第25話 射撃場

 店番であるモニカを残し、アルトはダニエルに誘われて工房のあるシーカー棟を後にした。もちろん、カリナとコーデリアもついて来る。


 訪れたのは、傭兵隊本部の三番棟であるアヴァロン棟だ。


「このアヴァロン棟は、いわゆる武道館みたいなもので、戦士たちの修行の場となっているんだ。ほとんどは接近戦用武器の訓練場だけど、射撃場も二つある」

 入り口にある受付で、ダニエルが使用状況を確認する。射撃場は両方とも空室状態という答えが返ってきた。


「うん、大丈夫。今は二つとも、人はいないそうだよ」

「射撃場が二つあるんですか?」

「ああ。一つは、室内射撃場。雨や強風時の他、明かりを灯して夜間の訓練も出来るようになっているんだ」

 アルトの疑問に答えつつ、ダニエルはまず、三人を棟の三階にある射撃場の一つに案内した。


「ここでの出来事は、武具を扱う関係上、工房にも色々と伝わってきているんだ。ただ、射撃場が満員になったというのは、ほとんど聞いたことがないねえ」


 そこは、奥行きが三十メートルほどもある広い部屋だ。奥の壁には同心円状の木で作られた的が八個、並べて設置されている。天井には天窓がいくつも作られており、昼間には十分な明かりが採れるようになっていた。


「もう一つは、屋外射撃場。悪天候の訓練は難しいけど、風の影響を受ける野外での戦いの訓練には、こちらが向いているかもしれないね」

 次にダニエルが案内したのは、アヴァロン棟の外、バウンド棟から見て反対側に併設されている形の射撃場だ。

 棟の外側に最低限の軒を付け、その先に的を設置、さらに周りには矢などが飛び出さないための塀が作られている。


「ただこちらの方は、ちょっと予算とかの都合で質素なのが難点だけど」

 それは確かに、ダニエルの言葉どおり、かなり質素……というよりむしろ未完成と言っても差し支えないような代物だ。傭兵隊の人手不足はこんなところにも影響しているのである。


