第22話 工房
「もうご存知かと思いますが、この傭兵隊本部は建設中のものも合わせて九つの棟からなっています。これらはそれぞれ、かつての内乱で活躍した大隊長たちに由来した名が付けられています」
大食堂のあるバウンド棟を出て、周囲を見回す。中央棟であるバウンド棟の周囲には、建設中のものを含め八つの棟が配置されていた。
傭兵たちの男子寮であるガイア棟。
練兵場や射撃場などを備えた訓練施設であるアヴァロン棟。
大浴場をはじめとした各種の娯楽施設が建設予定であるガリバルディ棟。
各種の店を備えた商業施設となるゴート棟。
魔道士たちの研究、訓練施設として設計されているクレメンス棟。
武器防具をはじめ、各種衣類や道具などの制作を行う工房となるシーカー棟。
傭兵たちの女子寮として使われるアルテミシア棟。
図書館と学習施設からなるソーンダイク棟。
「例えば、このバウンド棟は、元二番隊隊長であるアーロン・バウンド総隊長から名前を頂いています。他に、男子寮であるガイア棟には、アルトさんもすでに入居していますよね」
もちろんガイア棟は、あのリチャード・ガイアの名に基づいたものだ。
「それから、九番棟のソーンダイク棟。ここにはアルトさんからご寄贈頂いた文献が収められています」
「あれ、九番棟?」
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、何でも……」
再び何か違和感を感じるも、アルトはコーデリアの話を聞くことを優先して、今は深く考えないことにした。
「まあこれも、自分に必要なものがどこにあるかを覚えれば十分でしょう」
「大丈夫! わからなければ受付で聞けばいいから!」
「自分に聞けとは言わないんだな……」
「だって、まだ全部覚えきれないんだもん」
二人のやり取りに微かな笑みを浮かべながら、コーデリアは一つの建物を指した。
「アルトさんが差し当たって必要そうなのは、工房ですかね」
隊員の武器、防具をはじめ、各種商品の制作、修理を一手に引き受ける工房は、建設途上の隊本部七番棟、シーカー棟に作られている。
棟の入り口を抜けると、そこには武器防具などを販売する店舗があった。
さらにその奥には制作、修理の受付を挟んで鍛冶場があり、そこで働く鍛冶師たちの姿を見ることができる造りになっている。
その中でアルトの目を引いたのは、炉の前で鎚を振るう一人の男。アルトより少し年上に見える、精悍な顔つきの青年だ。
鍛冶師として、その体は鍛えられているのだろう。それでも、その身に不釣り合いな大鎚を片手で振るっている。
何かの魔法なのだろうか。ときおり彼の鍛えている剣の周りに、明らかに自然のものではない炎の線が纏わり付く。
「できれば挨拶をしておきたかったんだけど、忙しそうですね……」
アルトの隣に来たコーデリアが、誰に言うでもなくそんな言葉を漏らした。
「カリナ!」
その時、店舗の奥の扉から一人の女性が姿を現し、カリナに声を掛けてきた。
「あっ、モニカ!」
年格好はアルトやカリナと同じくらいだろうか。
まだ夏は始まったばかりだというのに、小麦色に日焼けした肌が目を引く。やや赤みを帯びた黒髪は緩やかに波打っていた。
「それにコーデリアさんも……珍しいね~。ここに来るなんて」
「ええ、ちょっと人を案内して」
「お客さん? それじゃあ……」
モニカと呼ばれた少女は、二人に声を掛けた後、同行していたアルトに目を向ける。
「そっか。君が、カリナの話していたアルト君だね~」
「君の活躍は、カリナからいろいろと聞いてるよ~」
「そ、それはどうも……」
悪戯っぽい笑みを浮かべるモニカの前で、アルトは戸惑った声を上げる。
モニカ・シュナイダー。
工房の裁縫担当の一人である。より正確に言うならば、裁断、縫製を中心とした、衣類および非金属防具の制作が彼女の仕事だ。
また、職人としての腕はあっても、センスというものの足りない工房の男たちに代わり、武具のデザインも一部はモニカが手掛けている。
普段から工房の中で働いているのに、一年中小麦色に焼けたその肌は、彼女が大陸の南海上に位置する群島の出身であることを物語っていた。
