第18話 春の終わりに

「俺が……傭兵隊に?」

 唐突に思えたコーデリアの言葉に、アルトは考え込む。


 村での暮らしが長引くうちに、アルトは村の狩人でない自分の姿など、いつしか想像できなくなっていた。

 村を離れ、狩人として働くことができなくなれば、自分はどうなってしまうのだろうか。


「いえ、返事はすぐにじゃなくても大丈夫ですよ」

 すぐには出せない答えかもしれない。

 でも、いつの日か、いや、そう遠くない将来、必ず出さなければならないその答えを、アルトはこれまでずっと先送りにしてきたのだ。


「でも、俺なんかが役に立てますか?」

 今回の事件があったばかりだ。アルトは不安げな声を上げる。


「はい。もちろんです」

 思いの外にはっきりと、肯定の言葉が返ってきた。


「あの森で私を守ってくれたのは、間違いなくアルトさんですよ」

 儚げな光を湛えた黒い瞳の奥で、何かが静かに燃えているように見えた。


「今回の出来事は、あなたにとって、少し……得意な分野から離れたことだった。そんなものですよ」

「それは……」

 アルトはそこで口ごもる。思うことはいろいろあるが、うまく言葉にできない。


「村の入り口で、私が言ったことを覚えていますか?」

 コーデリアの声に、アルトは記憶を探る。それは確か、こんな言葉だったはず。


-あなたにとって、どんなに手を尽くしても解決できない問題だって、他の誰かにとっては片手ですませてしまえるようなことかもしれない-

-私たちが束になっても敵わないことでも、この世界の誰かにとっては一人で難なく片付けてしまえることかもしれない-


「はい、覚えてますが……」

「あの時の言葉は、キースさんたちの受け売りですが、次からはわたしの本心ですよ」

 そう言って、コーデリアは軽い咳払いを一つ。


「戦いの強さだけが、全てじゃない。この数日間アルトさんと一緒にいて、改めてそれがよくわかりました」

 決してお世辞や、誘いのための言葉ではない。コーデリアの真剣な表情が、アルトにそのことを伝えている。


「傭兵隊のみんなにできないことが、あなたならできるかもしれない。世界のどこかで困っている誰かを、あなたならば助けられるかもしれない」

「あ……ありがとう……ございます」

「一度、見学だけでもいいので、傭兵隊本部を見に来ませんか? この前の時は、仕事の依頼で急いでいたから、むこうでゆっくりできなかったから……今回の事後報告という形で、傭兵隊から呼んでもいいかも」