「さて、今はちょうど、両方とも人がいないようだし……どちらを選ぶんだい?」

 アルトの方へと向き直り、ダニエルは問いかける。

「それでは、外の方でお願いします」

 ほとんど考える様子もなく、アルトから答えが返ってきた。

「ええっ、アルト、ホントにこっちでいいの!?」

 そんな狩人の様子に、幼馴染が驚きの声を上げる。


「ん? なんか問題でもあるのか?」

「だって、こんなボロ……じゃなくて、古……くはないか、失ぱ……でもなくて、えぇと……何だっけ?」

「あの、カリナちゃん……傭兵隊の皆さんも頑張ってくれているんだけど、仕事が多すぎてね……」

 失言を繰り返す幼馴染のことはコーデリアに任せることにしたらしく、アルトはダニエルに向かって謝罪の言葉を述べてくる。


「すみません。連れが失礼なことを……」

「いや、まあ……残念ながら、あながち間違いっていうわけでもないよ。射撃場の優先順位は、あまり高くないんだよね」

 ダニエルも苦笑いしながらそれに答えた。


「でも、村ではずっと森の中で木を的に練習していましたから。こんな射撃場なんて十分すぎるくらいですよ」

「君のことについてはキースさんからきいたけど、それでそこまで腕上げたんなら大したものだよ」

「でも、そんなに弓の練習ばかりしてたの?」

 カリナが口を挟んできた。彼女が

「そりゃあ、だいぶ前から村には人が少なくなって、娯楽もなかったからなあ。だいたい、天気のいい日は狩りか弓の練習、天気が悪ければ本を読んでた」

「そうか、それはある意味理想的かもしれないね」

 ダニエルは感心したような口ぶりだったが、カリナの方は先日見た村を思い出したのか、面白くなさそうな顔をしている。


「さて、そろそろ実射といこうか。それじゃ、見学の人はこっちに」

「はぁーい」

「はい」

 三人が安全なところまで離れるのを確認すると、狩人の青年は左手に弓を捧げ持ち、矢筒に右手を伸ばした。


 彼が構える弓は、村にいる間ずっと使い続けてきたという手に馴染んだ木製のものではない。先ほど工房から貸し出された金属製の弓だ。

 矢筒からすばやく一本の矢を抜き取り、弓につがえる。

 そのまま、一見無造作にも見える動作で弓弦ゆづるを引き、即座に解き放った。

 そして放たれた矢は緩やかな弧を描き――的の右上を飛び越えて後方の壁に突き刺さる。


「あ、あれ?」

 カリナのあげた戸惑いの声を気に留めることもせず、アルトは矢筒から次の矢を抜く。

「弓は一本一本癖が違うからね。初めてだと勝手がわかりにくいんだよ」

 第二射の動作に入った狩人に代わり、ダニエルはフォローの言葉を掛ける。


 二射目は、第一射と違い、すぐには矢を放つことなくアルトの動きが止まる。ただ、その左手だけがゆっくりと動き、照準をつけるかのように矢尻がその向きを変える。


 そして放たれた矢は、的の中央こそ逃したものの、その左端に突き刺さった。


 間髪入れず、流れるような動きで次の矢を構える。三射目は最初の矢の真横、内側から二番目の円の上に突き立つ。


「ああっ、惜しい! もう少し!」

 そんなカリナの声が、射撃場を駆ける。


 だが、ダニエルが抱いたのは、全く別の印象。

 この程度、と言うと語弊がある。

 だが、龍の逆鱗を打ち抜くほどの使い手ならば、使い慣れた弓でこれは……的に刺さった矢を見据えながら、思考に沈む。

 修正後の二射目は的の端。三射目は、二射目と的の中心……その二点の、ちょうど真ん中。

 ダニエルがそれに気付いた瞬間、第四射が的の中心を捉えていた。


 鍛冶師の両手に、力がこもる。その意識が向けられるのは、先ほど工房から持ち出した包み。

 彼ならこれを、使いこなせるのだろうか――。

 そして、それからしばらくの後。十数本の矢を的の上に等間隔に並べ終え、ようやくアルトは弓を下ろした。


    ◇


 的から矢を抜き取ると、破損がないかを一本一本丁寧に確かめる。

 すべての矢を再び腰の矢筒に収め、戻ってきたアルトにダニエルが歩み寄ってきた。


「さて……じゃあ次は、これを試してみてくれないか?」

 そして鍛冶師は、工房から持ち出した細長い包みをほどく。

 そこから現れたのは、一張りの弓だった。


「それ……は……?」

 だがそれは、アルトが思わず絶句するほど見慣れたものからかけ離れていた。


 ほぼ上下対称に近い通常の弓と異なり、持ち手を中心に上に大きく伸びあがっている。その形状ゆえか、弓全体も普通のものよりかなり長く、アルトの身長よりもやや長いほどであった。


「これは、ゴート隊長が使っていた弓のレプリカだよ」

 その名は、アルトにとって聞き覚えのあるものであった。

「そういえば、キースさんから聞いたことがあります。旧王国軍の大隊長の中に、弓の達人がいたって」


 旧リーフ王国軍六番隊隊長、ブライアン・ゴート。


 自分と同じ弓の使い手であるがゆえに、アルトも興味を持ち、近いうちに詳しく調べてみたいと考えていたところだ。

「天に向け放たれた矢は、虹のごとき弾道を描き、稲妻のように敵を射抜く。その腕前から、付けられた二つ名が『天弓』。そのゴート隊長が愛用していたのが、この弓――本物はもっと強くて重いんだけどね」

 ダニエルはそう言うと、アルトに弓を手渡す。


「まあ、同じ弓使いでも、君とは全くタイプが違うね。あの人は、騎馬で戦場を駆けながら敵を仕留めていたから」

「馬にはちょっと乗ったことがあるくらいで、走りながら射るなんてとても……」

「うん。隊長は馬術にたけた民族の中でも、飛び抜けた存在だったみたいだね」

 残念ながら、弓の上達のためにはあまり参考になりそうにない。

 それよりも今は、手の中にある弓を試してみたい。


 ダニエルが離れていったのを確かめてから、身の丈ほどもある弓に、いつもと同じように矢をつがえる。

 これまでに扱ってきた弓よりも、かなり強いことが分かる。アルトの力に、弓が抵抗しているかのような……いや、むしろ、まるで弓のほうが逆にアルトを試しているかのような、そんな感覚があった。

 引き絞った弓弦から指を離した瞬間、アルトの手の中で弓が暴れだした。それに巻き込まれた矢は、あたかもつむじ風に吹き飛ばされたかのように、回転しながらあさっての方角に飛んでいった。


 二度、三度と、矢をつがえることなく弓を弾いてみた。弓全体が波打つように動いているのが見える。

 持ち手の位置を変えて試すと、あるところで弓の震えがかなり小さくなることがわかった。そこを左手でしっかりと握り直すと、再び右手に持った矢をつがえる。


 まずは普段と同じ感覚で、弓を引いてみる。放たれた矢は、正面に立てられた棒の先の的の上を大きく越えて、背後の壁に突き刺さった。


 もう一度、同じように構え、そこから矢の先端を少しずつ下に向けて動かした。同時に、脳裏に映し出された先ほどの矢の軌道も動く。その軌道が、的の中心を通り過ぎたところで、再び矢は放たれた。


 二本目は、アルトの予想よりかなり上をゆき、的の端に突き刺さる。続けざまの三本目は、的の中心から少し外れた場所に命中した。


「おおっ!」

「あと少し!」

 ダニエルの感嘆の声と、カリナの励ましの声がアルトの耳に届いた。


 さらにもう一本、矢をつがえる。集中力が高まると、世界が暗くなり、周りの音が消えていった。ただ的だけが、木漏れ日に照らされたかのように明るく見える。その照準を、中心から少し左上に定め――。


 そして放たれた矢は、また的を外し壁に突き刺さる。


「だめだ……弓が強すぎて腕が持たない」

 ため息を一つついたアルトは、手のしびれを払うかのように右手を振った。

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