傭兵隊に参加したのは、カリナと同じく結成の数か月後。同い年ということもあって、二人はすぐに友人となった。
その後、しばらくの間は女性の傭兵数人で小隊を組み、簡単な仕事をこなしていた。しかし、カリナ以外は戦いが得意ではなかったこともあり、いつしか皆、傭兵隊本部で給仕や調理、裁縫などの仕事をするようになって――そして現在に至る。
彼女の表情から、どうやらカリナ絡みで何やらからかわれているらしいことは分かるが、不慣れゆえにどう答えればよいかはさっぱりわからないのだ。
それよりも、カリナがみんなに何を話したのかの方が問題だ。そう思い、ちらりと幼馴染の少女の様子を伺うと、戸惑うような反応が返ってきた。ほんのわずかだが頬に赤みがさし、その視線は不安定に空中をさ迷っている。
「べ、別に、そんなおかしなことは話してない……よ。うん」
「そんなこと言って~、この前から自慢ばっかりだったよね~。のろけ話を聞かされるこっちの身にも……」
「のろけ?」
「わーーー!」
急に隣のカリナが大声を上げたので、アルトは慌てて身を引いた。のろけ話というのはよくわからないが、どうやら自分に知られたくないことを話していたらしい。
コーデリアの方にも視線を送ってみるが、一瞬困ったような笑みをアルトに返してきた後、目を逸らされてしまう。
「そういえば、さっきの食堂でもみんなの視線を感じたんだけど、一体どんな話をしたんだ?」
新入り、ということで注目を集めてもいるのだろうが、天魔軍師の孫ということで噂がいろいろと飛び交っているのかもしれない。
「えっ? い、いやだから、この前会ったときのことを普通に喋っただけだって! っていうか、アルトが傭兵隊に入ったらいいなとは思っていたけど、まさか本当に来るとは思わなかったから、色々と変なことも喋っちゃったかも……。いやでも、もちろんアルトが来たのが嫌ってわけじゃないけど……」
カリナは何やら色々と話し続けているが、早口すぎてアルトにはよくわからなかった。
よくあんなに口が回るな、と妙な感心はするが。
「ごめんね~、話がそれて。君には工房から伝えることがあるんだけど~、代表が今すぐには手を離せなくって」
一人で慌てているカリナを放っておいて、モニカはアルトに向き直る。
「私にも関係のあることだから、こっちから話すね~」
そういうとモニカは、アルトたちを店舗の隅にある応接用のテーブルへと案内する。
それから一度工房の奥に戻った彼女は、すぐに獣の皮のようなものを抱えて戻ってきた。テーブルの上に広げられたそれの表面は、毛の代わりに赤く輝く鱗で覆われている。
「これは……あの時のドラゴンの皮!?」
それが何であるか気付くまでに、少し時間が掛かってしまった。このあたりにいる獣の皮ならば、アルトはすぐに見分けられるというのに。
見慣れないということも、もちろんある。
それに、この皮の主には、あの春の苦い記憶があるのだ。無意識のうちに、思い出さないようにしていたのかもしれない。
その鱗は、一枚がアルトの手の平よりやや大きいくらいであった。記憶を探っても、それはもっと小さかったようにも、大きかったようにも思える。戦いの最中は、その巨体と恐怖で感覚がうまく働いていなかったのだろう。
「そう。で、これが君の取り分ね。これで防具なんかを作ることができるよ~。おすすめは皮鎧かな~。うちの工房に依頼するなら、加工費用なんかは頂くけどね~」
「…………」
モニカの言葉に、アルトは目を伏せ沈黙する。
「アルト?」
「アルトさん……」
その様子を見て、カリナとコーデリアは不安げに声を掛けてくる。あのドラゴンが原因で、村人たちと気まずくなったことを知っている二人としては、やはりアルトのことを放ってはおけないのだろう。
だが、二人が掛ける言葉を探しているうちに、アルトは顔を上げて再びモニカに向き直った。
「少しだけ、考えさせてもらえませんか?」
「うん、わかった。ゆっくり考えてね~」
アルトの言葉に、モニカも真剣な表情でうなずいた。
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