「そう……ですね。また一度、そちらにお邪魔します」

 コーデリアの言葉から力を分けてもらい、少し前向きになった心で彼女に答える。


「そのときはぜひ、私に声を掛けて下さいね。傭兵隊本部と、ヴェルリーフの町をご案内します」

「じゃあ、その時は、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」

 そんな言葉を交わし、互いに頭を下げる。コーデリアが向けてきた微笑みに、アルトはぎこちなく笑みを返した。


「それじゃあ、そろそろ戻りましょうか……おやすみなさい」

「はい。おやすみなさ……」

 コーデリアに続いて玄関に向かおうとしたアルトの言葉が、不意に途切れる。


「コーデリアさん、待って! 何かいる!」

 表情を一変させたアルトは、鋭く叫びながらコーデリアの前に飛び出した。左手を背中に背負っていた弓に、右手を矢筒に伸ばす。


「わわっ!? ちょっと待った!」

 直後、慌てた少女の声が響く。アルトが気配を感じた場所、何もないはずの空間が陽炎のように揺らぎ、少女たちの姿が浮かび上がった。


「きゃっ!? って、ノーラちゃん……それにカリナちゃんも……一体どうしたの?」

 ノーラはカリナの背後に隠れ、盾にするように前に押し出した。


「えぇと……み、見張り、とか……」

 カリナはしどろもどろに、言い訳にもならない言葉を口にする。予想外にあっさり見破られたため、考えがまとまらないのだ。


「やっぱり鋭いなぁ……見えなくなるだけじゃダメか」

 そのそばではノーラが、ちょっと傷付いたかのような口ぶりでつぶやいている。


「そう、聞いていたのなら……カリナちゃんも話したいことがあるよね」

「う……うん」

 そうカリナに声を掛けると、コーデリアはアルトに軽く一礼し、玄関に向かった。


 そして、ノーラもそれに続く。

「あっ、待って」

 カリナは慌てて、その背中に呼び掛ける。


「ありがとね、ノーラ。おやすみ!」

「まったく、調子がいいんだから。ま、後はうまくやりなよ」

 ひらひらとカリナに向けて手を振り、小さなあくびをしながらノーラは玄関をくぐる。


 そうして屋敷の中に戻る二人を見送ると、カリナはアルトの方に向き直った。


「ねえアルト……ほんとに傭兵隊に来るの?」

「聞いてたんじゃないのか……? まだ返事はしてないよ。一度見学に行くとは言ったけど」

「そう……なんだ」

 そうして悩むような様子を見せていたかと思うと、カリナは急に頬を膨らませる。


「だいたい、それは私が一番に言おうとしてたことなんだから!」

「な、何だよ、いきなり」

 急に怒り出したカリナに戸惑う。


「それに、アルトは何でも自分一人でやろうとし過ぎ!」

 でもそれは、以前のカリナと変わっていない。そのことをすぐに思い出した。


「この村じゃそうだったかもしれないけど、傭兵隊には私も……それに、ディアスだっているよ」

 ディアス・フレアドールは、今はもう残っていないソーンダイク邸近くにあった宿屋の息子だ。

 アルトやカリナより一つ年上で、数少ない遊び相手の一人だった。


「あいつはねえ、王国軍で副隊長なんかやってたんだよ」

「活躍したって話は聞いてたけど……詳しい話はほとんど村まで届かなかったからな」

「でも、そのせいかあの内乱の後ずっと忙しかったみたいでね。それが終わると、修行の旅に出るっていて飛び出して行っちゃたんだって」

「それで、傭兵隊には帰って来るのか?」

「別に、辞めちゃったわけじゃないからね。でも、いつ帰って来るんだか。私も、傭兵隊に入ってからはちょっとしか会ってないんだよ」

 今度は寂しげな様子になるカリナ。


「ねえアルト、覚えてる? あの時の約束」

 しばし言葉が止んだのち、カリナはちらりと屋敷の外の方へ目をやる。

 塀と夜の闇のせいで跡地すらも見えないが、そこにはかつて友人の家の別荘があった。


「ああ……シエラの誕生日のことか……」

 まだ十歳にも満たない子供の頃。二人はディアス、そしてもう一人の友人と一つの約束を交わしたのだ。


 ディアスは、あの日教えてくれた夢を、少しだけ叶えたのだろうか。でも、それは思いの外に遠そうな気もするのだが……。


 そして、アルト自身は――。


「もう、全部は叶わなくなっちゃったけどね……でも、また、アルトやディアスと一緒に、冒険できたらいいな」

「そうだな……前向きに考えておくよ」

「うん!」

 その言葉に、先ほどより少しだけほっとした様子で、カリナは微笑んだ。


   ◆


 それから数日後、別働隊の到着を待って、その役目を終えたカリナたち四人の傭兵はプレア村を離れていった。アルトと、再開の約束を交わして。


 やがて花は散り、村の並木が若葉色を経て濃緑に染まるころ、季節は春から夏へと移り変わる。


 すでに例年の落ち着きを取り戻した森を、いつものように歩く。しかし、心の中ではあの日の誘いの言葉が、初夏の暑さに煽られるかのように燃え盛っていた。


 いつもと変わらない森を見て――そして、変わってしまった村を見て――。


 アルトは、決心を固めた。


   ◇


「やはり、村を離れるのか」

 初夏の月も半ばを過ぎた頃、アルトはプレア村の村長の家を訪れていた。


「はい。ヴェルリーフに行って、しばらくは傭兵隊にお世話になろうかと思います。すみませんが、家をよろしくお願いします」

 あの事件の後、遅れて到着した別働隊により、ソーンダイク邸の蔵書は全て首都ヴェルリーフに運ばれた。


 今はただ、広すぎる屋敷にアルトが一人残るのみ。


 そして、アルトは判断の誤りを村人の前で詫びた。面と向かって罵声を浴びせる者はいなかったが、いまだアルトに向けられる視線は冷たい。


「そうじゃな。それがいいじゃろう」

「村長……」

 あっさりと肯定した村長に、アルトは力なく言葉を返す。


 ドラゴンによって破壊された家々は、リーフ公国と傭兵隊によって復旧されることになった。報酬として用意されていたバーナードの蔵書は、それを補って余りあるほどのものなのだ。


 それに、蔵書と同時に運ばれたルビー・ドラゴンについても、そこから得られる利益は村に還元されることになっている。

 結果的に討伐したのは傭兵隊のリチャードであるが、それに貢献したアルトや、被害を受けた村人にも分け前を得る権利はあるのだ。


「お前の行動は、決して間違ってはいなかった。じゃが、今は村の者の傷も浅くはない」

 アルトはうなだれた様子で、村長の話を黙って聞いている。


「村を離れ、広い世界を見てくるがいい。お前はいつまでも、こんな寂れた村にしがみ付いているべきではない」

 うつむき加減だったアルトの視線が、わずかに上を向いた。


「しばし世界を見、色々なものを学んで、それでもこの村を選ぶのならば戻ってくるがいい。その時までには、ふたたびお前を歓迎できるようにしておこう」

「ありがとう……ございます」

 そんな村長の言葉にどう答えてよいのか、考えがまとまらない。それでもアルトは、感謝の言葉を述べた。


    ◇


 それからしばし言葉を交わした後、アルトは村長宅を辞した。


 一人に戻った村長は、視線を天井に向け深く息をつく。

 先ほどはああ言ったものの、おそらくアルトは二度と戻ることはないだろう。


 だが、それでいい。


 この村に今残っている者は、生まれ育った地を離れることができなかった者。

 そう遠くない将来、この村は老いゆく村人たちとともに、この地上から消える。未来ある若者を、それに巻き込む理由などないのだ。

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