数十秒を要したが、練習次第ではもっと早くできそうな気がした。
「結局、威力については、どこに当てるかの方が重要だと思うね」
その言葉と同時に、人の良さ気だったダニエルの瞳に、かすかに挑発的な光が宿った。そんな風に、アルトには感じられた。
だがそれは、瞬きするほどの時の間に消える。
「あとは……矢の種類を変えるくらいかなあ」
そして、アルトの意識の方も、続くダニエルの言葉に方向転換を余儀なくされた。
そういえば、工房で聞いてみたいことがあったのだ。
「ああ、そうだ。矢についてですが……こんな魔法の矢は工房で扱っていませんか?」
アルトは腰に下げていた矢筒に手を伸ばし、そこから探り当てた一本の矢を引き抜く。それは、祖父から贈られた魔力を帯びた矢だった。
あの春、ルビー・ドラゴンと戦った際に落とした二本は回収済みだ。
一方、逆鱗を貫いた残りの一本は、すでに折れてしまっていた。ドラゴンを解体する際に返されたものをコーデリアに見てもらったが、魔力は失われているということだった。
ドラゴンを攻撃したためだろうか。
あるいは、後で同じ場所に突き立てられたリチャードの槍が原因かもしれない。無論、アルトはそのことでリチャードを責めるつもりなど全くなかったが。
ダニエルは眼を細め、受け取った矢を眺める。二、三度瞬きをした後、その表情が驚きに変わった。
「これは……一体どこで手に入れたんだい?」
「祖父からの貰い物です」
「そうか……軍師様なら
そう言うとダニエルは、困ったような顔で続ける。
「今、傭兵隊には、そしてこのリーフ公国にも、魔力付与、つまり半永久的に物体に魔力を与えることができる人はいないんだ。後は他の国からの輸入だけど、この手の魔法の武具はなかなか国外に出ることはなくてね。今はここにも置いてないなあ」
「そうですか……」
「まあ、見ているだけじゃわからないこともある。実際に撃ってみるかい?」
悲しげなアルトの様子に気を使ったか、ダニエルが弓に目をやりながら提案してくる。
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。射撃場がアヴァロン棟にあるんだけど、傭兵隊員なら自由に使えるよ」
そうアルトに告げると、ダニエルは店舗の一角を指す。
「まあ、ここには見てのとおり、木製の弓も色々と用意してある。どれを試してみたいか、ゆっくり選んでいくといいよ」
そしてアルトは、その言葉に甘えることにした。
◇
「なんかいっぱいあるけど、そんなに違いがあるもんなの?」
店舗の一角に並べられた数多くの弓をアルトと並んで眺めながら、カリナがそんな疑問を口にする。知識のないものからすれば、どれも同じに見えるのだろう。
「そりゃあ……長さとか、強さとか、重さとかが違うと、使い勝手にもかなり影響するからな。ちょっと加減が変わるだけで、矢は全然違うところに飛んでいくし。弓を新しいものに変えたときは、同じように見えても慣れるまでに結構時間が掛かるんだ」
「あれ? でもアルト、弓を買うときにちゃんと試してみないの?」
アルトのその言葉に、カリナがいぶかしげな顔になる。
「これまでは、村に来ていた商人さんに弓を注文して、次に来るときに持ってきてもらってたんだ」
「そういえば、あの村には武器の店はないようでしたね」
コーデリアが、春に訪れたアルトの故郷を思い出すかのように視線を彷徨わせていた。
「ええ。武器屋は、かなり前に余所に移ってしまいました。でも、大きな街に買い物に出掛けるだけでも長旅になりますから、なかなか自分では買いに行けなくって……」
さすがにアルトも、弓を自作することはできない。形だけ真似て作ってみたことはあるが、射程距離や命中精度がかなり落ちるのだ。できるのは簡単な修理くらいで、精度の調整もアルトには無理だった。
結局のところアルトは、自分にあった弓を探すのではなく、手に入った弓の癖を自分の体に覚え込ませる、という方法で弓を使いこなしていたのだ。
「出来ることなら、沢山の弓を見てその中から自分に合うものを選ぶのがいいんだけど……」
「ほかの武具もそうだけど、一番いいのは、最初からその人に合わせたものを作ることだね。その次は、購入する弓を自分に合わせて調整してもらうことかな」
ダニエルが、アルトの言葉を補足するように続ける。
「でも、それだと余分に時間と予算が掛かるんですよね?」
「まあ、それなりにはね」
アルトも春のルビー・ドラゴン討伐で報酬を受け取ったものの、村の復興のために大半を使ってしまっていた。
必需品とはいえ、これからの生活も考えると、弓だけにお金をかけるわけにもいかないだろう。
「そうだ、弓といえば……あれも用意した方がいいかな……」
不意に、ダニエルが独り言のように呟く。
「ちょっと探し物をしてくる。その間に、試し打ちをしたい弓を選んでいてくれないか」
そして、アルトに声を掛けると工房の奥にある物置部屋に消えて行った。
ゴトゴト、ガサゴソと何かを探し回る音が、店舗の方にまで聞こえて来る。大きな物が崩れる音に続けて、ダニエルの叫びが聞こえ、モニカがまた慌てて走っていく、という一幕もあったりしたが……。
しばしの後、ふたたび姿を見せたダニエルが携えていたのは、彼の身長ほどもある、布で包まれた何かだ。
「さて、弓は選んだかい? それじゃあ、アヴァロン棟にある射撃場に案内しよう」
それが何か、については触れないまま、ダニエルはアルトたちを誘うように工房の出口に向かって歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます